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やさしくて寡黙なネパリー

昨日までのブータン旅行記はこちら

チュキは、お母さんとニマと3人暮らしだという。

お母さんはいいとして、ニマは誰?弟?と聞くと

「小さい時に両親が亡くなっちゃって、そこからうちで一緒に暮らしているの。ブータン南部はネパリーが多いのよ」

う~ん、英語力が微妙だからこれくらいの情報しか聞き取れなかったが、ネパリーってなんぞや?

「ネパリーはネパリーよ。カトマンズでわたしたちあったじゃない(過去記事参照)!」

あ、ネパール!ネパリーという民族みたいなのがいるのかと思った。ある意味民俗か。で、ニマは養子ということか?

「う~ん、戸籍では養子ではないわね。ただ一緒に暮らしている。わたしのお母さんのお世話をしてくれている。あと、わたしたちのご飯作ってくれるわ。だから何か欲しかったらニマにいってね。あ、そうそう、掃除もしにくる」

そ、それはお手伝いさん?!というのでは?と言いそうになったが、センシティブなことだし、ここはもう突っ込んじゃいけないのかもしれないと思い質問をやめた。

ニマとは果たしてどんな人なのだろう・・・とドキドキしていると早速庭で枯れ葉集めをしていた。

ただただにっこりとして特に会話はナッシング。

もしや、ネパール語しかしゃべれないのか?

「そんなわけないわよ。お母さんがゾンカ語しかしゃべれないから、ゾンカ語、ネパール語、ヒンディー語、英語もペラペラよ」

なんとできる男じゃないか!

語学だけじゃない。掃除、洗濯、料理、ちょっとした気づき、やさしい笑顔。ゲレプ滞在中の2泊3日、ニマの人柄に触れてしまい、恋しちゃいそうになった。いや、落ちた。が、20歳と聞いてあきらめざるをえなかった(笑)。

ティンプーに帰って、お母さんにこのことを話すと

「ブータン南部にはネパール系ブータン人が多くいるの。いろんな民族対立の歴史があってね・・・わたしもそのあたりは詳しく英語で説明してあげられないけど、ニマのような子と一緒に住んでいるブータン人は多くいるのよ」

歴史が作り出した負の局面といったところだろうか・・・

いろいろあるにしろ一目でニマ押しになったわたしは、ニマを見つけたら金魚のふんみたいにくっついて歩いていたのだった。

お次はブータンの朝のおつとめの巻。

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