見出し画像

今、私にできることを、しよう -東日本大震災から10年-

2021年3月11日の早朝、電話をかけてきた妹が言いました。
「感慨深いねえ。10年前の今日、お姉ちゃんは仙台に出発したんだねえ」

2011年3月11日の朝、高校3年生だった私は東北大学の後期試験を受験するために1人、名古屋駅から新幹線で仙台に向かいました。翌日の試験に備えて会場を下見して、午後2時46分は仙台駅の近くを歩いていました。地球の中心からプレート全体が揺れているような、震度6強の大きな揺れでした。

(トップの写真は、昨年1月に訪れた宮城県名取市閖上。6.3mの日和山は山頂を2.1m越える津波に飲み込まれました)


「10年前の今日、朝ご飯は何を食べて出発したんだろうねえ」
布団の中で、眠起きの頭で妹と話しながら、私はふと思いました。
東日本大震災から今まで、被災地の人たちのことは何度も考えたけれど、
”家族が被災地にいる” 状況で母や妹が過ごした数日間のことを考えたことはありませんでした。連日、テレビや新聞で被災地の様子を知る家族にとって、「何もできない」「祈ることしかできない」というのはどれほど不安でやきもきしたことだったろうと思います。

自分で何かできる、誰かのために動ける、
というのはどれほどありがたいことでしょう。

コロナ禍のこの一年、
遠くにいる大切な人に対して直接には何もできないもどかしさを感じた人は多くいると思います。

いろいろあるけれど、生きることを選び、こう生きると選んで生きている私。
生きることも、どう生きるかも選べなかった・選べない多くの人々がいるならば、
私にできることを、できる範囲で、一生懸命やって生きよう。
そう思った2021年3月11日の朝でした。

あの日から10年。
出会ってくれた、支えてくれた、一人一人に、感謝を込めて。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?