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〜だっせん11〜 私が遺せるもの - みまさかぞく#026


〜だっせん10〜
では、私の祖母の最期についてお話しました。先日、四十九日も終わり、遺骨は祭壇からお墓へ。

四十九日の様子


遺骨をお墓へ



〜だっせん7〜
8910、11と、“藤小雪庵の先祖シリーズ”としてお届けしているのですが、8にこのようなことを書いていました。↓↓


私は同居していた祖父母から、「先祖代々受け継がれて来たお墓や家を継承していくのは当然の事」として教えられてきました。

お墓だけではありません。家(蔵や物置、車庫、農機具庫…)山、田畑、地域とのつながり等々(※以下、家と記します)田舎で生きていく全て。

それらの価値をどう捉え、これからどうしていくのか。私の気持ちは明確です。

現在は父母、叔父の代。しかし私は今から準備をしておかなければ…と思っています。なぜなら、私は知らないことが多すぎるから…。

今回は、その第一段階として、祖母の葬儀の際、私がおこなった行動とそこから見えた課題についてお話したいと思います。

1.私は跡取り

私は幼い頃から「この家の跡取り」として育てられました。幼心に「おばあちゃんが厳しいのは私が女の子だから?(お母さんが男の子を産めなかったから?)」と本気で考えていました。真相はわかりませんが。

ミニ小雪庵と母


2.時代と価値観の変化


実際、私の周りで家に対する価値観が大きく変わったのは、ここ10年くらいかなと思います。現在60代前半の方々から「子どもたちに家を背負わせたらいけん。子どもには子どもの人生があるんじゃけん」とよく聞くようになりました。

核家族化が言われて久しいですが、人口は減っているのに集合住宅や戸建てが驚くほど増えました。このことから、この地でも家族のあり方が大きく変化しているのを感じます。

このような建物が増えました。


3.田舎の現状と私

私の暮らす田舎の現状は、急速に過疎化が進み「若い人がおらん」「限界集落」が増加。空き家、耕作放棄地も急増しました。農業の担い手不足に喘ぎ、若い人が都会に出て帰らないことを嘆いている。

教育現場では、ここ数年で多くの小中学校、高校が統廃合されました。
廃校になった地域の子どもたちはスクールバスや保護者の送迎で登校しています。子育てしやすい環境とは言えません。

平成28年に閉校した小学校
私はここに6年間勤務していました。


だから、みんな都会に出るのです。そうする気持ち、すごくわかります。今の自分の幸せが優先されて良い!と私も思うから。

  *…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…

この現実を目の当たりにしながら、私は小学校現場で働きつつ、地元の歴史絵本を書いていました。子どもたちに、自分たちの地域の素晴らしさ、先祖の偉業を伝えたい。子どもたちが今生きている環境に誇りを持ってほしいと願いながら。

“田舎の現状と私の活動”、この両者は私の中で「強烈なねじれ」で違和感もありました。しかし、私は自分の信念を貫いてきました。それは今も同じです。

4.叔父に確認しておきたかった

祖母が亡くなり、私は叔父に確認しておきたいことがありました。それは、この家について、長男である叔父の正直な思い。

火葬場に行く時、私は叔父と2人になったので訊ねました。
私…「叔父さんはうちのお墓や家をどうしたいとか思いがある?」
叔父…「全く無いよ。私は長男なのに家を捨てて自分の好きなことをしたんだから。もしかして、ゆきちゃんが背負ってるの?」
私…「父の後は私がしないといけないと思っとるよ。その前に叔父さんの気持ちをきちんと聞いておきたいと思って」
叔父…「私は何も思ってないし、言える立場でもない。だから任せる」
私…「父母には話してないけど、私はここを畳もうと思っとる。管理が無理じゃわ
叔父…「うん、良いと思う。お父さんもそんな事言ってたよ」
私…「そうなん!また話してみるわ」
叔父…「でもゆきちゃん、そんなことに人生振り回されてる?それはダメだよ」

話は続きますが、とりあえず叔父の気持ちはわかったので良かった。

5.妹にも確認した

私は妹にも訊きました。「◯くんや◯ちゃん(私の甥と姪)はここに帰って来たいと思う可能性ある?」
妹は「無い無い。あの子たちは都会で生きとるし、ここに思い入れもないと思う。それに子どもたちの人生を縛りたくないし」とあっさり。

6.次の課題

肝心の父母に、具体的な話ができていません。なぜなら、彼らは現役で、ここで生きていく諸々のことが生きるエネルギーになっていると私は感じているから。

田んぼと山
稲刈り


私は、自分の家の土地がどこからどこまでか知りません。どこにどれくらいの税金を支払っているのか、管理できなくなった山や田畑はどうなるのか…。

それを学んでいくことが、次に私がやっていくことだと思っています。

知らないまま私が歳をとって、維持が難しくなったら、近所や行政に迷惑をかけしまう。先祖はそれを一番悲しむ気がします。

実際、山や土地は売れません。「金を払ろうてでも手放したい」と言う人は多くいます。その現実も知っていかなければならないでしょう。

7.私が遺せるもの

この田舎の地を守り、先祖とともにいきていかなければならない…。これは時に、私をすごく不自由にしました。

しかし気づけば、年齢も、立場も、生き方も違う人々にたくさん出会い、海外の友だちもでき、「世界は広くて、生きることは自由であって良い」ことを知りました。冒険する楽しさも味わえるようにもなりました。

私は、お墓も土地も家も継承できない。でも、先祖を敬い、大切な存在に思う姿勢は、これからも変わりません。

  *…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…

私が遺せるもの、それは「先祖が遺してきた有形ものを整理し、無形の想いにすること」。それは、諸行無常を受け入れていくことなのかもしれません。

自分のための、楽しみや幸せを探しながら…⭐︎

地元の展望台からの眺め

  ☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。

〜だっせん7〜から11まで、“藤小雪庵の先祖シリーズ”を読んでいただきありがとうございます。

これからも、先祖、地域の歴史、ここに生きる人々の思いなど、「田舎のリアル」を書いていけたら良いなと思います。よろしくお願いします。

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※今後の〜だっせん〜の予告※
⭐︎祖母の遺骨を入れるためにお墓を開けてみたら、祖父の骨壷の隣に誰かの骨壷が…。
⭐︎祖母の遺品を整理していたら、父が小2の頃の絵日記が出てきた!

お楽しみに。また次回、お会いしましょう。

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