お姫様になるために

最近、嫌な情報ばかりが目に入ってくるので、心が荒みがちだった。かといってそれを表に出しても周囲に不快感を与えるだけなので、内なるシェルターでひとり腐っていた。

けれど、こんなではいけないな、と思う。私はお姫様になりたいのだ。気高く、賢く、慈愛に満ちた人間になりたいのに、遠ざかるようなことをしていた。自分を戒めた。ネットには、苦しくなる情報もあるし、何かに怒っている人たちもいる。社会問題から目を背けるのは不誠実だが、かといって腐っていても何かが変わるわけでもない。

最近、日本史や古典文化への関心が高まっていて、日本の歴史や古典に触れると、やはり現代まで続く問題の温床があるなと感じる。同時に、現代には失われつつあるように思われる美しいものもあるように思う。私は現代文・古文・漢文全般を教えているが、古文を教えるときは現代人の常識・感覚とのズレがある箇所にツッコミを入れながら解説する。(そうしないと文章の意味がわからない生徒もいるし、その方が盛り上がる。)たとえば、貴族の男が女の家に勝手に上がり込んで、我が物顔で「奥へは入ってくるな」と女を奥へ入れさせない(女の家なのに!)、という場面が出てくる古文を扱ったとき、「この男最低すぎるよね」「ヤバすぎますね」などとツッコミを入れ、生徒と笑いながら楽しく解説した。これを「ありえないよね」、「ヤバいよね」とみんなで笑えているということは、その点に関しては現代はいい時代になったのだと思う。まだまだ改善すべき点はたくさんあるが。

古典を学ぶ意義のひとつは、私たち現代人が当たり前と思っている常識が当たり前でないことに気づくきっかけを得られることだと思う。普段、自分が生きている時代の価値観の中で暮らしているから、それが当たり前すぎて、人はなかなかそれを相対化して見ることができない。古典や歴史に触れることで、それが当たり前でないことを知ることができる。それによって、自分たちの生きる時代を批判的に見ることができる。いいところも悪いところも、相対化しなければなかなか気づけない。

ともすると負の側面ばかりが目についてしまうが、良い面にも目を向けて、前向きに生きたい。お姫様になるために。

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