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ブータンへ大恩返し

さて、この国旗はどの国でしょうか?

と書き始めたのに、タイトルに答えを書いてしまう間抜けライターである。

招待ビザゲットまでの道のりはこちら

ビザゲットに必要だったお手紙。これが相当苦労した。どうやって会って、どういう関係で、なぜブータンに行きたいか。行きたいからだけではだめなのだそうだ。

暑いからネパールにいく

沢木耕太郎さんの深夜特急を読み、さらに進め!電波少年の猿岩石によるヨーロッパ横断のヒッチハイクをみて、

「バックパッカーやりたい!いつ?いまでしょ!」

とばかりに、バックパッカーで旅していた20代。

真似しなくてもいいのに、沢木さんのように安宿に泊まって、ただただ街歩きをして、そのうち疲れてずっと宿でダラダラするというていたらく。

特にインドにいたときがひどかった。冷房がないのは当たり前、さらにけちって扇風機もなしの部屋にしたもんだから暑すぎて寝れないのなんの。食欲もなくなり、体力も落ち、ず~っとベッドで寝て過ごしていた。

ドミトリーの同じ部屋で寝ていたドイツ人の女の子も同じようにダラダラ。二人してダラダラし続け3日目。ふいにドイツ人に話かけられた。

「ねえ、なんか食べに行かない?一人だと行く気がしないけど誰かとなら行けそう」

確かに。一人だとこの暑さの中、出かける気がしないが誰かと一緒なら重い腰もあがりそう。

ということで、二人してえいやっと起き上がった。

近くのカレーやといってもカレーやしかないのだが、お店に入り、久しぶりにスープを飲んだ。すると、ちょっと元気になったドイツ人が

「明日どこ行くの?」

と聞いてくるではないか。ずっとダラダラしてたあんたこそどうするんだと聞きたかったが

「決めてない。けど、涼しいところに移動しようかなと考え中」

と答えた。すると

「実はわたしもそう思ってて。暑すぎておかしくなりそうだから。で、考えたんだけど、わたし、カトマンズに行く!」

カトマンズ・・・カトマンズ・・・は!世界最高峰のエベレストがあるネパール!と気づいて、急にスイッチが入った。

「わたしも、行く!」

するとドイツ人はもうこれを逃したら二度と出られないとばかりに

「じゃ、バスターミナルいこ。時間調べよ」

と、それいけとばかりにカレーを流し込み、バスターミナルへ。すると、今夜、カトマンズ行のバスがあるという。

うぉ~、なんか深夜特急のようになってきたぞと興奮し、ドイツ人はバスがあったことに興奮し、二人して宿にダッシュで帰り、パッキング。カトマンズに向かったのだった。

ブータンストーリーは突然に

予想よりは涼しくはなかったものの、インドに比べると格段に涼しいカトマンズ。最初は雪を抱いた8000m級の山々に感動し、ず~っと眺めていたが、3日もすると飽きてしまった。

一緒に来たドイツ人も同じだったようで、4日目にはまたインドに戻っていった。わたしはというと、インドに戻ってもまた同じことの繰り返しだなと思い、残ることにした。

とはいえ、何もしないなら動くべし。しかし、腹が減っては戦はできぬとばかりに、食堂で食べることにした。ネパール版の餃子「モモ」を食べたいが、一皿の量が多い。こういうとき同行者がいるとシェアできるのに・・・と店の前で入るかどうか迷っていると、3人組の女子がやってきた。

横顔をちらりと見ると、目鼻口がちょこんとついている平たい顔族・・・日本人?!でも、沖縄か南国のどこかで農作業を毎日してますよといった感じに真っ黒に日焼けしている。

でも、この平たい顔族は日本人に違いない。これはいっちょ、ご飯のお仲間にいれてもらおう!と意を決して

「あのう、ご迷惑でなければご飯ご一緒しませんか?」

というと、3人ともキョトンとしている。あれ?日本人じゃない?

「Are you Japanese?」

と英語で聞くと、NO!

ぬあんと、3人とも平たい顔族なのに日本人じゃない。平たい顔族は他にどこにいるんだ?と考えている間に答えてくれた。

「私たちはブータンからきたの」

ブータン?実は20数年前、ブータンという国を知らなかった。今でこそ、石原裕次郎、もしくは加山雄三といった昭和のスターのような顔の国王が日本にきたおかげでブータンの存在を知り、キャッチコピーの「幸せの国」認知もされているが、あの頃はブータンのブの字も知らなかった。

ブータンはよくわからないが、同じ平たい顔族同士仲良くしようじゃないかと、ご飯を一緒に食べないかと誘うと、二つ返事でOKしてくれた。

日本人はすごい

いろいろ話をしていて、ブータンがネパールの隣の国ということはわかった。ということは母国語があるはずなのだが、わたしに気をつかってか、ずっと英語で話をしてくれる。しかも、英語力が半端ない。

というのも小学校からがっつり英語を勉強するからみんな英語がペラペラという。素晴らしい教育方針。

それよりも心配だったのがレストラン代。というのも、何が食べたいと聞くから、モモとだけ言ったのに、モモのほかカレー、野菜炒め、スープとがっつりオーダーしている。

自分から誘った手前、おごってあげたいのはやまやまなのだが、何せまだまだ旅が続くバックパッカー。しかも、手持ち資金もさほどない。でも機嫌よくオーダーしているし、水をさすのも・・・という不安な気持ちが顔に出ていたのか

「どうしたの?」

と聞いてきた。ここは見栄をはっても仕方ない。正直にいおうではないか。

「誘っておいてなんですが、手持ち資金がこれしかありません。モモだけ食べるつもりでした。なので、スープやカレーのお代は払えません・・・」

と申し訳なさそうにいうと

「Never mind」

と笑顔でいうではないか。

ど、どおいうこと?

ご飯を食べている間、聞くところによると、ブータンに農業を伝えた日本人ダショー西岡さんという人がいたそうだ。ダショーっていうからブータン人の女性に婿入りでもしたのかと思ったら、ダショーとはブータン国王から優秀者と認められた人につける称号ということで名前ではないと笑われた。

長年ブータン農業に貢献された方のようで、ブータン人にとって日本人はみなダショー西岡さんのようにいい人のはず。お礼をしなければならないとのこと。

いや、わたし、ダショー西岡さんの親戚でもないし、そもそも知らない。ダショーさん、いや西岡さんが貢献したかもしれないけれど同じ日本人というだけでわたしは何もしていない。それどころかブータンを始めて知ったのに、おごる必要はないといったことをかくかくしかじかいったのだが、とにかくいいのだそうだ。

かくして、ダショー西岡さんのおかげで数か月ぶりにたらふくご飯を食べたわたくし。もうこうなったらブータンにいって農業のお手伝いでもして恩返しせねばと思い

「わたし、みんなと一緒にブータンに行く!」

といったらみんな大喜び。だったのだが答えはNO

なんでも、観光客は受け入れているものの、ビザが必要なだけでなく、毎日滞在するだけでなんと200ドル!

「え?1日200ドル?アメリカドル?ブータンドル?」

ととんちんかんな質問をしてしまったくらいびびった。
1日200ドルってぼったくりでしょ。なぜ行くだけで200ドル?と思ったがよくよく聞くと、ホテル代、ドライバー、ガイド、食事、お寺の入場料など1日に必要な経費がすべて入っているという。

とはいえ、現在1泊200円前後で泊まる貧乏バックパッカーに1日2万円はありえない。しかも、毎日ガイドと一緒で一人の時間がないのは無理。

ビザが必要な国には何度か行ったことがあるが、ビザ代というより滞在費を無理やりとるとは・・・

おそるべしブータン

25年目の約束

今は無理だけれど、鶴の恩返しじゃないが、うけた恩は返さなければならない。

「日本に帰国して、貯金してお金がたまったらブータン行くから」

と住所を交換して、過ぎ去ること25年。
社交辞令という言葉はわたしの辞書にはないはずだったのだが、完全に社交辞令になっていた。

しばらく文通のようなことをしていたが、ブータンにも通信網が張り巡らされ、メールでやりとりするようになり、スマホをもつようになるとWhatsAPPで連絡をしていた。

行くことはできていないが、25年間もKeep in touchできていることがすごいと思う。そんなこんなで、行く行く詐欺をし続け25年。とうとうしびれを切らせ、わたしが行くよりも先にブータンがやってきた。

さすが当時から英語べらべら組。日本に仕事できたのだ。

日本滞在中はもちろん全力サポート。みんなの願いをかなえるべく、ユニクロ、ドンキ、薬局、100均とめぐった。もちろん、敬虔な仏教徒なのでお寺もいくつかチョイス。大満足で迎えた最終日。

「いつブータンにくるの?」

そ、そこ。そこな。

もうこうなったら行かないと、女がすたる。女に二言はなし!とその場のノリで

「じゃ、来年いく」

と言ってしまった。言ったからにはいくしかない。と行く気満々で準備を始めたのだが、肝心のブータンズたちの動きがにぶかったというのはこちらの記事にて。

明日はブータンズたちの過剰なおもてなし編。

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