見出し画像

満島せしん「チョコ・ストロベリー・バニラ」とその他について

まえおき

部屋のテレビから「レイチェルの旅するレシピ」が流れている。NHKの番組で、たいへん美味しそうな番組である。食べることはそれひとつである種の愛かもなとぼんやり思う。思うだけで実感はない。実感がないのに触れているような気持ちになる。短歌を読んでいると、なんどかそういう感覚を得る。以下、満島せしんさんの短歌の歌評です。


ハロー、わたしの愛するひとたち あーんして スプーンいっぱいのラブつっこむ (満島せしん)


これは食べられる愛。「ハロー、」からの唐突な出発は複数の「愛するひとたち」に向けられてる。複数の「愛するひとたち」にスプーンを差し出したのはおそらく主体。そしてスプーンはおそらくひとつ。立ち並ぶ「愛するひとたち」のぽかんと開いた口に、主体はつぎつぎとスプーンをつっこんでいく。咽頭耳鼻科で使われる銀色の匙が舌に乗る、あの妙な温度を思い出す。


パンパカパーン!おめでとうこの童貞野郎!お前の煩悩三倍デーだ!(満島せしん)


もう本当びっくりした。
歌意を読み取ろうとすると古谷実の漫画に出てきそうな女の子がこちらをものすごい勢いで指さしてくるばかりである。ということは、童貞はわたしなのか。はからずも童貞の気分を味わう短歌。しかし、せしんさんの短歌のパワーは「発狂」に近いなと思う。突然の祈りへの踊りみたいな。周りはびっくりするけど、短歌の中の人間たちは至って本気なのである。


いいんだよ鍋いっぱいのカスタードあなたは好きに生きていいんだよ (満島せしん)


「あなた」が作った「鍋いっぱいのカスタード」は明らかな狂気で違和の象徴だ。「いいんだよ」と繰り返して「あなた」の苦しさを感じ取る主体がいる。きっとふたりとも泣いている。なぜこんなことしてしまう自分であるのか受け止められない「あなた」と、狭いキッチンで、肩を寄せ合い、あまったるい匂いのする部屋で、どんどん冷えていくカスタードクリームを眺めている。映画のすごく大事なシーンのようだ。「いいんだよ」の冒頭から「生きていいんだよ」に結ばれる。せしんさんの短歌にはほかにも、重複が柱となっているものがある。


花は花のあなたはあなたの形して息をしている息をしている (満島せしん)


この短歌は「花」と「あなた」と「息」だけで構成されている。最近歌会で「困ったら重複」というアドバイスを受けたが、この重複は技法らしくないスムーズさがある。自然と発露され、重なった言葉だ。同じ言葉を繰り返すことは、祈ることに似ていると思う。繰り返し言い聞かせること、同じことをくりかえすことで、だんだんそれ自体の意味の形が変わる。この「花」も「あなた」も、形が変わっていく。それでも「息をして」生きていることで等しい。


語弊があることを承知で言うと、わたしから見るせしんさんの短歌は「発狂」する感覚で読んでいる。元気すぎて怖い、優しすぎて怖い、愛しすぎて怖い。そういう感じがある。人間の本当に狂った瞬間の瞬発力、または走馬灯のようなスローリーな体感。自覚する愛より、無自覚の愛の方が重たかったり、人と関わり合って、すこしねじれていく人の姿。そういう人間のねじれた部分が垣間見えるせしんさんの短歌に私は惹かれている。

満島せしん
note   https://note.mu/seshin0701
Twitter https://twitter.com/seshinmitsushma

この記事が参加している募集

#読書感想文

188,210件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?