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「し」「り」「う」が書きたくて

やる気がないとき、疲れたとき、ほっとしたいとき、ただただ書きたくなる。今風にいうとジャーナリングというやつだろうか。

ジャーナリングは頭に浮かんだものをただただ書き続けることだからわたしがただ書き続けるのとはちょっと違うかもしれない。

最近は、「光る君へ」で紫式部や清少納言が、墨をすって、紙の上に筆をすっと落とし、つらつらと文を書き連ねているシーンをみるたびに、

「わたしも、それやりたい!」

となって書き始めてしまうのである。とはいっても家に墨はないし、筆もない。常備しているのは縦書きの用紙。

手紙を書くために常備しているのではなく、縦書きに文字を書きたいから常備しているのである。

LINEを筆頭に、コミュニケーションツール、仕事や学校のレポート関連も横書きがメジャーとなっている昨今だが、縦書きこそ日本語の美しさが発揮されると思うのだ。美しさだけでなく、縦書きのほうが断然書きやすい。力をいれずさらさらと書けるのだ。このさらさら書く感じがとても心地いい。

特にお気に入りが「し」「り」「う」。
いとをかし~と「し」をす~っと長く筆を持っていくときの心地よさ。
あはれなり~と「り」をこれまたどこまでもす~っと長く書いてしまいたくなる文字のつくり。
やうやう~と「う」を一筆書きで書く気持ちよさ。

それ以外にも美しく~つとめて~など「く」も「て」も好きなのだが、「し」「り」「う」の書き心地は別格。
もちろん横書きではこの爽快感は味わえない。縦書きだからこそ感じられるのだ。

「し」「り」「う」と文字単体を書いても面白くない。やはり文章を書きたい。となると書きたくなるのが清少納言が中宮定子に仕えていたときに書いたとされる「枕草子」。

高校のとき、学校の指定教材のひとつに枕草子があり、真っ赤な表紙の分厚い本に、最初は読む気もおこらなかったのだが、授業で最初の「春はあけぼの~」を読んで、なになに?春はあけぼのって?と一気にのめりこんだ。特に冬はつとめて。秋田の冬は寒いだけでどこにも出かける気もやる気もそぐ冬が四季の中で一番嫌いだったのだが、その冬の季節の早朝がいい!なんておかしんじゃないの?と突っ込んだものだが、いかにも冬という感じを楽しんでいるのが垣間見れて、そうか、冬は冬らしく凍える感触を受け止めればいいのか・・・なんて解釈し、今となっては、

「東北の人間だからね~、あのキ~ンといてつく寒さがいいのよ。特に早朝は空気が澄んでいてとても清々しい!」

なんていっちょ前にいったりしている。完全に清少納言のうけうり。

ということで、枕草子にはまり、高校の時にやたらめったらと書き写していたら原文を見なくても書けるようになったという。驚くべきことに久しぶりに書いてみたのだが、一字一句間違えることなく清少納言になりきって書ききった。自画自賛。

たまには、し~、く~と伸ばさずに、読めるように書いてみたのだが、やはりきっちり書くと疲れる。

今晩もし~、り~、う~と気持ちよく伸ばさせていただいた。と書いているnoteが横履きでちょっと違和感を感じている今。


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