月の裏側
月の裏側は、たとえ自分のものであっても、簡単には見えないのだと思う。
それは、占星術でいう月のこと。
心を意味する天体なのだと、ある人に教えてもらった。
ときどき、自分の人生を生きるのがとてつもなく億劫になる。
漫画でもネットサーフィンでも、なんでもいいから手近な刺激で、時間をつぶしていたくなる。
それは手の届くところに、自分の望みが転がっているときだったりする。
溜息をつきながらスマホをいじる私は、気づいていないけれど。
無意識のなかに、恐怖が立ち上っている。
そのことに頭で気づくよりも早く、意識は踵を返している。
ただ、身体の重さだけがそこに残る。
恐怖心が、直視させないもの。
踏み込むことを拒むもの。
それが、月の裏側。
この世には、つよい刺激があふれている。
色とりどりの刺激を受け取って、なんとなく心を動かしているだけでも、時間は過ぎてゆく。それなりに楽しく生きていける。
でもそれが嫌だと言うならば、見据えなくてはならない。
無意識のうちに、あなたの内側に湧き上がった恐怖を。
それがどんな経験から生まれた思いなのか、記憶をたどって確かめなければならない。
「自分の望み」にやっと手が届くというときになって、急に億劫になったのは、私の中にこういう思い込みがあったからだ。
これらは幼い日の経験によって焼き付いたイメージであって、根拠は何もない。
とはいえ、以前ならば間違いなく、思い込みのほうを信じていた。思い込みは思い込みのまま。そして恐怖心は堂々と私の内側に居座りつづける。
今の私は、この思い込みを躊躇なく捨てられた。
私の気持ちを無条件に受け止めてくれる人に出会って、自分の経験を客観視できるようになったことが大きい。
無意識のうちに湧き上がる恐怖心を真正面から直視して、その後ろにある思い込みを捨てられたなら、月の裏側に到達できる。
そこには、これまで無意識のうちに避けていた、人生の知らない一面がある。
月の裏側は、幼いころに自らがつくりだしたもの。それを大人になった自分が勇気を出して探検することは、人生の醍醐味といえるのかもしれない。
最後まで読んでくださってありがとうございます! 自分を、子どもを、関わってくださる方を、大切にする在り方とそのための試行錯誤をひとつひとつ言葉にしていきます。