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体育も運動も嫌いだった私が、灼熱カバディでスポーツの面白さを知った話。

 こんにちは、雪乃です。

 灼熱カバディの記事、第2弾です。1つの記事で収まりませんでした。というか収まるわけなかった。加えて、前回の記事を書き終わって3時間くらい経ってから「そういえばあのネタ書き忘れたな……」みたいなことをバンバン思い出したので、そういうのも含めて書いていこうと思います。
 前回の記事に書き足そうとも思ったのですが、分量的にも重くなってしまうので、布教と感想で分けることにしました。しばしの間、お付き合いいただければ幸いです。

 さて、タイトルにも書きましたが、私は体育も運動も嫌いでした。もともと、尋常ではないほどの運動音痴で、チームプレイなんてもってのほか。そもそも体を動かすという行為が苦手。
 さらに言うと、私は、勝ち負けのつくものが嫌いでした。誰かが勝てば誰かが負けるゼロサムゲームが性に合わなくて、だからこそ私が高校時代にのめりこみ、青春を捧げたのはTRPGと創作でした。

 今までスポーツ漫画を一切読んでこなかったのも、そういうところに理由があります。勝ち負けがつくものが好きになれない以上、楽しみ方がわかりませんでした。

 それでもなぜか、灼熱カバディは、最初にビジュアルを見た瞬間から、なぜか心惹かれるものがありました。大げさな言い方ですが、運命だったのかもしれません。

 ここで、単行本1巻の宵越のある台詞を引用します。

忘れてたな…この燃える世界は、気持ちがいいんだ。

 スポーツエリートでありながらスポーツ嫌いになっていた宵越が、「スポーツは面白い」という感覚を取り戻したシーンの言葉です。ここで私が思い出したのは、コーラスラインというミュージカルの終盤で歌われる「The Music And The Mirror」というナンバー。「あの生きている世界を返して」という歌詞が印象的な一曲です。私はやる側でなくて、あくまで舞台は観る側だけれど、それでも舞台の上に広がる熱い世界が大好きです。
 スポーツという私の知らない世界と、舞台という私のよく知った世界。共通項を見出した瞬間に、私の世界に、するりと「スポーツ」が落ちてくるのを感じました。

 スポーツ漫画を本格的に読むのは初めてなので他作品と比べてどう、とは言えないのですが、灼熱カバディはとにかく分かりやすい。勝つにせよ負けるにせよ、ちゃんと言語化して解説してくれるし、何より漫画の特性を生かして、一つ一つの動きをじっくりと見られるように作られています。私がスポーツ観戦に対して興味がなかった理由の一つに、「どうせ見てもわかんないし……」みたいなものがあるのですが、そんな私でも「どこをどのように見たら良いか」がちゃんとわかる。親切設計の灼熱カバディ、本当に信頼できる。
 見方が分かるにつれて、どう楽しめばいいかもわかってきました。勝つために道筋を理解したことで、能京が勝つことをシンプルに「嬉しい」と思えるようになりました。逆に、負けた試合であっても、その根拠や相手が勝つだけの理由が示されるので、物語として咀嚼するうえですごく面白いんです。
 灼熱カバディでカバディの見方や面白さがわかってきたので、最近は、YouTubeで実際の試合動画を見るようになりました。インドの試合動画は編集も見やすくて、ときどきチームのゆるキャラ(?)が映っていたりするので、楽しいです。さすがにインドは無理でも、国内ならちゃんと生で試合が観たいなあ。

 まだ単行本化はされていない部分なのですが、私は奏和高校の名もなき3年生のエピソードが大好きで。彼は最後の試合には出られてないんですよね。キャリアの長い天才、作戦を立てる天才、他の競技から転向した天才など、天才ひしめきあうこの作品の中で、彼の3年間にもスポットライトが当たったことが、嬉しくて嬉しくて。
 灼熱カバディにおいて、天才に道を譲る人間が描写されるのは、天才を際立たせるためではなくて、すべての人間が等しく命を燃やして生きていると証明するため。どんな人の青春も等しく青春であったと、声を上げるため。昨日の記事でも少し触れましたが、私が灼熱カバディを真摯な作品と思う理由は、そこにあります。

 以前、「青春の定義」という記事を書いたのですが、あれ、実は灼熱カバディにハマりたての頃に書いたんですよ。そこで、青春を「刹那の煌めき」と書いた気がします。
 スポーツに限らず、すべての部活動で言えることですが、「今、この」メンバーで何か一つのことに取り組む時間は、あまりにも限られています。高校を卒業してからも、同じ競技や同じ楽器を続けることは、可能といえば可能です。私自身、高校を卒業してからもずっと創作は続けています。でも、あのメンバーで集まって締め切りに追われ、ときには発禁騒動を繰り広げながらも創作活動をしたのは、たった3年間。たった3年間しかないのに、その価値に気が付くのは、大抵卒業した後。そんなことを灼熱カバディを読みながら考えて、あの記事を書きました。

 作中の登場人物に関して、高校卒業後もカバディを続ける子もいるだろうし、逆に高校でやりきってスパッとやめてしまう子もいるでしょう。仮に競技を続けたとしても、それぞれの高校で、今のチームメイトと競技ができるのは「今、ここ」しかない。それぞれの「今」が集まって織り上げられたタペストリーのような作品、それが灼熱カバディです。
 そして、「今、ここ」が丁寧に描かれているからこそ、「今ではなく、ここでもない」演出を使った168話が効いてくるのですが、ネタバレになってしまうので、ぜひ本編を読んでください。泣きます。

 はあ、全然まとまりませんでした。てか、タイトルからめちゃくちゃ内容逸れましたね最後。何が言いたいかというと、とにかく全人類灼熱カバディ読んでください。そしてあわよくばアニメも見てください。あと公式さんはキャスト情報を出してくださいお願いします。

 お付き合いいただき、ありがとうございました。


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