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「マネジメント」とは何かを考察した結果、得た気づきをまとめてみた

自分語りをするような記事は久しぶりですが、一旦自分の中でひと段落がついたこともあり、備忘録的な役割も兼ねて書いていきます。

この記事の流れとしては、以下の流れで進めていきます。

この記事の流れ
1 就活期の思考プロセスと選んだ職種
2 マネジメント初期の学び(前職時代)
3 マネジメント中期の学び(フリーランス時代)
4 現在の学び(海外勤務時代)
※私の中での初期と中期です。

まずは、なぜこのようなテーマで記事を書くことに至ったかの経緯を簡単に述べたいと思います。


マネジメント以外の職種を一切排除した就活期

マネジメント

私が大学の頃に仕事に求めている要素は以下の2つでした。

就活時に譲れなかった2つの要素
・プロジェクトマネジメント職ができること
・同期、上司が優秀な人間であること

就活時期はあまり深く考えませんでしたが、今上記の求めていた要素を見るとなかなか生意気な学生ですね…。

まずは、私の”今”に繋がっているプロジェクトマネジメント職は絶対に外せない条件の1つでした。


プロジェクトマネジメント職をやらせてくれる会社

今の日本では、新卒の学生にプロジェクトマネージャーなんていう役職を与えてくれる企業はありません。

この点に私は常々疑問を思っていました。


例えば、IT業界を例に挙げましょう。

技術的な観点とマネジメント的な観点は切り離して話すことができるのに、なぜ日本では同列にして両者が語られているのか。

プロジェクトマネージャーになるためには、プロジェクトマネジメントに関する下積みをすべきであるのに、何故技術的な下積みが必要になるのか。

下積み期間自体を悪いとは、全く思っていませんが「自分のキャリアにとって、意味のある下積み期間でなければ意味がないのでは?」とは思ってしまいます。

※その結果、PMO(プロジェクトマネージャーの補佐的な仕事)という職をファーストキャリアに選びました。


もちろん、IT業界で働くことを考えれば、技術的な観点を完全に切り離すことはできませんし、するつもりもありません。

しかし、限られた時間の中でどちらを優先的に選択すべきなのかということを考えることは必要です。

というのも、価値(わかりやすくお金で測るとします)を計測するためには他者との差別化が不可欠となります。


「20代前半でマネジメント業務に振り切ったキャリアプランをたてる人間って全然聞かないなぁ。ここで勝負しよう」という結論に帰着しました。

将来的に後悔しない選択をするためには、当時の自分の中で最良の選択をする必要があったので妥協はできなかったのです。


同期、上司が優秀な人間がいる会社

優秀という定義が曖昧ですが、私は社会的に”優等生”と呼ばれる人間を定義として会社を探すことにしました。

つまり、社会人として働く上で必要な教養は人生の中で身につけてきた(と思っている)人間が多い会社ということです。


天才と言われるアインシュタインやスティーブ・ジョブズですら、勉強をした上で独自の理論やモノづくりを行なっています。

彼らの全時代の人間が築き上げた論理を学んだ上での応用があり、初めから知識を応用だけすることなどできません。


では、仕事に関する知識はどのようにしたら習得することができるのだろうか。

このような疑問を抱くようになりました。


本で身につけることができる知識は、あくまでも知識にすぎません。

どんなにホームランを打てるようになる素振りの知識を得たところで、”身についた”とは言えませんよね。

実際に仕事に関する知識を”身につける”ためには、実際に現場で仕事をするしかありません。


仕事は勉強とは違い、”参考書”が会社によって違います。

「どのように会社としてスケールしてきたのか」、「どうすれば会社としてもっと良い仕事をとってくることができるのか」などという情報は機密情報として扱われるため、内部の人間しか知ることができません。

※こういった内容は、明確に参考書として存在するわけでなく、会社の体制などから推察することになりますが。


ベンチャー企業と大手企業という選択

ベンチャー企業に勤めるか、大手企業に勤めるかという選択は、ハナから大手企業一択で考えていました。

先に述べた、組織としてのスケールの仕方やあり方は組織として成熟している企業から学んだ方が早いと感じていたからです。


また、独自の仕事論を作り上げるためには基礎となる土台を作り上げる必要があると考えたからです。

※世の中の天才と呼ばれる人間でも、基礎から応用に移していったことを考えると、ここのステップを飛ばすことはあり得ないですよね。


学ぶことの第一歩は真似ること


オリジナリティを生み出すためには、まずは他人の良い部分を吸収することから始めようと考えました。

優秀な人の良い部分だけをかき集めることができれば、間違いなく「最強の」オリジナリティを形成することができると今でも思っています。

前置きが長くなってしまいましたが、上記のことを考えた結果、外資系のコンサルティング会社にてPMOとして働くということを選びました。


コンサンディング会社勤務時代の学び

マネジメント

まずは前職時代に身につけたスキルに関してご紹介いたします。

結論から言ってしまうと、人に話せるようなマネジメントスキルは当時は何も学べなかったというのが正直な感想です。

どちらかというと、仕事に困らない社会人になるためのビジネススキルをメインとして習得した感覚があります。

例としては、以下のようなものが挙げられます。

前職時代の学び
・プロジェクトの進捗を自動で管理するためのエクセルスキル
・誰がやってもできるような再現性の高いマニュアル作成
・仕事効率を上げるために必要となるフォーマット作成
・ボコボコに詰められても対処できる資料作成
→わざと詰められたい場所にアナを開けたりしていましたが…
・イシューからタスクに落とし込むための思考プロセス

当時は、大きな仕事をしている感覚がなかったので、面白みを感じていませんでしたが、今となっては非常に役に立っているスキルではあります。

※正直、上記のスキルがなければフリーランス時代も現在も仕事に困ってたと思います。

有難いことに社内の情報は比較的にオープンにされており、配属されている以外のプロジェクトの資料を閲覧することができたり、他の部署の上司にコンタクトをとることが許されている環境にいました。

特に実際に依頼すると何億とかかるコンサルのパワーポイントが無料で閲覧できることと、プロジェクトで利用しているプロジェクト管理フォーマットを触れることは至極有難いことでした。


コンサル出身者は専門性がない?

少し余談ですが、コンサルを出身者を「何の専門性のない人間だ」と毛嫌いする方がいますが、そこに関してはあまり否定はしません。

(そもそもコンサルティングに必要な知見は、現場で働くための知見とは別物だと思っていますし)

ただ、少なくとも同年代の人間の中で上記のスキルセットを保有している(会社で学んだ)人間にコンサル出身者以外で私は会ったことがありません。

長年コンサルタントとして働くと1つの分野を極めてきた人間との間に知識の差が開いてしまうかもしれません。


しかし、早い段階でコンサルウェイのビジネススキルを身につけて会社を立ち去るということは、コンサル会社の”美味しい蜜”だけを吸えるのではないかなと考えています。

※あくまでも個人的な感想です。

前職時代のことをまとめると、

マネジメント人材としての成長という実感はありませんでしたが、他の社会人よりは確実に一歩進んだ

というのが本音です。

前職の学びとしては以上になります。


フリーランス時代の学び

マネジメント

フリーランス時代はとにかく挫折の繰り返しでした。

正直、生涯で一番挫折を味わった時期と言っても過言ではないかと思います。


フリーランスとしての新たな旅立ち

フリーランス時代の初期は、仲の良い方から仕事をいただいており、経営的観点を学ばせていただきました。

具体的には、仮説思考の大切さであったり、ベンチャー企業で働くために必要なマインドセット等の思想的な観点でのサポートが非常に大きかったと感じています。

こちらの方の働き方から「論理的に正しいことを相手に伝えるだけでは、人を惹きつけることはできない」ということを学び、現在の私のマネジメントにおける根幹の思想が誕生しています。


また、経営的視点だけでなく、実務的なプログラミング知識を1から手解きしていただいたり、資金調達のための資料作りを手伝ってもらったりと何かと本当にお世話になりました。

※現在も定期的に仕事の進捗をお話させていただき、貴重なアドバイスをいただいております。

そんなこんなで特にこれと言った悩みもなく、フリーランスの初期時代を過ごしました。


人生の大きな岐路となったフリーランス中期以降

色々とありまして、一時期仕事がゼロになりました。

とはいえ、学歴をとっても職歴をとっても、自分よりも優れた人間などほとんど存在しないと当時は本気で思っていたので、腐る程仕事なんてあるだろうと思っていました。

※もちろん今はそんなことは思っていません…。

そこで、仕事を受注するためにCrowdworksやLancersに登録をすることにしました。

とりあえず、経歴と職歴をぶら下げて様々なコンペに応募してみましたが、なんと全滅。


今考えてみると、当然のことだったんですよ。

フリーランスとして何の実績のない若造に気前よくお金を払う人間なんていないですよね。

そして、1ヶ月の収入がブログによる1万5千円のみというとんでもない結末になりました。

その1万5千円も全部書籍代でとんでしまいましたので、実質ゼロでした。


お金の大切さを死ぬほど考えるようになった

お金というものが存在している限り、お金を稼がなければ生きていけないということを強く実感しました。

それからというものは、時給なんて考えずに、まずは「生きるだけのお金を稼ぐ」という人間として生きるための原点に立ち返ることにしたのです。

「とにかく仕事の数をこなしまくって業績を作る」ことを念頭に置くようになります。

そこで、まずはメディアの記事校閲作業を受注することにしました。

個人のブログでも毎月売上をあげることができていたので、仕事を選ばなければ受注することはそこまで難しいことではありませんでした。

※「あなたは本当にSEOの知見を持っているんですか」というレベルでも仕事を受けれたりしちゃうみたいなので…。


受注金額としては、1時間あたり300円という、人によってはアホみたいに感じるような額かもしれませんが、自分自身のキャリアの第一歩として開始しました。

とはいえ、闇雲に仕事量をこなしているだけでは全くもって成長には繋がらないと感じていたので、以下のマイルストーンを設定して働くことにしたのです。

初仕事の成り上がりマイルストーン
1 半月で自分の能力を相手に認めさせる
2 1月目で現状の問題点を洗い出して、社員に問題点に対する提案をする
3 給料交渉をする

とにかく、自分が仕事をできることを相手に認めてもらわなければ話になりません。

そこで、1日のほぼ全リソースを時給300円の仕事に投入しました。

どこにいってもエリートとして生きてきた人間としてはなかなかの屈辱でした。


ただ、この経験があったからこそ改めて自分を振り返る良い機会になりました。

ある程度実力を認めてもらえた段階で、社員の方に「校閲作業は校閲担当者の技能に左右するため、再現性がない」という提案をしました。

提案内容も認めてもらえて、記事の校閲者という立場からメディアマネージャーというポジションに昇進しすることになります。

※フリーランスなので、厳密には昇進ではなく仕事内容の変更ですが…。


ここまでたどり着いて、やっと時給換算で1,000円ほどです。

当たり前のように大学時代稼いでいた時給を、自分一人でゼロから稼ぐとなると大変だということが心から理解できました。

「お金を稼ぐのは大変」という言葉がありますが、まさに身をもって知った瞬間でした。


ちなみにこの頃は、海外で粛々と貧乏生活をしていたので、とにかく家に帰りたかったです。

「今帰ったら人生の一生の汚点。ダサすぎるから死んでも帰らない…。」という確固たる意思で食らいついていました。

当時の生活については、以下の記事で触れていますので興味がある方はこちらを見ていただければと思います。

【安くない?】フィリピンの物価を実体験をもとにご紹介します


フルリモートマネジメントの辛さ

メディアマネージャーと言っても、フルリモートでマネジメントを行わなければなりませんでした。

要するに、「担当者の顔やバックグラウンドが全くわからない」人々を管理する必要性があるということです。


実はこの時も大失敗をしています。

会社に対して損害を与えたという訳ではありませんが、「自分のリソースを使いに使って仕事を回す」というマネージャーあるまじき行為をしてしまったのです。

至極当然のことですが、100人いれば100通りのアウトプットがあります。

そのアウトプットをメディアに合うように少しずつ修正をする必要があったのです。

このどうしようもない作業を自分の時間を使ってコツコツとやっていました。


このままでは、ただ時給が上がった労働者に変わりありませんでした。

プレイヤーからマネージャーに立場が変更してもやるべきことが変わらなければ意味がありません。

そこである時、「みんながなるべく統一したアウトプットを提出してくれればこの仕事しなくてもいいじゃん」という事実に気付きます。


そこでいかにしてライターからあがってくるアウトプットを統一させるかという命題に対して、試行錯誤を繰り返す日々が続きました。

「ここまで統一したら絶対同じアウトプットが出るはずだ」という部分まで詳細なフォーマット(ルール)を作成して、できるだけ自分の工数を割かずにフルリモートでマネジメントをする方法にたどり着いたのです。

今まで点と点だったそれぞれのスキルが線となって繋がった瞬間でした。


ただ、ゴリゴリのフォーマットやルールでがんじがらめにしてしまうと時には反発も起きるものです。(人間だもの)

なので、表向きは「あなたの好きなようにやってください」という打ち出し方をしつつ、裏側では「私の手のひらで踊りなさい」というのがマネジメントスタイルと併せてアウトプットを管理していきました。

管理と自由という相反する考えの中で、いかにして「自由」だけを見せ続けるかという点に注力してマネジメントを行いました。


フリーランスとして生きていくという選択もできるようになった

その後は、担当していた会社の社長さんの紹介や社員からの紹介によって、ベンチャー企業の事業計画を作成したり、提案資料の作成をサポートしたり等々の前職の経験を生かした仕事を受注できるようになりました。

最終的には、時給換算で3,000~4,000円(まぁ、最後の1ヶ月くらいですし、現職との掛け持ちでしたが)になり、「フリーランスとして生きていく」ことができる選択肢も手に入れました。

今では、直接フリーランス時代にお世話になった社長さんから、「ベトナムに会社を作りたいから一緒にやろう」といったお声がけや「仕事がなくなったらうちの会社においで」などといって頂けるようになりました。

※今でも、日本に帰国した際にはお話の時間を設けていただいており、機会があれば是非ご一緒したいと考えています。


「信頼」という、一見お金とは関係ない財産を時給300円の仕事から築き上げたことによって大きな恩恵を受けることができました。

そして、将来的な夢を語ることも大切ですが、「目の前のなすべきことを一生懸命やれば良い結果に繋がる」という昔から言われている哲学は真を突いているなとシミジミと感じることとなります。

個人的には、フリーランスとして生きていくということ自体は全くもって目標としていなかったので、このような生き方には終止符を打つこととなりました。


フリーランス時代を通して、

人間としての原点に立ちかえり、ガムシャラに働くことも時には必要だ。

という一周回ってありきたりな内容と、

マネジメントとは「相手に合わせることではなく」、「いかに相手を自分の色に染めることができるか」ということなのではないかと気づく。

という性格の悪さ全開の結論を得て、人間として少し成長したのでした。

※あくまでも個人的な感想なのでなんとも真偽はわかりませんが…。

前職時代に培った「社会人としてのビジネススキル」、フリーランス時代の「どん底を知ることによって得られる人間性の成長」という2つの武器を手にして現職でプロジェクトマネージャーとして働くようになります。


現在の学び(海外勤務)

現在は、メインはシステム開発会社のCOOとして海外で働いています。

その他にも色々とやっているのですが、とりあえず割愛します。

詳しくは、僕のTwitterにて確認していただければと思います。

なぜ海外で働いているのかなどの感情的な動きに関しては、Wantedlyの記事で説明していると思うのでこちらも読んでみてください。

現在進行形で学んでいることとしては大きく分けると2つあります。

※もちろん他にもたくさんありますが、枚挙にいとまがないので2つに絞っておきます。

現職の学び
1 経営の難しさと楽しさ
2 仕組みを作ることによる組織の成長


経営の難しさと楽しさ

プレイヤーとしてでもマネージャーとしてでもない経営者としての視点。

少人数としての経営視点はみてきたつもりではありますが、自分の下に何十人もいるとなると話が変わります。


個人と組織の大きな違い

目まぐるしく社内情勢が変わるため、立ったの数週間前に作成した事業計画とは全然変わってしまったり、会社の方向性を大きく変えていかなければならなかったりなどスピード感のある決定が必要とされます。

個人として動く分には問題ないですが、組織として動くとなると全く異なります。

というのも、全員が同じ方向を向くということが非常に難しいからです。

「お金があれば幸せに違いないんだから、みんなお金を稼ごう!」と言っても、全ての人が賛同するわけではありませんよね。

それと同じ理屈で、会社の方向性が変わっても心からの賛同を得ることは難しいです。

※考え方の違いもあるので、あまり深く追求しなくても良いような気がしてきました。


自分の意見が組織の意見になる面白さ

大変なことはもちろん多いですが、自分の意見が組織の意見になるというのは非常に面白い経験でもあります。

むしろ、これこそが経営サイドの面白さなのではないかと思っています。

※まぁ最近はバタバタしすぎて、この辺が全然できていないのでちょっと悲しいですが…。


思い通りにいかないからこそ、思い通りになったときの達成感は凄まじいですよね。

外資系コンサルタント時代、フリーランス時代はどちらかといえば努力が実を結ぶ経験でしたが、経営においては努力とは切り離して考えるべきものなのだと思っています。

将来的なことを考えるとなると、努力ではどうしようもないことが出てきてしまいます。


例えば、今回のコロナウイルス騒動も努力ではどうすることもできませんよね。

経営には、コロナウイルスのような不確定要素だらけです。

まだ経営の真髄をわかったとはとてもいえませんが、少なくともわかったことは

不確定要素が多いからこそ、確定要素は確実にしておく必要がある

ということです。


例えば、将来的な会計状況は確定できないけど、現在の会計状況は確実にわかるようにしておく。将来的に必要な書類はわからないけれども現状持っている書類は完璧に整理がされている。

これが前提にあることによって、「今はこんな状況だけどどうする?」という次の議論ができるようになります。


これからも学び続ける人生だとは思いますが、常に新しいことにチャレンジし続け、楽しい人生を送れたらなぁとぼんやりと思う毎日です。

弱冠25歳において、このレベルの組織を束ねる立場にいれることは滅多にない経験だと思うので、機会を与えていただいて非常にありがたく思います。

これからも地道に精進していきますので、ぜひ応援していただけると嬉しいです!



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