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私の中の父

※上の写真はイメージで、本人ではありません。

私がこの地球に生を受けたのは、1980年代のはじめのほう。秋の終わり頃でした。今でも、晩秋の空気の冷たさが大好きです。

生まれた場所は大都会です。大きなビルが立ち並ぶ場所まで、徒歩圏内の場所で育ちました。

そんな私が最も影響を受けた両親の話をご紹介します。まずは父から。

今まで本人や親族から聞いてきた話ですが、もしかしたら、私の解釈により、事実と異なることもあるかもしれません。でも、私の心の中にいる父はこんな人。そんな視点でかいてみます。

父親不在で生まれる

父は、今でも畑や田んぼが広がるのどかな田舎の出身です。

祖父は僧侶で、家はお寺さんでした。本堂と住居がつながっており、本堂はきらびやかな仏像が祀ってあったことを私も鮮明に覚えています。

父は4人兄弟の末っ子。

父が祖母のお腹の中にいる頃、祖父は法事から帰ってきたあとに、突然蕁麻疹が出て、亡くなったそうです。

その後、父の兄は奉公に出され、祖母は地元の幼稚園や小学校で先生をしながら、残りの3人を育てたとのこと。しかも、3人とも大学まで行かせることができた!女手一つで。今、私が思うと、尊敬ばかりです。

でも、そのような家庭だったので、父からは「お金のない家だった」という話を聞きました。

そして、私の父は、「父親」という存在を生まれてから感じることができずに生きてきた、ということになります。父親像がない状態で父親になるってどんな感じなんだろう?私には図りしれないことだなぁと感じます。

結婚&私が生まれる

父は大学から大都会に出て、大学卒業後は地方公務員として、福祉関係の仕事をしていました。敬老関係、障害者関係の施設や仕事を私も少し手伝ったことがあります。

父と母は、お見合い結婚だったと聞いていますが、私が恥ずかしくて、あまり詳しくは聞けていません。そこを聞ければ、もっとぐっと親子の関係が近づくかもしれませんね。どこまで話してくれるかわかりませんが(笑)

私が生まれたとき、父は30代半ば。
タバコもお酒も大好き。ベランダでタバコを吸っていた父の背中を、なんとなくぼんやり覚えています。

でも、私が幼少期に喘息を発症したため、父はタバコをやめることになったそうです。

公務員だったため、夜の帰宅も早く、赤ん坊の私をお風呂に入れる役目は、もっぱら父。母は「一度もあんたをお風呂に入れたことがない」って言っていたくらいです。母が働いていたということもありますが、当時としては珍しいイクメンだったんだと思います。私のことも大好きでいてくれている、そんな印象をぼんやりと覚えています。

ただ、時に気分屋なところもあり、母に「パパは今、機嫌が悪いから、あまり話しかけないで」と言われたこともあり、その時は、子供心に、何か触れちゃいけないものがあるんだと感じたものです。(今ではすっかり仏のような心のじぃじです。)

好きなもの

旅行と果物。昔はクラシック音楽も(今はどうかな…?)。

特に、父は旅行が大好き。今でも世界遺産のツアーに時々出かけます。旅好きの父のおかげで、私も小さい頃からいろいろな場所に連れていってもらいました。小さい頃のアルバムを見ると、北海道から沖縄まで、小学生に上がってからは海外も、たくさん連れていってもらいました。それが、私の旅好きにも影響しています。

ヴェネツィアは私も大好き

クラシック音楽は、また後ほど書きますが、私がピアノを習っていたからというのも大きかったかもしれません。母も音楽好きであり、家族でクラシックコンサートを聴きに出かけることもしばしばありました。

また、フランス料理などのフルコースや懐石料理に連れて行かれることも、年に何回か。特に、誕生日や記念日には必ずでした。幼少期はお金がなかったという思いもあったからなのか、少しハイソな雰囲気を堪能することが好き。今振り返ると、当時の父のことをそんなふうに私は捉えています。

私は恵まれていた

こうやって書いていくと、父のおかげで、私はとても恵まれた環境で育ったんだなぁと改めて感じます。

でも、今後少しずつお話していきますが、私はその恵みをきちんと感じることができませんでした。恥ずかしながら、親のせいにして、不満だらけで過ごしてきました。それは、父よりも母の影響が大きかったかもしれませんが。次は、そんな母のことを書いてみようかと思います。お楽しみに。

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