痛みの‘期限’
これは誰でも知っていることである。注射は痛い。他を挙げるとするならば「虫歯」になってしまったら自分の歯がジクジクと痛む。
でも、この二つは似ているようで全く違う。
一方は‘期限’のある痛み、他方は‘期限’のない痛みである。
私たちはこの両方をもってして生きていると私は思う。
しかし、私たちは‘痛み‘の対処をしばしば間違う。
例えるならば、注射はすごく嫌なことだがその瞬間が終わればすぐ消えてしまう痛みである。
しかし、虫歯は治さない限り治らないことは自明であるはずなのに、「歯医者」は嫌だから、治療は嫌だからと中々治療に行こうとしない。
「痛み」は駄目である筈なのに、中々それを自分から消しに行かないのである。
それは日常に限ったことではない。
例えば切れるような痛い思いをした人が、中々その思いを断ち切れずに延々と抱えているケース。
忘れたいはずなのに、いつしか心に住み着いていて、トラウマとなっているケース。
或いは、その痛みこそ自分が可哀そうだと思いたいから抱えている。
――そんな人は少なくないのではないだろうか。
だからこそ、私は思う。
痛みは我慢すべきでも、甘受するべきでも、そして持ち続ければならないものなどではないと。
私たちはそんなに可哀そうではない。
一人ひとりが自分らしく生きていく尊厳がある。
だから、痛みは抱え込まずにどうにでもしてしまえ。明後日の方向に放り投げてしまえばいいと思う。それが私たちの在り方である。
それを私は切に願っている。
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