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15年前、画面の向こうにいたあなたへ

いわゆるデジタルネイティブ世代だ。父親がシステムエンジニアだったこともあり、幼稚園の頃からパソコンが遊び道具だった。

中2の終わりごろ、ふと思い立ってひとつのブログをつくった。詩と日常のあれこれを綴る場所。家族にも友達にも秘密だった。

荒れた雰囲気の漂う中学校で日々怯えていた私には、ブログでかけてもらう優しい言葉がありがたかった。

成績や容姿やノリの良さ……普段の中学生活で重視しているものとは別の視点で、自分を見てもらえることがただ嬉しかった。ブログを見てくれる人は1日に10人ほどだったけれど、増えていく来訪者数とコメントが誇りだった。

中学生の私には、画面の向こうにいる大人たちの姿は全く思い描けなかった。どこに住んでいるかは知っていても、何に悩み、何に喜び、どのように暮らしている人たちなのか想像もつかなかった。

そのくせ、心の中では見下してさえいた。同じ年の頃、今の私ほど勉強のできた人はいないだろうと真剣に値踏みしていた。前にも書いたけれど、テストの成績に紐づいたプライドだけが心の支えだったから。そんな15歳の思考回路は、かくも狭かった。

当時のやり取りを見返すと、自分の放った粗雑な言葉の数々に絶句する。敬語の使い方を知らないようだし、プライドの高さが言葉の端々に透けていてヒヤヒヤする。それでも画面の向こうの大人たちは、腹を立てずに付き合ってくれていた。

自己承認欲求のカタマリのようなブログだったが、中学生の私にとっては大事な生命線だった。あの場所があったから、私は折れずにいられた。

人を恐れる気持ちも、そこから身を守るためのプライドも、ものすごく歪みの多い感情だった。けれど、それが崩壊することなくなんとか持ちこたえたのは、画面の向こうにいてくれた大人たちのおかげだ。

人を恐れて、人を見下して、距離をとって、孤高であろうとして。それでも誰かに認められたい、甘えたいと叫ぶ心に、幾人もの大人が時間を使ってくれた。

褒めてくれたり、自身の経験を重ねてくれたり、アドバイスをくれたり。

あの頃の私は、感謝などろくに知らなかった。恐怖で鈍らせた心に、そんな温かいものを宿す勇気などなかった。

感謝の言葉に心がこもっていないことにも、大人たちは気づいていたかもしれない。それでも、いつも見守ってくれた。

あの頃、私に力をくれた大人たちにお礼を言う方法はもうない。今できることはただ、その人たちの幸せを祈ること。

そして、今度は私が画面の向こうにいる誰かの力になること。

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15年前、画面の向こうにいてくれたあなた。
私はあなたのおかげで、ここまで歩いてこれました。今でもこうして言葉を綴っています。あなたにいただいた優しい気持ちを、画面の向こうの誰かにつないでいくために。

最後まで読んでくださってありがとうございます! 自分を、子どもを、関わってくださる方を、大切にする在り方とそのための試行錯誤をひとつひとつ言葉にしていきます。