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私は私のために書いていたんだ

夫とLINEのやりとりをしていて、ひょんなことから学生時代の話になった。彼は何気なくこう言った。

「好きになる人とよく喋る人は違うよね」

話しているうちに好きになるものじゃないの?と返すと、雰囲気とかほかの人と話している時の様子とかあるじゃない、とのこと。高校のクラスぐらいのコミュニティなら、話したことなくても大体わかるよね、と。

私はうーん、と腕組みをした。女の子はわかるけど、男子は全然みてなかったからわかんないんだよね。

高校時代の私は今よりも数倍臆病で、自分から人に話しかけることなどほとんどできなかった。自分より大人しそうな女の子ならともかく、男子とは目を合わせないようにしていたぐらいだ。

不思議がる夫に私はこう返した。
「中学生の時に対人恐怖をこじらせてたから、高校生になってもすぐには治らなくて」

普段の他愛ない会話の延長。そんな平坦な気持ちのまま、私は過去の話をした。

中学時代はやんちゃグループの子たちがいつも自分のことをあざ笑ってると思っていたし、自分の名前を呼ばれているような空耳がしてたよ。家と塾以外はどこにいくのも怖かった。

その感覚の方が怖いわ、と茶化されても何も気にならなかった。以前なら、傷ついたかもしれない。自分の中に長いこと、固く封印していた中学時代のこと。ずっと、なかったものにしようとしていた。だから、思い出す度に胸に黒いものがよぎったし、何か言われようものなら過敏に傷ついた。だけどもう、私の中でこの時代は黒歴史でもなんでもない。私を形作るピースのひとつ。

いつも学年トップだったし、プライドはめっちゃ高かった。でも自分を馬鹿にする子たちとは違う、と思えたから、ねじ曲がったけど折れずに済んだんだよ。それがなんやかんや浄化されて、今に至る感じかな。

こんなにも自然に、なんの戸惑いもなく、この時代の話ができた自分に驚いた。そしてそれが何故なのか、すぐに気づいた。100日以上書いたエッセイのおかげだ。

私に書けるものは、私の感情と経験のすべて。それがきっと誰かの役にも立つ。そう考えて、過去のつらかった思い出を洗いざらい文字にしてきた。胸の奥に封印していた記憶の数々も、もはやすべて荷ほどき済みだ。

そして、その恩恵は。問いかけて、ため息が出た。

その恩恵を受けたのは、他ならぬ自分自身。文章にする作業は、行き場を失っていた感情や記憶に意味付けをして浄化すること。それによって、縛られていた記憶から自由になって、反対に力を得られることすらあった。

そう。私は私のために書いていた。
私のためにしか、書いてこれなかった。

個人の感情と記憶を生々しく綴ることにも、一定の価値はある。相互にコミュニケーションをとりながら、情報を受発信できる時代。どんな人がどんな思いで生きているのか、それをお互いに開示して交流できることはSNS時代の魅力だ。

でも、それはあくまで「誰かのために提供したい価値」があってこそ、効果を発揮するのだと思う。「自己満足」ではなく、「発信物」として文章を書こうとするのならば。

私は文章を読むことにも書くことにも、たくさん救われてきた。だから今度は、誰かの力になる文章を書きたい。ほんの数人であっても「これを読めてよかった」と思ってもらえるような文章を。

100日以上かけて、私の内側にくすぶっていた感情と記憶の数々は昇華した。きっと今、ここからが始まりだ。

最後まで読んでくださってありがとうございます! 自分を、子どもを、関わってくださる方を、大切にする在り方とそのための試行錯誤をひとつひとつ言葉にしていきます。