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【日記】みそじ。

Xin Chao!!

最近11月なのでめちゃ暖かいですね…

そんな11月某日、私、無事に30歳のお誕生日を迎えまして。
たくさんのお祝いのお言葉ありがとうございました!
別に歳を取ることにそこまで抵抗はないんですけど…アンケートで「30代」って○つけるのだけ嫌だな〜笑

せっかくの節目なので人生振り返りつつ、
これからの目標をいつもながらの感じで書いていきたいと思います!笑

さて、まずは20代ね。
イメージ、20代ってたくさん失敗をして人生思い悩んで、そろそろ結婚かな〜って思いながら30を迎えると思っていたのね。(まぁ私の場合、そもそも「結婚」という選択肢はなかったかなw)
あー30歳になったらどうしよう…とか。
”若者の苦悩”的なやつ。(すみません、完全ステレオタイプかもです…)

でもね、私大きな声で「20代やりきりました!」って言える。

今が一番幸せだし、明日死んでもいい!笑

っていう境地におります。

なんたって、ルヴァンカップ初優勝しましたからね!!←そこw

(グランパス優勝noteは壮大な記事を書きっぱなしにしているので年内には公開できるようにします!乞うご期待!!笑…需要あるのかな?)

20代最後にこんな幸せな瞬間を現地で目撃できて、本当に明日死んでも後悔はないくらいめちゃめちゃ嬉しいです!!
(実際死んだらもうオペラ座の怪人観れないし、せっかく始めた趣味もマスターできないし、まだまだ優勝たくさんしたいから死なないけど!笑)

スポーツって不思議ですよね。自分が別にプレーしているわけじゃないのに。応援しているチーム・選手が良い成績残すと自分ごとのように爆発的に喜びを感じるの。心の底からグランパスファンで良かったって思いますわ。

っていうグランパス愛はまた追々語るとして…

でも本当に20代、たくさんにご縁に恵まれて、
心から感謝感謝感謝してもしきれないくらい…地球ありがとう!って規模!

改めてこの10年間を振り返ると、
やっぱり自分にとって一番大きな転機はハノイ駐在ですよね。

あのハノイの2年間がなければ、今こうして「死ぬほど幸せ!」って言えていなかったと思う。グランパスが例え3連覇しててもそこまで幸せを感じていなかったかもしれない…笑(それは感じるかな〜)

今思うと何がそんなに苦しかったのか、思い出は美化されるっていうから、あんまり苦しさが思い出されないのだけど、当時の私にとってはハノイに赴任するは人生最大のピンチでした。

新入社員で日系企業に入社をし、よーわからん日本のビジネス習慣に苦しめられ、早く辞めたいなんて思っていた1年目。その時、私にとって一番の心の拠り所がミュージカルでした。(確かこの年にグランパスは降格したんだっけ?まじで人生どん底でしたわ、2016年。)

そんな中、唯一の希望が翌年から海外研修に行けること。

だから辞めずに1年、ミュージカルを観まくって耐えてきた。

アメリカ赴任になることを信じて、ミュージカルライフを送るために。
(そんな邪念があったのがいけなったですねw)

ただ、私に言い渡されたのはまさかのハノイ

ミュージカルどころか「芸術文化」が存在するのか?ぐらいの未知のベトナム。私の知識は「ミス・サイゴン」で得たもの程度。笑

しかも、友達・知人は誰もいない。

Totally zero base.

当時は本当に全て奪われた気がしましたね。
赴任して3ヶ月は体調も優れず、インフルにかかっても薬がないとか言われたり、謎の腹痛で病院に半日入院させられたり…笑

いやーあの時キツかったなーーー笑笑笑

でもそんな私を救ってくれたのが、
日本人コミュニティの皆さんと趣味でした。

このnoteでも何度か紹介していたかもしれませんが、人間って、仕事と家庭以外のコミュニティを3つ以上持つと幸福度が増すらしんですよ。

それだけを頼りに、ひたすらいろんなところに顔を出して出会った素敵な仲間たちにめちゃめちゃ助けられました。

そこで私のベトナムライフのキーとなった3つの趣味コミュニティ-
サッカー、合唱、阿波踊り。

ここでミュージカル観劇以外の趣味を持つことで得る充実と、
趣味で出会う仲間の偉大さに気付いたんですね。

あ、趣味があれば心は安定するし、
その趣味を通して素敵な出会いもある!

っていうのを実感してからは、もうひたすら趣味を増やす一方…笑

お金もあり、時間は有効的に使えば社会人最高!笑

ここから日本に帰国後もサッカー、合唱、阿波踊りはもちろんのこと、いろいろ挑戦してみて、今は絶賛マリンライフを楽しんでおります🏖
(ダイビング、めちゃハマりまそうです。はい。お金さよなら…笑)

まぁね、コロナでいろいろ制限されたこともありますけど…ベトナムにサッカーしたり第九歌いに行くとかね。(あー来年こそは…)

それでも友達も好きなことも何もなかったあのハノイ赴任初期時代に比べたら、1万倍、心も身体も安定していますよ!

人生、そんな甘くない。全て右肩上がりなわけない。

それは重々承知して、これから起こるかもしれない苦しい時は覚悟しながらも、それでも必ず立ち上がれるという自信が20代最大の学びだったと思います。これを20代で実感できたことこそ、一番の幸せです。

「逆境は喜びのプロローグ」

これ、私が大好きなグランパスのサポートソングの歌詞。

本当にそうだと思う。
ハノイでの逆境。
コロナ禍での逆境。
ACLや天皇杯で大敗する逆境。笑

でもどの辛い時もその先には喜びがあった。

この経験があるからこそ、私はこれからの人生も強く生きたい。

正直ね、今人生のピークなんじゃないかってくらい充実してて、むしろこれからどうしよう…何しよう…っていう不安もめちゃめちゃあるんですけど…

人生80年くらいあるとして、この30年でたくさん得られて、あと50年以上もあるって思えば、もはや神の域に達するのじゃないかっていう前向きな気持ちを表向きでもいいから保ちたいなって。笑

あ、30歳と言えば…(しばらく完全に話脱線します!)

先日、11月11日に私が人生で一番愛した男、玉田圭司が引退を発表されましてね…私にとっては楢崎正剛以来の「引退ショック」を受けたんですよ。

失恋した並のショックですよ。笑

最近のグランパスはチームが好きで、選手は「推し」として好きなんですけど、玉ちゃんは心から好きでした。もう愛。私の青春そのもの。笑

もちろん当時も他にも”好きな選手”はたくさんいましたけど、玉田圭司は特別な存在でした。(それ以上に特別だったのが楢さんかな…彼は「好き」通り越して「崇拝」でした。笑)

最近の「推し選手」である稲垣祥は「よく走るし同い年」だから好きとか柿谷曜一朗の「ボールタッチがきゅん」とか宮原和也は「イケメン」とかそういう一言では表せられない魅力が玉ちゃんにはありました。

あの2006年W杯ブラジル戦で決めたような左45度からのシュート、
ワンタッチでゲームメイクできる発想、
オフザボールの動き出しやドリブル、
サッカー選手としても憧れで真似してみたい存在だったし、
実はとてもチーム愛があって熱い人っていう、人間としても大好きでした。

そんな玉ちゃんが名古屋に来てくれたのが確か30歳手前で、
30歳になられてオフィシャルブックを発売してたんですよ。
内容をあんまり覚えていないんですけどw当時はバイブルのように持ち歩いていたってことだけ覚えてます。笑

私が高校生の頃大好きだった玉田圭司と今は同じ歳か…

そしてそんな玉ちゃんが41歳で引退か…

って思うとなんか不思議な感じがします。時の流れってすごいな。

私も41歳までは現役で頑張りますよ!(何をw)

玉田圭司選手、青春とたくさんの感動をありがとうございました!!
引退後もずっとずっと応援してます!

では、本編戻ります!笑

30歳になって、よく聞かれるのが「30歳の目標は?」なんですけどね…

正直、目標なんてないんですよ…

強いて言うなら現状維持w

繰り返しになりますが、ほんと明日死んでも良いくらい充実していて、これ以上の幸せって何があるんだろう…って逆に不安な毎日…笑

新しいチャレンジ?とか考えたりしたけど、今の鎌倉ライフが楽しくて、ワークライフバランスも絶妙に良くて、新しく始めた趣味を極めたいのもあったり、とりあえず「現状維持」でお願いします!!

その時が来たら、考えます。

Go with the flow

私の人生のモットーです!

とにかく今は自称「人生の冬休み」を楽しませてください!

そうだね…この一年は…(というか一年に限らず)

毎日笑顔で過ごす。
一日一幸を見つける。
フットワークは軽く。

この3つを大切に過ごしたいと思います!

楽しそうなアクティビティのお誘いはじゃんじゃん受け付けます!笑

あともちろん、健康も忘れずにね。

そしてそろそろいい加減にハノイ行きたいっすね。

というわけで!

皆様にもたくさんの幸せが訪れますように✨

おおゆき@鎌倉に住んでいるのに週末は越境してしまうこの頃…笑

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