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水のある風景という夢

美しい水のある風景が大好きだ。陽の光を受けてきらめく南国の海はもちろん、山の陰にひっそりと佇む湖も、ごつごつした岩の間を満たす透き通った川の流れも。

毎年のように訪れる沖縄、北海道は美瑛の青い池、長野県の上高地、広島県の三段峡、京都府の貴船神社、カナディアンロッキーの氷河湖……水の風景を求めて旅した場所は年々増えている。

どんな場所でも私の行動パターンは大抵同じ。綺麗だなぁ、綺麗だなぁ……とひたすら感動し、ひと通り写真や動画に収め、目に焼き付けようとしばし眺め、お別れの時間がくる頃には「これ瓶詰めにして持って帰りたい」とか「家の裏にこれつくって」とか無茶苦茶な願いを夫にぶつける。

それは写真に撮ったって、動画に撮ったって、ポストカードを買ったって、眼前に広がる美しさを完全に閉じ込めることはできないと知っているから。もし、こんなに澄んだ水を日常の中で目にすることができたなら。仕事帰りにすさんだ心がどれほど慰められるだろう。どれほど穏やかな気持ちになれるだろう。心ときめくだろう。コバルトブルーの海と白砂のビーチが手に乗るぐらいの小さな瓶に収まる様子や、深い森と静かな湖が我が家のすぐ裏手に広がる様子を思い浮かべる。

旅はいつもあっという間で、私の日常には息をのむほど美しい水の風景などない。だけど、目を閉じればありありと思い浮かべられる。その事実が私を慰めてくれる。

かつて私の経験に、心ときめく水の風景はなかった。小学生の頃、夏休みのラジオ体操の参加賞で渡されたクリアファイルで、近所の川が日本一汚いと知って衝撃を受けた。コバルトブルーの海を期待して、初めて訪れた海水浴場はよく言って「紺青色」だった。そういう経験を経て、美しい水の風景は私の中で「遠い世界の象徴」になった。

大学生になり、社会人になり、旅行のしやすい時代背景も手伝って、見たい景色を自力で手に入れられるようになった。「遠い世界の象徴」も実は「ちょっとお金と時間をかければ手に入れられる夢」なのだと知った。強欲なようだけれど、知ってしまったらもう戻れない。私はこれからも、美しい水の風景を集めずにはいられない。

美しい水の風景と共にある決して持ち帰ることのできないひととき。命あるかぎり、たくさんこの身に焼きつけたい。

最後まで読んでくださってありがとうございます! 自分を、子どもを、関わってくださる方を、大切にする在り方とそのための試行錯誤をひとつひとつ言葉にしていきます。