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見知らぬ人から言われた言葉で生きるのが嫌になった時の話

娘が1才半を過ぎた夏。
その日は珍しく娘を連れて電車で近場に出掛けました。

私は娘を産んでからよりいっそう神経質になっており、お昼寝の時間、ご飯の時間等のタイムスケジュールを守りたい、加えて猛暑の中、娘の体への負担を考えると、なかなか出掛けられず、庭で遊べばいいかといつも家に籠っていました。

でも、その日は何故か朝から「よし、出掛けよう!」という気になっており、行き先は駅前広場が広くて子供が動き回っても危なくなく、近くにはショッピングモール等もあるので休憩もしやすいという場所を選び、思いきって出掛けました。

朝ご飯を食べさせ、出掛ける準備、駅までベビーカーを押しながら歩き、電車の中でも娘が泣いたりしないようにずっと娘と周りに気を配り、駅前広場に着いてももちろん娘から目を離さずに、ベビーカーを畳んで娘の後を追いかけていました。

日陰のベンチで簡単にお昼ご飯を済ませ、家に帰るためにまた電車に乗りました。

電車に乗り、娘は座席に座らせ、ベビーカーは畳みました。
空いていたので畳まなくても邪魔にはなりませんでしたが、とにかく私は子連れは周りからどんな目で見られるかわからないので、迷惑かけないように、ダメな親だと思われないようにと神経を尖らせていました。

でも、なんとか今日は出掛ける事が出来た。今日の自分、よく頑張った、と少し達成感や満足感がありました。

そして、娘がお利口にしていて、娘の安全もしっかり守られている状況なので、私は片手で娘の肩を抱きつつ、片手で携帯を取り出しました。
思えば朝から全く触っていなかった携帯の画面にはたくさんの通知が表示されていました。

私は不要な通知をスワイプして消しながら、確認したい通知を開いてみたりしていました。

そんな時に、ある駅から乗ってきた60~70代の女性が私達の向かいに座りました。

そして、乗り込んできてから数分とたたないうちに声をかけられました。

「子供の靴を脱がせなさい。皆が座る所なんですからね。」

娘は足を伸ばして座っていましたが、まだ小さい為、奥まで腰かけようとすると少し靴のかかとが座席に触れてしまいます。

私は「すみません」と言って娘を少し前に座らせて靴のかかとが座席に触れないようにしました。

私が降りる駅まであと2駅。
今靴を脱がすと、また直ぐに履かせようとした時に愚図るかもしれない。荷物とベビーカーがあるなか娘も抱っこして降りるのは大変なので、靴は脱がせたくなかった。

けれど、私が女性の「靴を脱がせなさい」という言葉の通りにしなかったことで、自分に反抗したと思ったのでしょう。女性が私に対して攻撃をはじめました。

「だいたい、母親なら携帯見るのやめなさい。そんなんだからろくにちゃんとしつけもできないのよ。ちゃんと子供をしつけなさい。」

ここまで、娘は声ひとつ出していません。
お利口に座っていてくれました。
しかし、まだ1才半ほどだというのに不安そうな顔で女性の方をうかがっていました。

負の言葉や感情は雰囲気でしっかり伝わっている。
私は女性に何も言い返さずに荷物とベビーカーと娘を抱き抱えて離れた席に移りました。

無理な体勢で急に運ばれたので娘が泣きはじめました。
あのまま座っていれば何事もなく電車を降りれたのに。

私は「ごめん、ごめん」と娘を抱っこしながらなだめました。

家に帰る道すがらもベビーカーを押しながら、さっきあった事をぐるぐると考え落ち込みました。

あぁ、やっぱり出掛けるんじゃなかった。
出掛けてもろくなことがない。
楽しいことなんてない。
私みたいなのはずっと家に籠っていればいいんだ。

家に帰ってきてから、そのまま娘と寝室に行きました。お昼寝がまだだったので寝かしつけようと隣に横になりました。

あぁ、もう嫌だ。
こんな世界にもう生きていたくない。
何にもいいことなんてない。
楽しいこともない。
ごめんね、こんなしょうもない世界に生まれさせてしまって。
辛い目にあうことばっかりのこんな嫌な世界になんて生まれて来ない方が良かったかもしれないね。
お母さんはもう二度とこんな世界に生まれて来たくない。
生まれ変わったらなんて思わない。
二度と生まれ変わりたくもない。

そんな事を言いながら泣きました。

娘は笑いながら私にじゃれていました。

あの女性は私の事を数分しか見ていない。

私が日々どんな育児をし、あの日も朝から1日どんな時間を過ごしてきたのかも知らない。
私がいつも周りに迷惑を掛けないようにと神経をすり減らしていることも知らない。
あの日、携帯を見たのは6時間ぶりくらいなのも知らない。
どんな思いで出掛けてきたのかも知らない。

あの人にとってみれば、最初から携帯を見ている母親でしかない。

でも、なんでたった数分間の私しか知らないあなたに私の子育てを全否定されなきゃいけないの。

しばらく引きずりました。

私がもしあの時、電車を降りたあと、線路に飛び込んでいたら、ああいう人に「言葉で人を殺せる」「あなたは人殺しになり得る」という事を分からせる事が出来たのだろうかとも考えました。

でも、きっと無理だと思いました。
ああいう人には何も伝わらない。
諦めるしかないんだと思いました。

あれから一年以上経って、やっとこんな文も書けるくらいにショックは薄れて来ましたが、本当に、人は言葉ひとつで簡単に相手を追い込める。

私はすっかりトラウマになり、60代~70代の女性を見ると一瞬身構えてしまいます。偏見ではなく、単純にただの私のトラウマです。

また同じような事があったら…
やっぱり私はまた同じように人生に絶望するんだろうな。

ああいう人の言葉を右から左に受け流せるすべを私はまだ知りません。

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