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<俺>という中間地点

 暗いことばかり語っていても仕方がないのだけれど、6月に入ってから土日はずっと寝て過ごしている。すべきことがあるのに、いざ取り掛かろうとすると脳裏に暗い念が差す。

「頑張ったところでどうせダメだろう」

 仕事を終えた平日の夜も頭がぼうっとして集中することができない。取り組まなければより暗い深みに人生がはまり込んでいくだけであるが。しかし眠り続けて無為に日々を過ごしてしまう。1年以上前から朝3時とか4時に寝る生活が当たり前になっていた。起きるのは7時30分。短い睡眠時間で働き続けることに次第に身体がついていけなくなったのかもしれなかった。この異様な眠さはこれまでの不足分を取り返そうとしているのか。

 起きている間はぐったりしていて頭も回らないし力も入らないので、だからずっとNetflixで『となりのサインフェルド』を横たわったまま観ていた。そして19日に最終エピソードを観終えた。シーズン8あたりから話を楽しむというよりも観終えることが目的になっていたので、今後自分がこの作品を観直すことがあるとしても、あらすじを知らない状態で観ることができるのは人生で一回きりなのだから、急ぎ足になったのは経験としてもったいないことをしたかもしれない。しかし、シーズン4からシーズン7までが面白かったこともまた事実だ。あまりいい字幕ではなかったので人にはすすめられないが、この人生において『となりのサインフェルド』を知れたことは間違いなく良かったと言える。観終えた後、俺は地球上のあらゆる絶景に興味はないが、人が作り出したものは可能なかぎりすべて知りたいのだと思った。

 ほかに感想として書き残しておきたいことがふたつある。

 最終話の前のエピソードは9年間の名シーンを集めた振り返りの回だった。そのエンディング曲にGreen Dayの“Good Riddance”が採用されていた。お、と思った。そして演者たちの素が見える舞台裏の映像を観ながら、ふと奇妙な感覚にとらわれた。それは自分の好きなバンドの曲が使われていたことでこのシットコムを観るのは必然だった・・・・・・・・・・・・・・・・・ という運命的な結びつきを感じたわけではなく、自分が観ようが観まいが、シットコムの最高峰として名を挙げられるこの作品の印象的な振り返り映像に“Good Riddance”が選ばれていたことはまぎれもない事実であり、だからそれは“Good Riddance”を聴いたときに『となりのサインフェルド』の記憶が呼び起こされる人がいるということを意味していて、24年前から“Good Riddance”を聴いたときに『となりのサインフェルド』を思い返す人が何万人もいたのだとしたら、24年前から今に至るまで“Good Riddance”はずっと鳴り続けてきたと言えて、俺は24年もの間、知らなかったが故に鳴り続けてきた音を知覚できなかったが、いま俺は初めて聴くことができた、しかも聴き損ねた24年間分を重層的な響きで一度に聴いた、というような奇妙な感覚。

 書き残しておきたいもうひとつは、下記の文章について。

The website's critics consensus reads, "In its final season, the cynical show about nothing goes out defiantly on its own terms – even if means alienating fans who may have wanted things to end differently."

訳:Rotten Tomatoesの批評家たちは「最終シーズンは、”平凡な日常”を扱うシニカルな番組が、たとえ違う終わり方を望んでいたかもしれないファンを遠ざけることを意味しても、自分たちのやり方で反抗的に(テレビから)出て行くものであった」と総意をまとめている。
https://www.rottentomatoes.com/tv/seinfeld/s09

 最終エピソードの内容はここでは伏せるが、たしかに大団円とは程遠い雰囲気で、喜びも感動もなく、肩透かしの感があった。町中から人が消えるほど観られていた番組とは考えられない終わり方だ。

 たとえ違うかたちを望まれていたとしても、自分たちのやり方で反抗的に出て行く ・・・・・・・・・・・・・・・・・。ここを読んだとき、なんだか忘れていたことを思い出した嬉しさがあって泣きそうになった。

 俺は映画も音楽も小説も反抗的なものが好きだが、生き方としてはかなり従順的だったと思う。精神は反抗的でも、態度はずっと従順的だった。これは『1984』の「反逆心は誰にも悟られるな、絶好の機会が来るそのときまで隠し持て」というメッセージの影響によるものだったが、しかし、俺は隠し持ちすぎて反逆心をすっかり失ってしまったのではないか?

 いつまでも人の目をうかがっているから、いつまでも人の心に到達できないのだ。読みやすい文章を、とこれまで心掛けてきたつもりだが、試しに書きたい文章を書いてみる。奇妙な感覚について。心掛けたつもりでどうせ読みにくいのだ。共感などされるな。俺は俺のやり方でこの世界から反抗的に出て行きたい。


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