岡本さんを忘れない
2020年4月の緊急事態宣言が発出される3か月前。
当時、契約で働いていた会社は政府が主導していた東京五輪期間の「テレワーク・デイズ」に協力するため、派遣、契約を含むすべての従業員にノートPCを貸与していた。
ノートPCを自宅にもっていけばいつでもテレワークできる体制を整えていたものの当時は会社で仕事をするのが当たり前だったため、毎回、ノートPCをセットして就業時にはロッカーに施錠して帰るのがめんどくさいと思っていた。
しかし、これが功を奏し、緊急事態宣言が出るのではないかとざわついていた3月、発出前に全員テレワークが決定し、環境は整っていたが、心が整わないうちにテレワークがスタートしてしまった。
当時、隣の席に座っていたのが岡本さん。
電気グルーヴが好きで、おどろおどろしい挿絵の漫画に萌え、気になるスイーツをみつけては報告してくれ、私が好きそうなイベントの共有は怠らず、かといって自分が興味のない分野の話には決してのってこないちょっとそっけない岡本さんが大好きだった。
引き出しにはいつも大好物のチョコミントを常備し、2月19日がチョコミントの日と教えてくれたのも岡本さんだった。
仕事の途中にするどうでもいい雑談をしたいがために会社にいっていたといっても過言ではないほど岡本さんラブだった。
来週からテレワークがスタートする金曜日。
ちょっと重めのノートPCをリュックにいれ、会社にこなくていい嬉しさと岡本さんの引き出しにしのばせてあるスイーツが食べられない悲しさと微妙な気持ちが錯綜し、やっぱりさみしさが強い!と岡本さんの横にぴたっとイスをくっつけ
「来週から岡本さんと会えないなんて寂しい~」
とウルウルとした目で見つめると
「数か月後にはまた会社にこいって言われるんじゃないの。じゃ!」
と相変わらずのそっけなさでトレードマークのちっこいリュックをひょいと背負いすたすたと帰ってしまった。
そんな塩対応の岡本さんも好きと思いながら背中を見つめたのだった。
既読にならないライン
緊急事態宣言が解除されたらテレワークも解除されるだろうかと思いきや、
しばらくはテレワークで勤務するようにと言われ、誰にも会わないまま粛々と仕事をし、誰ともしゃべらなすぎて日本語忘れちゃうかも?と思った時は
岡本さんの業務携帯に電話して、最近の近況を報告しあった。
そして翌年の2021年1月下旬。
岡本さんは会社の業績悪化にともない3月末で契約終了となった。
テレワークになってから一度も会ってなかったのと、引継ぎもあったため
最終日、岡本さんが会社にPCを返却する日に無理やり出社した。
相変わらず、すたすたと歩きまわり、無表情で片づける岡本さん。
契約終了後何するのか、しばらく休むのかと思いきや、もう次の仕事が決まったという。さすが抜け目なし岡本さん。
「もう、会社であえなくなるんだね~。寂しい~」
とハグするふりをしたら、さっと体をよけて
「また、会えるよ。別に海外にいくわけじゃないし」とにやり。
「ちょっとお茶でもしない?」
と誘ってみたが
「高齢の母と二人暮らしだからまだちょっと怖いの」
体をよけたのはそういう理由だったかとなぜかほっとした。
ちょっと寂しそうにうつむいていると
「またスイーツイベントとかあったら連絡するし、神戸パンめぐりもまだやってないからコロナ落ち着いたら行こう!リサーチしておきますわ」
とうれしいお言葉。
わ~いと喜びを分かち合いたかったのに、相変わらずの塩対応で
「じゃ」
と颯爽と帰ってしまわれた。
なんとさみしい・・・でもまたすぐ会えるわ!と思っていたのだが、これが岡本さんと会える最後の日になろうとは思いもしてなかった。
岡本さんは新しい仕事が忙しいようで、ラインしても数週間既読がつかないのは通常運転。
でも、忘れたころに確実に連絡をくれる人だった。
岡本さんが会社からいなくなって1年後の2022年4月。
そろそろお出掛けしてもいいのでは?と誘ったら、一言
「GW、神戸春のパンまつり決行!日程は追って連絡する」
と業務連絡のようなラインがきた。
ひゃほ~いっと小躍りしながら、GWが来る日を首をなが~くして待ちわびた。
しかし、日程の連絡は待てど暮らせどこない。
GWに突入してしまった初日にラインをしてみた。
「いつにします?他の予定も入ってきちゃったので、●、●日がいいかな~」
と連絡するも全く連絡がこず。
待ち続けたもののGWは終わり、どうしたんだろうと心配したころ
「連絡できずすみません。体調が思わしくなく病院に通っています。また連絡します」
岡本さんは風邪をひきやすく、花粉症の時期は体調が悪くなると歩くのもしんどくなる人。
どうした?どうした?とロングメールするのも気が引けたので
「いやいや、お気になさらず。お体お大事に。また全快したら会いましょうぞ!」
とラインをした。
月日は流れ、GoToトラベルなんてものができ、いたるところで大混雑ニュースが流れる秋。久しぶりにラインしてみるかと岡本さんのラインをみると、前回のラインに既読がついていない。
あれ?もう半年たっているけど・・・埋もれたか?
とたいして気にもせず、久しぶりラインを送った。
そして、2022年年末。
2か月たっても既読にならないラインにさすがに心配になってきた。
今のご時世、電話かけるにも
「今、電話かけれる?」
ってラインしてから電話をかける世の中になるくらい、電話かけるのに気をつかう昨今。でも、気になる。
ラインが既読にならないからラインしても意味ない・・・
あ~だこ~だ考えたものの、意を決して電話をかけてみた。
「トゥルルルル~ブチ、この電話は現在使われておりません、番号をお確かめになってもう一度おかけ直しください」
ど、どういうこと???
前にナンバーポータビリティーで携帯会社変えた話を聞いたから番号変えるはずもないし・・・
GWのときの「体調がすぐれない」
といっていたことが気にかかる。そして、電話番号解約・・・
入院しているのか?でもそうであれば番号は維持するはず・・・
携帯なくして、わたしの番号がわからなくなった?
いやいや、あの用意周到な岡本さんがバックアップとってないはずがない。
嫌な予感しかしない。
年賀状納めを粛々と進めているもの、年賀状だけでつながっている人もいて
毎年10枚程度は書いているので、今回は岡本さんにも書いてみることにした。
岡本さんも年賀状納め推進中だからもういらんよと言われていたものの、もうこれが最後の砦。
これしか連絡を取る手段がわからない。
何を書いたらいいかわからず、どうしたの?も新年早々辛気臭いなと思い
「神戸春のぱんまつり開催!」
と楽しそうなコメントを書いて投函した。
寒中お見舞いにふるえる
年末年始、実家にロング帰省したため1月中旬すぎに年賀状を確認した。
その中に1枚紛れ込んでいた真っ白いはがきが目に入った。
わたしの名前が書いてあるものの、年配の人が震える手で一所懸命書いたような筆致だった。
裏をみると真っ白いはがきに丁寧に文字がしたためられている。
頭が真っ白になった。
急逝って意味を知っているはずなのにどういう意味だろうと混乱した。
可哀そうって何が?
しばらく呆然とはがきを見つめたものの「急逝」の文字は消えない。
「岡本さん死んじゃったの?」
言葉に出したら目から涙が流れ落ちた。
どうしても信じられない。会いに行きたい。
けれど、突然ピンポン鳴らしたところで、完全なる不審者だし、オレオレ詐欺で通報されてしまうかも。
岡本さんから借りている本も数冊ある。
本を返したい、いや、岡本さんに会いたい。
寒中見舞いに返信は不要なのはわかっているのだがもう一度手紙を書くことにした。
岡本さんの仕事ぶりを伝える3時間
あまりにもぶしつけな手紙だったかなと投函後も少し後悔していた数日。
1週間後に返信があった。
岡本さんのお母さんとは会ったことがないが1往復しただけで昔から知っているようなそんな温かみがある文字を見ているだけで、岡本さんとの思い出が走馬灯のように去来した。
すぐに電話をし、約束を取り付けて岡本さんの家に向かう。
手ぶらといっても本当に手ぶらでいいんだろうか。
やはりお菓子でも・・・
いやいや立派なものを買っても余計に気を遣うし・・・といろいろ考え
岡本さんが好きだったQUON CHOCOLATEを購入していった。
扉をあけてくれたお母さんは岡本さんよりも一回り小さくて細くて、まなざしがとても温かい人だった。
「花に会ってあげてください」
と仏壇に通され、位牌に書かれた「花」の文字をみた瞬間涙がとめどなく流れた。
本当にいなくなっちゃったんだ・・・
手をあわせながら涙が止まらなくて、小さい声で
「岡本さん、岡本さん」と言いながら泣いた。
その間、お母さんはずっとそばにいてくれて肩にやさしく手を置いてくれた。その手の重みが優しくて温かくて自然と涙がひいていった。
気持ちが落ち着いたころ熱い緑茶を出してくれた。
「よかったらどうぞ」
緑茶の苦みが染みる。
お母さんと一緒に岡本さんが好きだったQUON CHOCOLATEをボリボリと音を立てながら食べる。
ちょっと楽しい話でもしようかなと思い
「あのう、私のこと聞いてました?岡本さんの隣の席で仕事していたんですけどいつも手作りジャムもらって、そのお礼に秋田に帰省するときにいぶりがっこ買ってきてたんです。お母さんがおいしいといって喜ぶからといっていて」
「そうそう!あなたの名前みたときにもしかしたら秋田の子かなと思っていたの。やっぱり!ありがとうね。ほんとにおいしかったわ」
といった話をちょろちょろしつつ、頃合いで聞きたかったことに入った。
「私、GWに岡本さんと遊ぶ約束していたんですけど、体調が悪いと連絡がきて遊べなかったんです。もしかしてコロナとかだったんでしょうか。」
すると、ああと納得したような表情で
「ううん、違うのよ。この時期だからみんなそういうんだけどね。春先から体がだるかったり、節々がいたかったりよくわからないけど体調が悪いといって病院で精密検査うけてたの。でも、どこが悪いかわからないまま1か月たったころ起きてこないから、花の部屋にいったのね。そしたら、痛くて起き上がれないって。あわててタクシーで病院に連れて行ったの。原因不明だけど、ひどく痛がっているからひとまず入院しましょうとなって、入院。
心配だったけど、コロナで面会もできないから家で待ってたの。そしたら3日後に病院から花が今朝なくなったって・・・。いまだにわたしも信じられないの。先生も原因不明で申し訳ないって」
そんなことあるんだ。
今の医学でも解明できない病気。
「あのう、お墓ってどこにあるんですか?」
と聞いた途端顔色が曇った。
あれ、変なこと聞いたかなと思っていると
「いえね、京都にお墓があったんだけど、私も年でしょ?もうお墓参りも大変だし、花と相談して墓じまいしたの。そんな罰当たりなことしたらか花がつれていかれちゃったのかと思って・・・」
と涙ぐむお母さん。
なんといったらいいんだろ。こんなとき。
アイデアも思い浮かばず、こういうときはひたすらしゃべろう!と岡本さんがいかに仕事ができてテキパキしていて興味ないことには塩対応で、でも面白くて、マニアックで、スイーツマニアでとにかく私は大好きだったとマシンガントークを繰り広げた。
お母さんが
「そうそう、あの子、ほんと興味ないと返事もしないわよね。わかるわ~」
とケタケタと笑ってくれた。
帰り際にもう一度仏壇に手をあわせようと座り、改めて位牌を見つめる。
とこのとき写真がないことに気づいた。
「あのう、岡本さんの写真は?」
「そうなの。あの子、写真嫌いで、わたしが持っているのが・・・」
と二階にあがってもってきた写真はわたしが知らない若かりし頃の岡本さん。
は!と思いついた
「うちの会社、無駄に忘新年会があって、ロング休暇後は会社の会議室で帰省土産をつまみに飲んだりしたんですけど、そのときにとった写真があると思うんです。どこかに保存してあるはずなので、岡本さんが写っている写真、現像して送ります」
と伝えると
「うれしい」
と喜んでくれた。
自宅に戻ってPCをあさると出てくる出てくる岡本さん。
でも、一人で映っているのがないばかりか
お酒飲んで真っ赤っかな岡本さん
食後のデザートを口の中いっぱいにいれハムスター状態の岡本さん
おなかいっぱいで眠そうな岡本さん
何かいたずらを思いついてニタニタしている岡本さん
なによと怪訝な顔をして振り向いた瞬間の岡本さん
とまともなのがない。
つくづく、わたしが撮る写真って基本「面白い」がテーマなんだと気づかされた。
かわいくとれている写真という選定はできなかったので、岡本さんが比較的大きく、中心にいる写真を10枚ピックアップして現像し、先日のお礼とともにお母さんに送った。
後日。
岡本さんといく予定だった神戸春のパン祭にお母さんを誘ってみようと思う。
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