これまでのキャリアパスを感情から整理してみた
こんにちは。ロックダウン期間中に、急激に腹回りに肉がついたことをロックダウンのせいで外に出れないだけで、ロックダウンが明ければすぐに腹回りの肉なんて落ちるだろうと楽観視しているゆうきです。
「あれ、もうすぐ26歳になるじゃん。
今までの自分のキャリアパスって正直どうだったんだろう。
将来的なキャリアプランについてはいつも考えているけれど、過去のことを振り返る機会って正直なかったな。」
と思い、ここにきて一度振り返ってみようかなという次第です。
なぜ将来のキャリアプランは考えていても、過去のことはあまり振り返らなかったのかというと明確な理由があります。
それは、過去を振り返ることは意味のない行為だと考えていたからです。
もちろん、未来の意思決定をより良いものにするために過去を振り返る行為は行っていました。
※僕はこの思考プロセスを反省のための振り返りと定義しています。
ただ、現在に立ち返るために過去を振り返る行為には、「あの時こうしておけば良かった」と感じる可能性をぬぐいきれず、今まで考えてきたことはありませんでした。
※僕はこの思考プロセスを後悔のための振り返りと定義しています。
また、
「変えられない過去のために振り返りを行うなんて時間がもったいない。」
とも考えていました。
にもかかわらず、このタイミングで過去の振り返りを行おうと思った理由としては2つあります。
1つめは、ありがたいことに、後輩や同期から転職についての相談をされることがとにかく増えたことです。
色々な人の相談を受ける中で、一度じっくりと自分とも見つめ合わなければいけないのかなと思い始め、「現在のキャリアを考えるための過去の記憶」というパンドラの箱を開けて考えてみることにしたのです。
2つめは、過去の選択に感情を左右されることはないと言い切れるようになったからです。
こちらに関しては、こちらの記事を読んでいただけると経緯を全て理解していただけると思います。
この記事を通して、以前の僕と同じ思想の方のお役に少しでも立てば幸いです。
これまでのキャリアパスを感情から整理してみた
キャリアパスについて考える上で、感情的側面から考えることが一番わかりやすいのではないかと思っています。
なぜなら、思想の根幹部分には必ず感情が存在しており、切り離して考えるとができないからです。
そこで、自分の感情の変遷を以下の4つに時系列で分類してみました。
※今思うと、起承転結が綺麗に揃っていますね。今後は今の価値観を生涯通して貫いていく気がしています。
1 思想独裁期
→王道が王道と呼ばれる所以には理由がある。王道こそが人生の最適解に違いない。誰の指図も受け付けない。
という時期。
2 論理至高期
→論理的に考えると、こっちのキャリアプランの方が正しいに決まっている。他人のキャリアプランに口を出すなら数字で証明しろ。
という時期。
3 思想革命期
→もしかして幸せって人によって違うのかも。論理的に考えても答えが出ない価値観は、エポケーとして放置しても良いのではないだろうか。
という時期。
4 孫を愛でるおじいちゃん期
→大丈夫。君の考えることは何でも正解だよ。なんたって君の人生だからね。
という時期。
こちらの記事では、上記の4種類の感情変遷について時系列で振り返っていきます。
まずは、高校から社会人超前半(外コン時代研修期間)あたりまでの感情である思想独裁期についてです。
王道キャリアパスが社会的成功者になるための唯一の方法である
「まずは世界トップレベルの大手企業に就職して、数年でできるだけ多くのノウハウを盗み、今後のキャリアパスへの布石とすべし。」
この思想の頃の標語を作るならこんな感じになります。
※まぁ、仕事を辞める選択をハナから考えている時点で王道ではないと考えている方が大多数だと思いますが、少なくともこれは僕の個人的な感情なので、ツッコマないであげてください。
この時期はとにかくノウハウ・知識という言葉を盲信している自分がいました。
・他の選考者よりも優秀に見せるためにはどうすれば良いか。
・より綺麗でわかりやすい資料を作成するためにはどうすれば良いのか。
・優秀なコンサルタントと呼ばれる人間が持っている共通項はなにか。
・同期と差別化をするために蓄えるべき知識はなにか。
などなど
とにかく、王道エリート人生を進むためのゴールデンチケットを手に入れるためにやらなければならないことを徹底的に考え抜いた期間でした。
言葉の通り、他人を蹴落として昇進することや認められることに躊躇が全くなかったと言えます。
映画とかでよくある「お前はここで引き金を引かなければならない」というシーンで、全く躊躇わずに引き金を引ける人間だったと思います。
※もちろん、誰も蹴落としてもいないですし、引き金も引いていないですが意識としてはこんな感じでした。
極端な考え方ではありましたが、おかげで貪欲に学習する癖をつけることができたので良かったとします。
今の自分が持っているスキルや知識の5割〜6割くらいはこの時期に身につけたのかなと思います。
次に、合コンで絶対会いたくないやつの特徴である論理至高期に突入します。
数字こそ論理のエッセンス。意見をするなら定量的な論拠を述べよ
「対象を全て数字という可視化対象に落とし込むことこそが正義であり、それ以外の情報は全て詭弁である。」
この思想の頃の標語としてはこんな感じですかね。これまた極端な思想であることは理解しています。
外資コンサル時代、プロジェクトに配属されてから会社を辞めるまでの期間が当てはまると思います。
配属先の上司から毎日理詰めをくらいつつ、文字通り朝から晩まで仕事をしていたこともあり、プライベートと仕事の境界線が崩壊しました。
※仕事自体は好きだったので、個人的には影響はなかったのですが周りの人が迷惑だったかも。
例えば、明らかにめんどくさいと思われてたんだろうなという考え方としては、
「待ち合わせに10分遅刻したことによって、僕の人生における経済損失が〇〇円発生したのだが、どうやって埋め合わせしてくれるのかね。」
みたいなやつです。
「言っていることは確かに間違ってはいないんだけど、普通にウザくね」っていう物言いってあると思いますが、いわゆるその類の話し方をする人間だったと思います。
というのも、会社において
「君が今行っている作業が出戻りになることで、君の資料をレビューする上司の時間を奪うことにつながり、はたまたその資料を発表で使うマネージャークラスの時間を奪う行為になることを理解している?つまり、この会社ではトータルうん百万円以上の余分なコストがかかるんだよ。」
ということを常々言われてきたからだと思います。
会社という組織では、確かに正しい行為だと思います。
できるだけ損失を生まないために、功利主義的な思想に振り切ることが悪だとは今でも思っていません。
人に納得感を持って何かを伝えるためには、数字が有効であることは間違いないので。
そんなこともあり、
「数字を使って相手を論破することが社会人としての正しい発言だ」
と考えるようになり、上司だろうが数字という客観的根拠を利用して完膚なきまでに叩き潰すことが正義だと考えるようになりました。
※今思うと、生意気な部下でごめんなさいって感じです。
新しい知識を持った子供が、正義性を主張していじめを行うイメージが一番近いのではないかと思います。
コンサルタントとしての仕事を辞めるまでは、とにかくこの思想が自分の中では揺るがない正義として存在していました。
コンサルタントとしての仕事を辞めた後は、1年間程度フリーランスとして働くことになります。
この時期に、今までの数字至上主義の思想からコペルニクス的展開が起こります。
これが今の僕にとっての一番大きな人生での学びだったのではないかなと思います。
幸福度という目に見えない人生の評価関数は間違いなく上がったと言えます。
正義か悪かという2種類の価値観でしか生きてこなかった自分に「両者のどちらでもない」という選択肢が生じた期間だったからです。
それが、思想革命期です。
答えのない命題に無理して答えを出さなくて良いのかもしれない。楽しい人生が一番かも。
「人生の評価基準は人それぞれだから、今まで切り捨ててきた意見にも傾聴する姿勢を示すようにすべきなのかも...。」
この思想の頃の考えとしてはこんな感じですかね。一個人として優しくなれたような気がします。
現に親にも
「あんたの笑顔が人を不幸にする笑顔じゃなくなった」
という衝撃的な言葉を言われるようになりましたし。
※むしろ今までがどんな笑顔だったのか気になりますが...。
このような思想のパラダイムシフトが起きた理由は、仲良くしていただいていたフリーランス時代の上司に哲学の本をおすすめされたことです。
基本的におすすめされた本は即座に読むタイプなので、早速読んでみることにしました。
※ちなみに当時おすすめされた本は以下のものです。興味がある方はぜひ。
当時の僕は哲学関連の本を読んだことはありませんでした。
実用的な本以外に興味が全くなかったので、わざわざ読書ジャンルを広げようとも思っていなかったのです。
しかし、こちらの本に出会ってから
「哲学って教養としての側面だけでなく、実用的な側面も兼ね合わせている最強の学問なんじゃね」
と感じるようになりました。
おそらく、こちらの本以外の哲学書を一番最初に読んでいたら、他の哲学関連の本を読んでみようとは思わなかったと思います。
というのも、こちらの本では哲学という学問から、可視化された答えを提示したためです。
まさか哲学的観点からこんな興味深い数字が出るとは思っていなかったので盲点でした。
そんなこんなで一時期哲学書ばかりを読んでいました。
西洋哲学の特徴として、既存の答えを打ち崩すほどの新しい説が唱えられます。
時系列に西洋哲学を辿っていくと、
「確かにその通りだ、超納得!」
という感情に都度なりますが、次の時代の説に目を通すと
「あれ、こっちも正しそうだ」
となります。
答えを求めて哲学書を読んでいた僕はある日気づき始めていました。
「答えのない問いが世の中には存在するのではないだろうか」
ということに。
そんな当然のことを今更何言ってるんだという感じだと思いますが、
「お金がないよりはあった方が幸せに決まっている」
「頭が悪いよりも良い方が幸せに決まっている」
「1人よりも家族がいた方が幸せに決まっている」
という論拠はないけど、後者が当然正しいよねという感情を抱いたことはあると思います。
「物事に答えがないはずはない」と自分を鼓舞するために読み始めたのがヴィトゲンシュタインの論理哲学論考でした。
※今まで読んだ本の中で圧倒的に難解な書籍でした。今でも理解できません。
こちらの本では、哲学の問題を一挙に解決することを目的としています。
となると、僕の求めている答えはこの書籍の中にあると考えていました。
読み進めてみた結果、訳がわからなくなって途方にくれました。
そんな時に、「考えないようにする」という状態、エポケーとして処理するという逃げ道も人生には必要なのだと学ぶことになります。
そして、エポケーという処理方法を覚えた僕は、孫を愛でるおじいちゃん期に突入することになるのです。
逃げることも1つの正解。フィーリングも意思決定に組みこもう。
「仕事辞めたいの?海外で暮らしたいの?田舎に引っ越したいの?それを正解にしたらいいと思うよ!」
今の考えとしてはこんな感じですかね。
どちらの選択肢を選ぶかよりも、選んだ選択肢をいかにして正解にしていくかということに焦点を当てています。
これまでの僕であれば、正しさ度合いが49:51の場合は確実に51の選択肢を選んで生きてきました。
正しい=幸せ
ということに固執していたので無理はありません。
しかし、正解・不正解で考えることができない事柄もあることを知ってからは、上記の公式は証明することができないことがわかりました。
それからというもの、意思決定時の参考関数を
・合理性
・感情
の2軸で考えるようになりました。
評価軸を変えたことで一時期貧乏生活を余儀なくされましたが、結果として楽しかったのでオールオッケーです。
※絶対に貧乏になる選択なんて今までの自分だったら取るはずがなかったので...。
もし合理性だけを追求する人間であれば、間違いなくフリーランス時代にマネージャーとして働く経験もできていなかったはずですし、現在COOという職務にもついていなかったと思います。
合理性と人間性は相反する要素だと仮定すると、「正しさ」という合理性を追求しすぎることを辞めることによって、人間性がより豊かになったとも言えます。
これが僕の感情から見たキャリアパスです。
ちょっと専門的な話も入っててよくわからなかったという方のためにわかりやすくまとめると以下となります。
【キャリアパスを通した感情の変遷まとめ】
ヒトラー
↓
ロボット
↓
人
↓
孫を愛でるおじいちゃん
こんな感じです。
この感情の変遷を成長と呼ぶのか老化と呼ぶかは人によると思います。
ただ、両者はポジティブな物言いかネガティブな物言いかの違いだけで、現象自体は全く一緒です。
正解・不正解も人によって変わる表裏一体の存在なので、考えるだけ無駄だと思います。
自分の中で正解と思えば正解ですし、不正解と思えば不正解です。
なので、僕の今までのキャリアパスは全て正解です。
特に何かオチがあるわけではありませんが、僕という人間はこのような思想戦争を通して生きてきました。
僕という人間の約10年を5,600文字程度で振り返るとこんな感じです。
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