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戦場のパーティ

佐藤正午の「月の満ち欠け」を読んだときに、若い頃よく「同じ家に帰る」夢を見ていたことを思い出しました。わたしはなぜか「その昔、わたしが死んだ」ことも夢の中で知っていました。「月の満ち欠け」みたいに、自分の前世の記憶を描いてみたいな、そう思って作ったのがこの短編です。


「戦場のパーティ」


夢の中で、わたしの家はいつもここだ。

大通りから横道に入り、大きな川の堤防へと向かう。アップダウンの激しい人家の少ない畦道だ。堤防にぶつかる。左方向に曲がる。今度は急な上り坂が続く。両側には背丈ほどの紫陽花。荒々しい坂道だ。
その坂の中腹に、わたしの住む2階建ての木造の家はあった。

わたしは27才。
父母はすでに存命していなかった。大きな木造の家にいるのはわたしひとりだ。
わたしには仕事があったのだと思う。わたしは毎日坂を歩いていたからだ。でも、どういう仕事だったのかは詳しくは思い出せない。
簡単な事務作業だったのだろう。大きな口ひげ男が「今日はこういう書類を作ってくれ」とか「これをまとめてくれ」とか指示して別の部屋に行く。わたしはそのあと一日中閉じこもってひとりでその仕事をしていた。
当時は戦時中で、どこか落ち着かなかった。
さみしいとか心細いという感情の行き場所がなかった。
わたしは、なすべきことをこなしてはいたけれど、ぼんやりと生きていた。

わたしはふわふわしていた。
感情というものを自分の中に育てることができない。
戦争のせいかもしれない。
あるいは、持って生まれたものだったのかもしれない。
さみしくもなかったけれど、楽しくもなかった。
生きていくというのは、夜が明けて朝がきて、食べるものがあって、それ以外になにがあるのか?
わたしは何も知らないままに死んでしまったような気がする。

そのあたりの記憶はあいまいだ。

ある日、家に帰ってくると、夕暮れに玄関を叩く人がいた。
若い男性だ。めずらしい、と思った。若い人はみんな戦争に行ったと思ってたのに、まだ、こんなところにいたんだ。

「数日中に家を出てください」目のくりんとした坊主頭の少年は言った。白い開襟シャツを着ていた。
「空襲が激しくなっています。ここは飛行機工場の裏手になるから爆撃を受けたらいっぺんに燃え移ってしまう。そうなる前に退去してください。どこか身を寄せる場所はありますか?」
「はい。親戚に疎開します」とわたしは言った。
嘘だ。田舎なんてないし、身を寄せる家なんてない。正直にそう言って、そのあとのやり取りをするのが面倒だった。

「残念ですが、この家は壊すことになると思います。延焼を防ぐためにです」
「そうなんですね」
「景色のいい家ですね。坂のとちゅうの紫陽花がここからは広くに点在してみえる」
「そう、縁側から見るとね、海の中に白い波が見えるみたいに、明るい色の紫陽花がそこらじゅうに見えるんです。まるで、船上でパーティしてるみたいに」
「戦場のパーティ?」

わたしは言葉の意味が上手に伝わらなかったことを後悔した。
わたしは喋らなさすぎたり、喋りすぎたりしてしまう。
そして、だいたい正確には伝わらない。

「外来語をむやみに使うと叱られます。でも。自分はそのパーティというものをいつか楽しんでみたい。どうか、安全に避難してください」
坊主頭の少年はそう言った。

「いつか」?
「楽しんでみたい」?

いつか、先のことなんて考えたことあっただろうか? そしてそれが「楽しんでみたいこと」だったことなんてあっただろうか?
そういう未来があるのか? 
そう思いながら、少年の目を見た。漆黒のビー玉のような目だった。

その目を見たときに、今まで感じたこともないなにかを感じたことを覚えている。
ぽっと。ろうそくの火が灯るような感覚だった。
何も変わりはしなかった。ただ、ろうそくの炎の分だけ、世界が明るくなったような感じがして。
そして、炎はすぐ消えた。

わたしという月は急速に欠けていって、それから先のことはおぼろげに覚えているが、痛みもなにもそこにはなかった。
勧告にも従わず、行く場所もなかったわたしは、炎に包まれて、この家の中で朽ち果てた。
悔しさも後悔もなかった。
わたしは死ぬ前にずっと欠け続けて、新月になってしまっていたのだ。
わたしはふわふわのまま死んでいった。

******


27歳をすぎてはじめて、いつも夢に出てくる家が、わたしの昔の家だったことに気づいた。
前の世界のわたしは27でなくなったのだ。わたしはその後の人生を生きてみようと思った。

わたしはあいかわらずふわふわしていた。

それでも恋もしたし28歳で結婚した。少し強引なところのある人で、わたしを孤独な世界から外へと連れ出してくれた。
ふつうの結婚、そして夫の帰りを待つこと。夫はわたしの作る食事はどれもおいしい、と言ってよく笑ってくれた。
そんなことが自分にあるなんて思いもしなかったので、とても驚いた。
なのに結婚生活は長くは続かなかった。
夫は職場に好きな人ができて、ある日、わたしにあやまる長いメールを送って、そのまま帰ってこなくなってしまった。
メールも携帯電話もその日をさかいに通じなくなった。

どうして、腕の肉が削ぎ落とされるように痛いんだろう?
どうして、内蔵をひとつ掴みにされたみたいにカラダが苦しいんだろう?
どこか身体の一部分を持っていかれたようだった。
またわたしは欠けていきつつあった。生きていく感覚は急速になくなっていった。

そういう時間を長く長くやりすごして、それでもなぜかわたしは生き続けた。

わたしはまだ2回しか生きてないから、いろんな感情をうまく処理できないのだろうか?
とすれば、まわりの人は、もう何度も生まれ変わった人ばかりなのだろうか?
苦しいことから順番に覚えていった。
苦しいときは、こんなに身を削がれるってことから覚えていった。
だけど、不思議なもので、苦しいことがあれば、相対的に楽しいことがわかってくるってことにも気づいた。

そんなわたしのことを心配して一緒に夕飯を食べてくれる女友達ができたり。
給料日には男女いっしょのグループで居酒屋に行って大騒ぎをしたり。
そして。酔っ払った男が私の家に泊まったり。
それでもつきあうことはなかったけれど。
ささいなことがどんなに楽しいのかわたしには少しずつわかってきて。
「でもさ、生きていると楽しいこともあるよね」
そんなことをやっと言えるようになってきた。

働いている福祉施設のデイサービスで、わたしは昼休みに外に出ようとする男性の見守りをする。
玄関の椅子に座って、井本さんは杖を自分の脇に置き、入道雲の様子を見ながら、今日の天気の予想をしたりした。
「出たらどこに行くかわからないから、出ないように気をつけて」と言われるけれど、井本さんは外には出ない。
この椅子から外を見ながら、いろんな話をしてくれるだけだ。
そして、その話を聞くのが、わたしはとても好きだった。

「ほんとは飛行機乗りになるつもりだったんだよ」
ある日井本さんは言った。
「飛行機に乗るための試験を受けに行ったんだけど、そのとき蓄膿症がひどくてね、不合格になってしまったんだ。まわりがみんな行ってしまって、自分が乗れないのはつらかった。けど、それでも自分はこの年まで生きているね」
井本さんは少しばかり記憶があやふやだけど、昔のことはよく覚えている。
「坂の下町のあたりにいたんだよ」
「ここから10キロほどのところですね」
「ああ。もう工場が空襲でやられるだろうってことで、まわりの人を疎開させるためにずっと説得して歩いてたんだよ。坂のとちゅうの家に住んでたお嬢さん。どうなったんだろうかって時々思うんだ。わたしが訪問した日の夜に空襲があって、あのあたりは焼け野原になったからね。疎開するって言ってたんだけど、ちゃんとすぐに出られなかっただろうなあとか。いまだに心配になるんだよ」

それはわたしだ。
生まれ変わる前のわたしだ。
わたしは逃げなかった。
そして、新月のように真っ暗なわたしになって、記憶をなくして、消えていったのだ。

「井本さん。そのひとはきっと今も生きてますよ。わたしにはわかります」
「そうかなあ、そうだといいなあ。そうだ、お嬢さん、あなたにちょっと似た感じの人だったよね」
「きっと幸せに生きてますよ」

そうだね。この年まで生きたんだもの。幸せでいてほしいよね。
井本さんはそう言いながら、入道雲の空を見上げた。

面影のある顔。ビー玉のような丸い眼球。
そうだ。あのとき、わたしはろうそくの火がぽっと灯るような気持ちになったのだった。

あの気持ちをなんと言うのか、今のわたしにはよくわかる。
よくわかるようになるまで今度は生きられて、ほんとうによかった。


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