「動きたいのに動けない」って

どういうことでしょう?
わからないならスルーしてください。わかる人は寄っていってね。
私の気づきが誰かの気づきの道標になりますように。

私の辿り着いた結論から紹介しましょう。
「動きたい(ほんとは後ろめたいから動かなきゃいけないとびくびくしてる)のに(から)動けない(動くのが怖い)」

ってこと。要は前半部分が心から思ってることじゃないんですよね。自分の思ってることじゃない。見えない誰かの(親の?世間の?)顔色を窺って怯えて、それに後ろ指さされたくないからそう思い込もうとしてるだけ。そう言っているだけ。

ほんとは「動けないくらい疲れてるから動きたくない」が自分の心の正直なところ。

なぜそれが自分で分からなかったかというと、「後ろめたいと思って怯えてる」自分に蓋をしていたから。後ろめたい自分を無視していたから。怯えてる自分に気づかないでいたかったから。(この程度のことでorこんなにたくさん休んだのに)疲れ切っている自分を認めたくなかったから。
こんなところかなあ。

まずは「後ろめたい自分」も「怯えている自分」も「疲れ切っている自分」も認めてあげるところからなのに、それを無視していたから苦しかったのだと気づきました。

だから、まずはつぶやいてみましょう。言葉にしてみましょう。文字で書いてもOK。
後ろめたかったんだなぁ、とか。疲れてることを認めたくなかったんだなぁ、とか。怖かったんだなぁ、とか。

別に無理やり受け入れようともしなくていいし、変えようとしなくていい。
ただ「そこにいる、見たくなかった自分」を見つめて言葉にしてみてください。
次第に、そんな自分もいるよね、って受け入れていく自分がいることに気づくはず。そうしたら、「動きたいのに動けない」は「動きたくないから動かない」か「動きたいから動く」に変わっていきます。どっちもイイよね。

あなたの意思をあなたの心のもとに取り戻せば、「やりたいはずなのにやれない」はなくなるんじゃないかな。

あなたの意思は「ほかの誰か」じゃなく、「あなた」が決めるんです。

多分これを読み返して恥ずかしくなる私へ。それでも自分の気づきをシェアしたいと思ったから書いたんだよ。

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