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なんでもない誕生日に意味を贈る

世間はゴールデンウィーク明けの5月7日。
34歳の誕生日を迎えた。

目覚ましのアラームが鳴りだすより早く、3歳の息子に起こされた。
「ママ、おあよー」
カーテンを開けて、部屋を明るくされる。
時間を確認すると、5:57。
もうちょっと寝たかったな。

小雨の降る中、息子と2人レインコートを着て、自転車に乗る。
息子のレインコートとヘルメットは、色とりどりの恐竜柄。
こども園の駐輪場で、彼は日課のボーロを食べる。
空っぽになった袋と園指定のバッグを交換すると、ぴょこぴょこ楽しそうに教室まで歩いていく。
先生に手伝われながら靴を履き替える様子を離れたところで見ていたら、振り返って満面の笑みでバイバイしてくれた。

紺色のレインコートに、ベージュのレインハット。ショート丈の長靴まで履きこんだ完全防備の姿で、軽くなった自転車をこいで家まで戻る。
ちょうど仕事にでかけるスーツ姿の夫とすれ違う。
「誕生日おめでとう」
ありがとう、こんな格好の誕生日だよ、と笑って手を振る。

家に入ってレインコートを脱ぐと、仕事用のPCの電源をつけて、洗濯機を回す。
始業まであと10分。


なんでもない、朝。
ちょっと早く起こされて、天気はパリッとしなくて、4日ぶりの仕事で。

でも、気持ちにはゆとりがある。

私を呼ぶ息子の声や、満面の笑顔や、夫からのお祝いの言葉が、嬉しいと思える余裕がある。
冴えない雨具姿でも、みじめにならずにクスっと笑えている。
仕事のある日とない日の緊張感の差が、随分小さくなっている。
穏やかで、平和で、まぎれもなく、幸せ。

ケーキもお花も豪華なディナーもない。
お祝いのメッセージだって、ここ数年で一番少ない。
だけど、わたしにとっては、とても幸せな誕生日だった。


こんな日がくるなんて、数年前のわたしには想像もできなかった。
彼女はきっと、いまの私に至るまでの軌跡を知りたがるだろう。

怖いものだらけ。やりたくないことだらけ。
表面上はうまく取り繕っているけれど、心のなかは焦りと不安と恐怖でずっと苦しい。
そんな状態を終わりにできたというのなら、その方法を教えてほしい。
そう切に願ったに違いない。

だから、34歳のわたしは、28歳のわたしの知りたかったことを形にする。
誰かの苦しさに対して、直接の答えにはならなくても、視点や発想を変える手がかりになるかもしれないから。


なんでもない誕生日は、これからつづる物語のプロローグとなる。
いや、プロローグにしようと、いま決めた。

最後まで読んでくださってありがとうございます! 自分を、子どもを、関わってくださる方を、大切にする在り方とそのための試行錯誤をひとつひとつ言葉にしていきます。