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逃げ道を作る

 恋人に怒られた。私には可愛いところがある。スキが増えるたび、フォロワーが増えるたびにLINEで逐一恋人にそれを報告していた。それに関して、一言。
「一喜一憂するな、数字に踊らされずに毎日エッセイを継続しろ」もっともな意見だ。耳が痛い。私の恋人は私の特性を完全に理解している。
 「褒められたら浮かれるし、貶されたら必要以上に落ち込むから、君は他人の評価を気にしない方がいい」
……。

 まだ皆さんに貶されることはないものの、明らかにスキが少ないとき、私はひどく落ち込む。評価されるために、読んでもらうために自分を切り売りしており、それ故に評価されない文章には価値がないように感じる。そして、価値のない文章を書く私にも価値がない。そう考えて、必要以上に落ち込む・頭を抱える・存在を疑う・死にたくなる。私は私の拙い文章で私のぞんざいな人生を擦り減らしているのだ。
 恋人はそこまで見抜いていたかはわからない、しかし、言うことは一理あると思った。

 今日別のサイトに小説を投げた。今日から毎日投稿していくつもりである。

まあ、伸びない。面白いほど誰も読んでくれない。(あなたが読んでくれたら、コメントを残してくれたら、いいねをしてくれたら、とても嬉しい)このままインターネットの海に沈んでいくと考えると、私の努力が水泡に帰したように感じる。
 報われない努力には意味がないと考えている。もし頑張って結果が出なかった時、果たして誰が私の価値を担保してくれるのだ、と思う。故に、中途半端に勉強して、ギリギリで一橋大学に不合格を貰い、それから今年は一切勉強をしていない。ここで私は逃げ道を作っていた。本気を出していない、といった逃げ道を。
 人は何か行動をしていないと絶望に支配される。全くの結果が出ないこの執筆業だが、(執筆業と言えるほどたいそうなものでもない)筆をとっているときは俗世の煩わしさからある程度は解放される。昨日、絶望は人を殺さないと書いた。絶望は死ぬより苦しいと。しかし、書いてる間は、その苦しさから、私は少しだけ逃れられる。……。
 やはり他者の評価は気にしない方がいい。他人に鈍感になって、粛々とエッセイを更新する日々を私は送るべきだ。
 他人を気にするのなら、この時間は一切の実りのない、無駄な努力だ。しかし、無駄な努力の時間に、私は安寧を感じている。それは皆さんに左右されない、確かなことだ。

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