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STORY「ある漁師の物語」

舞台:熊本県天草市﨑津

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﨑津で迎える年齢と同じ回数の冬。道の端に散っている凍てついた枯れ葉を踏みしめながら我が舟のもとに向かう。白い息はすっと海面から立ち上るけあらしとともにどこかに消え去る。舟のエンジンをかけると身震いするかのような一筋のエンジン音が一瞬漁港に鳴り響く。

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漁港を抜けるとまっ先に向かうのが、漁師の航海の安全と豊漁を願い、静かにたたずむマリア様だ。そっと祈りを捧げ、かじかんだ手を温めながら我が戦場へと向かう。

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漁のスタイルは昔から変わらない。この歳になって一人で海に出ることに反対する者もいるが、一人で海にでてこそ一人前、と長年すり込まれたプライドは、そのスタイルを曲げることを許さない。また歳を重ねるうちに、誰にも邪魔されないこの時間が好きになる傾向が強くでてきた。

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我が戦場近くには多くの戦友もいる。皆、この海に頼り、ときには畏れながら暮らせば、豊かな海の幸に恵まれることが分かっている。大物を釣る腕は年とともに悲しくなるほど落ちたが、それも神様の思し召しだと思い、時折釣れる大物を目にすると昔以上に喜ぶようになったと我ながら思う。

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日が昇るころには一旦漁港へ舟を走らせる。けあらしはすっかり消え去り、はっきりと姿を現した教会の尖塔を横目に我が家へ戻る。暖炉にゆらめく炎を眺めながらくすんだ窓の外に目をやると、路地の間を縫うように歩く猫が身震いするのが見える。

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夕刻前になると再び海へと向かう。夕飯用の魚を釣るためだなどと周りにはいっているが、本当は広大な天草灘に魅せられ、日々異なる景色を眺めに行くのであった。

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自然の織りなす様々な光景に幾度となく出くわしてきたが、太陽が水平線ではなく海の中に入り込んでいくあの光景だけは死ぬまで忘れないだろう。あれは夢か幻だったのではないかと、時折ふと思い出しては脳裏にやきつけた映像を幾度となく再生させる。

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最後に立ち寄るのはやはりマリア像。一日の感謝の祈りを捧げるのを未だ忘れたことはなく、それが自慢でもあった。そっと目を開けマリア様を見上げると寒さでひきつった顔がほんの少しゆるむ。

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冬の早い日暮れは本格的にはじまっている。舟を定位置に手早く係留し、空を見渡せばマジックアワーの光景が姿を現す。気づけばひとつまたひとつ星がまたたきはじめていた。

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日本の伝統宗教とキリスト教が共存する﨑津。その歴史を築き、守り、そして受け継いできた先人達への想いを馳せながら漁師は今日も帰路につく。





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