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ミドリの森 11 ミドリ

※ 書きかけの小説を少しずつアップしています。
完結させるためのエネルギーにしたくて。
連作ですが、一話ずつ読めます



シャワーを浴びていたら、足もとに真っ赤な鮮血が落ちた。
あざやかな赤が、きれいな形になりそこねた花火のようにタイルに飛び散る。
痛みはない。
こころあたりはある。
シャワーでその赤い血を洗い流した。

それから、赤い血の「こころあたりのある場所」を指でさわってみた。
少し粘り気のある血の塊が指にまとわりついた。

ああ、真っ赤な血だ。

わたしのカラダはなんの痛みもなく、こんなに赤い血を外の世界へと差し出し続けていた。
毎月毎月。
生きるための「スタンプカード」のように。規則正しく差し出し続けた。

もう、スタンプカードはそろそろ満杯のようでスタンプを押す場所がなくなっていって。
だから、きちんとした場所以外に乱雑にスタンプが押されてゆくんだろう。

わたしは、お店で使われているスタンプカードを思い出して、ちょっとおかしくなって笑った。
わたしにはもう、新しいスタンプカードは発行されない。

身体を全身鏡に映してみた。
毎日見ていて、さほど変化があるようには見えない。
それでも、わたしの中身は少しずつ変わっていってるのだと思う。

真っ赤な鮮血は不意にやってきたり、長いことやってこなかったり、びっくりするほどの量だったりして、「不正出血」という言葉を使ってもいいのかもしれないと思った。
が、婦人科を訪ねるほどのものではないことはなんとなくわかる。
外に出てゆく血は、なにか、わけのわからないものをわたしの身体から奪ってゆく。
でも、奪われてもいい、
奪われれば、少しは楽になるかもしれない。

わたしは30代を終えて40代になった。

*    *    *

新しいお店でのポジションは「チーフマネージャー」という名前だ。

仕事の内容はさほど変わらない、と言いたいところだが、どちらかというと管理業務の方が増えて「シフトの調整とか」に時間をとって、じっくりと現場にいることはできなくなってしまった。

頭の入れ替えが大変。

誰かの爪に「ネイルの宇宙」を作り上げる時間と、スタッフの出社できる日と休日をパズルのように調整する時間。

ふたつは頭の使い方はなかなか同居できない。

ショッピングモールの「ネイルサロンドルチェ」を撤退を決めかけていた頃、ナコは事故でなくなった。
サトミは本店に移動することなく退職した。
ネイルサロンドルチェはなくなり、わたしだけが本店の「サロン・ド・ドルチェ」へ移動になった。

今でも、わたしは頭の中で彼女たちに話しかけてしまう。

ねえ。ここのお店はね。スーツ姿のサラリーマンがお店の外を歩いているところなんて全然見えないのよ。
外国の、たとえばバリ島のリゾートホテルみたいな感じなの。
リンパマッサージや脱毛、フェイスマッサージ、なんでもできるし、施術者以外とは会うこともなく、気持ちのいい個室の空間でゆっくりと時間をすごすことができる。
施術のあとは好きなドリンクをオーダーして、パウダールームの化粧品を使いながら、心ゆくまでメイクアップもできる。
低いボリュームでどこの国の音楽かわからないものが流れていて。
ひとりでリラックスした時間を過ごしたいのなら、すごく最適な空間なのよ。
ときどきお客様たちは「生理の乱れや更年期の症状」についておしゃべりをするけれど。
それは「風邪をひいたからトローチを買おうと思って」くらいのニュアンスにしか聞こえなくて。
たぶんそれは、お金をかけて何かを解決できる人の生き方なんだと感心してまうけれど。
心地よい雰囲気と心地よい身体のために。お金と時間をかけられる人。あるいは、かける価値があると思っている人の場所なの。

おかしいわよね、ここの休憩室には白熱灯で、カップヌードルの匂いが染み付いているのにね。

他の部門の人と休憩が重なることもあるけれど。パートの人たちは、手短に食事を済ませて夕飯の買い物にいく人もいる。
「ミドリマネージャーには、そんなご苦労はないだろうから」とか「人のために作る食事に追われるのも大変」という言葉に耳を傾けていると「家庭という守るべきものがないから、フルタイムで自分の好きな仕事ができるのだ」
というふうに、彼女たちがわたしのことを見ていることに気づいた。
家庭はない。
わたしはずっとひとりだ。
いつのまにか、男は電話には出なくなってしまった。ブロックされていることに気づいたが、それもそうだろうなと思った。

「え? 夜は外食が多いんですか? わあ! 素敵、なによりも羨ましい。わたしなんか子供がリトルリーグだから、食べる量も多くて」
という言い方が、一種のマウンティングであることにも気づいた。

ねえ。サトミ、ナコ。
ここのスタッフはとてもきれいで技術もすごいけれど、いつも何かを比べたがっているよ。
わるい人じゃないと思うんだ。子供育てながら一生懸命働いて、誰かと比べると自分の立ち位置がわかるんだと思うんだよ。人はそんなふうにして自分の立ち位置を決めてるんだろうなってことに、この年になってはじめて気づいた。
不思議だね。
わたしたちは、お互いにぜんぜん違っていたのに、相手の生活に興味を持つことすらなかった。
わたしはナコのおかあさんのお葬式にいくまでナコの家族のことなんて知らなかったし。
サトミも不登校でやっと卒業した学校のことはずっと話さなかった。

わたしたちは自分のことだけで精一杯だったんだよ。
自分の沼や、自分の足首を掴む手を払い除けることだけを考えていて。
誰にも興味はなかった。
何年も何年も。
余計な興味ももたずに、3人で一緒にいた。
無関心でいてくれるあなたたちのことが。

自分のことしか興味なかったくせに、無関心でいてくれたあなたたちが傍にいてくれたことで。とても安心できていたような気がするんだよ。


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