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わたしに出来るからあなたにも出来るはずは大間違い

先週の朝ドラは個人的にグサグサと刺さる内容でした。
主人公は元々人よりも努力することに長けていて、それが正しいことかのように自分だけでなく家族にまで無意識のうちに押し付けてしまう。そして気づけば家族との間に大きな溝が生まれていた…という話でした。

去年までは中学生に打楽器を毎年教えていましたが今年は今のところ他人に教えるということを一切せず、自分の演奏活動に集中しています。
そうすると自分の出来ないことに嫌でも向き合わないといけない場面が自然と増える訳ですが、これがなかなか億劫だと感じています。
努力とは本質的に億劫なものです。

もしかして、自分が打楽器を教えていた生徒達も同じように億劫に感じていたのかな?

と、ふと思うようになりました。
もちろん良い演奏をするためにはそれ相応の努力は欠かせません。
でもそこにどのぐらい立ち向かえるかは本人次第であって、それは他人に強制されるものではないよなぁと。

よく、中学時代はここまで出来たから今の君たちもきっと大丈夫!みたいな励まし方をしていたように思います。場の空気としては励ました瞬間は前向きな雰囲気になっていたように思うのですが、それも自分がそう思いたかったから前向きな雰囲気に感じていたのかも知れません。

曲がりなりにも打楽器を20年以上続けられていますが、それはたまたま努力を続けられる環境があって、たまたま周りの応援してくれる人に恵まれてきたからという側面もあることを忘れてはいけないなと思ってます。


今回の朝ドラの主人公はよく天狗になります。おだてられると弱いです。
僕もよく天狗になっていました。今もかもしれません(?)

謙虚さのない演奏に人は耳を傾けてもらえないと思っています。しっかりと自分を見つめながら、言葉ではなく音で相手に伝えられる奏者を追い求めていきたい今日この頃です。

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