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[読書記録] フランス組曲 第2部:ドルチェ

作者: イレーヌ・ネミロフスキー
訳: 野崎歓・平岡敦
出版:白水社

作者のイレーヌ・ネミロフスキーはロシア革命後にフランスへ移住したユダヤ人。第二次世界大戦下ドイツに侵略されゆくフランスを背景に、個人の運命と共同体の運命の間で闘う人々の性を壮大な2部構成で描く。


ドイツの占領下、フランスの田舎町ビュシーを舞台に、水彩画のような淡い透明感のある筆致で描かれる物語。ドイツ軍が各家庭に駐在することになり、フランス人とドイツ人は互いに躊躇いながらも、個人の人間同士として心を開き始める。そんな中、若く美しいリュシルは、24歳のドイツ軍中尉ブルーノとの間に安らぎを覚えるようになる。

国という共同体に対する責任を感じながらも、個人の自由を渇望する人間描写が美しい。その責任も、実際には、国の戦争のために世を去った大切な人たちへの、個人的な感情に根差すところが大きい。ユダヤ人作家のネミロフスキーが、第二次世界大戦当時の作品の中で、ドイツ人兵を優しさや家族のある人間として観察していることに驚く。

物語後半、ある事件を境に、個人としての関係性が結局は表面的なもので、敵国の人間は自分たちとは違うのかもしれないという疑心を持つ人々の描写が哀しい。激しい怒りや悲しさではなく、鈍い不審から始まるところが、なんだか現実的に映る。

ああ、マダム、それが私たちの時代の、いちばんの問題なんです、個人か社会かということが。だって戦争というのは、とりわけ社会的な産物ですからね。

p.369

失礼ながら、それは女の言葉です。男は情熱とは関係なく自らの義務を果たします。真に男らしいかどうかは、そこでわかるのです。

p.353

フランス人の若いリュシルに対する、ドイツ軍中尉ブルーノの言葉。現代では性別を2つに区分して話すことが疑問視されているが、この時代は戦争へとられるか否かが、1つの男女の基準だったのではないか。戦争に出ることは、即ち、考えるという人間の一番大事な能力を封じ込めることを求められたということなのだ。

不在も、死でさえも、過去を消し去りはしない。息子が来ていたピンク色のスモック、イラクサのとげが刺さり、泣きながら振っていた手。

p.131

この言葉を読んだとき、亡くなった人を思い出した。人生はその最期ではなくて、生きていたころの時間で記憶されるべきだと思う。特に、その人の人生に、確実に幸せな時間があったということ。

その人がいなくなって空いた穴は、必ずいつか自然に滑らかに埋められていく。それでも、壁を一部塗り直したみたいに、ほんの少し周囲に馴染みきらず、そこにはかつて大きな損失があったことに気付く。そういうことが、その人が存在したという証。

人間とは嘆かわしい生きものだ。敗北によって、彼らのうちに潜んでいた欠点がはっきりあらわれてしまうんですね。

p.439

戦争ではなくても、同じことが言えると思った。仕事での衝突、ニュースで観る政治、日常生活の喧嘩、あらゆる勝負事。勝者の感情は、喜びと余裕によって、明るく硬い平面で覆われる。一方、敗者の感情は複雑で、自分の奥底でおとなしくしていた本質が、浮き上がってくる。

ドイツ兵たちがリュシルに示す敬意には、どこか物憂く感傷的なところがあった。心遣いや優れた教育、女性に対する礼節のほうが、大酒を飲むことや敵陣を攻め落とすことよりも大事な美徳だとされていたかつての暮らしが、彼女のおかげで少しよみがえったかのように。

p.471

戦争の勉強をするより前から、私の周りには楽譜があった。バッハ、ベートーベン、シューマン、メンデルスゾーン。。。ドイツは私にとって、音楽で溢れている国、という印象から始まっている。ブルーノが芸術を愛しピアノを弾く人物であるという設定が、明確に言葉にできる理由はないのだけれど、とても好きだ。

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