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多忙の中で得られる充実感

「頑張れ」

と言わないようにしている。頑張れと言われても、頑張れないからしんどいわけだし、頑張っても結果が出なかったときは相当がっくりくるから、ほどほどにする。そして、頑張れば頑張るほど増えるのが仕事だ。

企業に属していた時は、早く帰りたかったがために、時間内で仕事を終わらせ、終業時間1分前にはパソコンの電源を落とし、チャイムと同時に元気よく席を立つ。

すると、暇扱いされ、仕事が増える。でも残業はしたくない。ということで、忙しいふりをすることにした。毎日毎日、就業時間が近づくとものすごい疲れたオーラを出し、わたしはいつも全力投球ですを見せつけ、鉛のように重くなったふりをして、ぐったりして帰るのだ。

姑息な手ではあるが、そうでもしないと仕事は増えるのに給料は増えない負の連鎖が止まらない。あくまで給料範囲内で仕事をする。まあ給料範囲を自分で決めているのもおかしいのだが。

さほどおもしろくもなく、お金のためだけに与えられた仕事をしていたときは、全力を出さずにプライベートに余力を残すことに力を注いだ。

しかし、フリーランスになって変わった。常に全力投球で挑まないと終わらないのだ。グループで仕事をしていれば、急に休んだとて、誰かが察知してやってくれていたものが、一人だと誰も変わってくれない。休むためにはそれまでに全力で仕事を終わらせなければならない。

頑張りすぎて毎日ものすごく疲れる。新幹線の中は常に爆睡。いびきをかいてないか心配なくらいぐっすり眠っている。ストレスがたまって、指にささくれができて、手を見せるのが恥ずかしくなってくるほどだし、お肌も乾燥で肌割れがしている。唇にリップを塗る暇もなく、笑うと避けて血が出る始末。

それでも、やり遂げる。睡眠時間を削って、頭がもうろうとしてきてもやり続ける。疲労困憊でどうにもこうにもならなくなるが、最後までやり遂げ、納品したときのあの充実感は半端ない。

雲の切れ間から光が自分に降り注いでいるかのような柔らかく暖かい空気に包まれる・・・あの充実感。

登山も同じような経験をしている。登っている間は森の中をひたすら歩き、ときにぬかるみに足を取られながら必死に登っていく。いつもいつも、

「なぜ、わたしはこんなにしんどい思いをして登っているのだろう。もう二度と登山なんてしない」

と思いながら、登る。

それはなぜか。頂上からの絶景、吹き抜ける風を感じながらのあの達成感が忘れられなくてまた登る。

仕事もそう。しんどければしんどいほど

「もう二度とこのプロジェクトは受けない」

と心に誓ったはずなのに

「どうしてもゆきんこさんに」と言われたのもあるが、あのやり遂げたときのなんともいえない充実感をまた味わいたいと思ってしまう。

何も考えずにぼ~っとしたいな~と思うが、ぼ~っとしているときは何か物足りない。自分がどこかに置いてけぼりをくらっている気分になるのだ。

ものすごい多忙の中でしか得られない充実感は確実にある。

そして、やらないと決めていた案件を受けてしまった。余裕がない生活が始まるがそれもまた人生。生きている証なのだ。

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