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〜だっせん8〜 お墓の未来と私の生き方 - みまさかぞく#023

前回の〜だっせん7〜では、「先祖から受け継いだ田舎で、私は先祖(家やお墓、土地など)とどのように生きているのか」について考え、結論として、「私は祖父母から教えられた“田舎で暮らす習慣、価値観”の中で生きている」とお話しました。

少し余談になりますが、前回の記事を読んで、まだ加えたいことがあったと思い出しました。祖父母から教わったこと、「地域作業、行事への参加」です。稲作をしている地域は「水の管理」が重要なので、池や川に関して、水路の掃除、草刈り、道つくり(この言葉は田舎の業界用語?)に参加しなければなりません。

もうすぐ世代交代の匂いが…色々見ておかなければ…とひとりで考えています。

水路からの水を田んぼに入れる


話を戻して、今回の〜だっせん8〜は、お墓の未来について。「お墓を守る…」これは田舎に生きる者の宿命だと私は思っています。どんなカタチであれ。

1.私の家のお墓について

おそらく昭和40〜50年頃の写真。

写真のように、昔のお墓は大きな石がゴロゴロ…といった雰囲気した。

何の時の写真か不明ですが…


後ろ姿の女の子は、ミニ小雪庵


お線香をどこに供えたら良いかわからず、毎回迷い、どれが1番古いのかも不明、そんなお墓でした。

平成になってそれらをまとめました。形のある墓石はまとめて。

後ろにまとまっています。


まとめたものの中で、おそらく1番古いものを探してみました。

寛政11(1799)年と読めます。


その土地にお墓がある限り、誰かが墓守りをしなければなりません。祖父母や父母がしていることを見ていたら、簡単なことではないと感じています。掃除だけではなく、親戚やお寺とのつながりも大切にしないといけないし、まだ他にもあるかも。

2.お墓の未来と私の生き方

↑↑この問題…、つい「問題」と書いてしまいましたが、「お墓をどう守っていくのか」については田舎に生きる人たちの宿命であり、これからの大きな課題だと思っています。


前回〜だっせん7〜でもお話しましたが、私の思考と行動には、先祖(家やお墓、土地など)に対しての習慣が身についています。


しかし、現代の情報社会において、生き方や生活の価値観が多様化している上に、コロナ禍で様々な事が簡素化するという、大きな変化がありました。そこに、すごく安堵している自分がいました(新発見)。

地域行事や、お葬式、法事なども「これを簡単にしても、無くしても誰も何も困らない」「負担が減った」ことにみんなが気付いて変えることができた。

そんな中で、60代の職場の先輩は「うちは墓じまいをした」と言われていました。「誰かの負担になってはいけん。ましてや子どもに迷惑かけたらいけん。墓じまいしたら楽じゃで。墓掃除もしなくて良い、本当に楽。みんなが楽」と。

お墓の敷地内の草刈りは、
刃ではなくワイヤーでないと刈れませんが、私は技術的にまだ使えません。


問題の核は、誰がお墓を守っていくのか。それは、家や田んぼ、山も、親の介護も同じじゃないかな。

年上の方には「ゆきちゃんは、若いんじゃけん、まだ考えんでええ。人生どうなるかわからんしな」と言われることもあります。それもわかるのだけど…

今回のテーマ、「お墓の未来」。私の中では決まっています。それがこれからの「私の生き方」に繋がると思います。私の気持ちは、叔父や父母が歳をとってしまう前に、きちんと話そうと思っています。妹とも。ここをどうするのか決めること、それが長女の私の責任だから。

→抽象的なまとめになってしまいました。この続きは、後の「〜だっせん11〜」に深掘りして書こうと思っています。

〜だっせん6〜で予告した題名と、大きく変更しました。ご了承ください。


3.おまけ

近所にヤギさんが飼われていて…
飼い主さんと一緒に餌をやることが
楽しみです。
ヤギはクズの葉が大好物らしい。
かわいい♫
「ハイジのユキちゃん」と呼んでいます。


ヤギと遊んで帰って来たら……↓↓

うちの猫がすねてた…
(多分、私の表情を見て察知してると思う)


読んでくださりありがとうございます。
また次回、お会いしましょう。

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