気分はもう集団農場

希薄になったと喧伝されているご近所づきあいだが、それなりに残骸はあるものだ。不本意なから、出勤前に「✕✕(地元の市の名前がひらがなで入ります)クリーン作戦」みたいな名前の要するに清掃活動に従事してきた。
暑くも寒くもない朝9時、近所の中学校へ集合する。すでに人はわらわらと集まっていた。時間がくると、おもむろに市役所の清掃課を名乗る男性がくだらない挨拶をした。その男性が話し終えると、次は出所不明の婦人が話し始めた。
いわく「とても天気がいい日に掃除をすることで、街はキレイになるし心もキレイになる。また、ウォーキングを兼ねるので、健康も手に入ります」とのことだった。くだらないを通りすぎて、殺意すらわいてくる話の内容とその口調に私の機嫌の悪さはなかなかのレベルに達していた。

徒歩で40分かかる駅までの距離を二時間かけてゴミを拾いながら歩くと説明を受けた。私は、自身のおかれた環境に絶望し、隊列の先頭でしゃかりきにゴミを拾うことを決意した。

街に落ちているゴミの殆どがタバコ関係である。非喫煙者でありながら、普段は喫煙者に寛容な姿勢の私ではあるけれども、この事実については非常に腹が立った。こうして、喫煙者と非喫煙者の溝は深まっていくのであろう。
一人の婦人は歩道から身を乗り出して車道のゴミを拾っていた。そこは夜中に国交省の清掃車が通るだろ…と思うと同時に、その婦人をよけるためにイチイチ車が減速しているのを見て「ああいうのが渋滞の原因なんだよなぁ」と思った。カロリーを消費して、危険をおかしながら、実は渋滞の原因となっていることに気づきもしない婦人の脳には同情を禁じ得ない。

並走している市役所の街宣車が「ただいま清掃活動をおこなっております~」とのびきったテープで告知をしていた。すっかり細くなった声と伴奏は、まるで共産国家のプロパガンダ放送のようだった。

ゴミ拾いが国道沿いにさしかかった。ここにはたくさんのゴミが落ちている。すると、先導していた役人は我われに言い放った。

「ここはきりがないのでとばしましょう」と。

真面目にゴミを拾っていたジャージ姿の中学生はイマイチ事態をのみ込めないでいるようだった。私は「やるならさいごまでやれよ」という、早起きさせられた恨みも相俟った怒りに震えた。

目的地の公園に到着すると、ほぼ空のゴミ袋が回収された。かわりにパックのお茶が配られた。私は、そのお茶を流麗に断り、拡声器を持ってなにやら言葉を発している役人の集団をあとにした。間違いなく、その日もっともゴミを出したのは清掃活動の連中である。

駅まで自腹で買ったコーヒーをのみながら「ソビエトの集団農場ってこんな感じやったのかなぁ」と思い、出勤した。

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