【新世紀の流行歌 2章】 「わたしのプレイリスト」

 脆弱なセキュリティ。アパートの鍵を開けて、自室へ入る。職場にあてがわれた古い部屋。見慣れた風景。何も変わらない小さな世界。
 コンビニエンスストアで購入したリキッド・セルをクーラー・ボックスに移し替える。これも慣れたルーティン。一本は手首の投入口から流し込む。
 ほんのわずかな快楽。いつもはただそれだけのためにこの部屋に帰ってきていた。でも、今日は違う。
 
 部屋の隅。昨晩、出勤前にリサイクルショップで買ったばかりのキーボード。その前に座る。
 鍵盤の白、白、黒。人差し指と中指で優しく押してみる。安っぽい音色が狭い部屋で反響する。
 天井を眺める。そのまま髪を耳にかけた。鍵盤に両手を乗せる。
 ここ数週間。ずっと、自分の中でイメージを重ねていた音楽を奏でたかった。

 この音色を誰かに聴いてほしい、わたしはふと、そう思った。同時に、そんな気持ちが浮かび上がったことに驚いた。今日、目にしたモノーディアのせいだろうか。同じアンドロイドの少女が、スポットライトの下で楽しそうに歌を歌っていた。その音楽を、この世界の大勢の人が聴いているのだ。なにもかもが違っていた。
 どんなにささやかでもいい。わたしがつくった音楽を誰かに聞いてほしい。
 こんなふうに感じるなんて、まるで、<生きる意味>を探し回る人間のよう。<生きる意味>が定められたアンドロイドには不要な欲求だった。

 キーボードと合わせて買ったほとんどジャンクに近いPC。単語を打ち込んで、わたしの望むページを探す。
 わたし自身の機能を使ってもウェブにアクセスすることはできる。ただ、あくまで業務用につくられたわたしは業務に必要な情報にしかアクセスできない。いま、見つけようとしているサイトなんて、きっともってのほかだと思う。

 大した苦もなく望んだサイトに行き当たった。
 『ユアーズ』という名のそのサイトは、詩や小説、イラストに映像作品、そして音楽。あらゆる創作物が行き交う場所だった。制作者は専門のプロフェッショナルの混じっているが、大部分が一般人から成り立っているようだった。
 ここならわたしのつくったものも、見てもらえるかもしれない。そんな期待と共に、ファイルアップロード用ページを開く。ついさきほどの演奏を、演奏と呼べるほどではないものだったけれど、PCの内蔵マイクで録音して生成したファイルを、ドロップした。
 公共の無線LANはひどく低速で、アップロードの進捗は数秒に1%ずつ程度。
 じれったい。こんなに気が逸ることがあっただろうか。普段の接客も、ただ時間が早くすぎるのを待っているが、胸を踊らせて待つわけでもない。
 10%。20%……。
 メロディを自分のなかで何度も反芻しながら、完了を待つ。いつの間にか日が高くなっていた。
 備え付けの古い液晶テレビをつける。昼のニュースの時間だった。ヘッドラインをいくつか眺めたところで、PCからビープ音が流れた。画面を見ると、ポップアップが揺れていた。
 書かれている文章によると、作品の投稿を完了するにはアカウントの登録が必要だということだった。

 どうせ、わたしの働く店の会員たちと同じようなものだろう。適当に偽りの名前や連絡先を入れてしまえば事足りるはずだ。なんとなく部屋の景色から脳裏に浮かんだ適当な単語を姓名の欄に入れてページを進めた。
 長い注意事項。その最後に見過ごせない文言があった。

 <アンドロイドによる創作物は認められません。※人間酷似型機械管理法第3条による>
 
 法律名を検索にかける。全文は簡単に見つかったけれど、全てを読むまでもなかった。
 簡単な話だった。
 わたしは、何も生み出してはいけないんだ。

 アンドロイドは、<啓発派>と呼ばれる一部の識者たちによって、一定の権利を与えられている。わたしがこうやって、個室で過ごすことができているのも、彼らのおかげだということは知っている。
 それでも、社会のほぼすべての産業が、機械、あるいはアンドロイドによって置き換えられている現代、人間のために守られている最後の領域がある。それが<創作>だった。
 条文によると、アンドロイドが創作をしてしまった場合、人への暴行に準じるほど重い罰、すなわち廃棄処分が下されるようだった。
 人間でいうところの<死>に相当するのだろう。どんなものなんだろう。想像もつかない。それは人間でも同じか。

 短いメロディが聞こえた。テレビから。画面上部に<速報>のテロップが映し出される。
 <──『モノーディア』のボーカル・ユイネが、反アンドロイド団体所属の男に襲われケガ>
 少し驚いた。朝、映像とはいえビジョンで見たばかりの彼女が襲われるなんて。
 アンドロイドの存在をよく思わない人がいることは知っていた。最近、表立って行動に移す人が増えていることも。でも、不安以上に、ユイネの扱いを妬ましく感じる自分がいた。こんなふうにみんなに心配してもらえるんだ。ケガ、だなんて言い方がその証。きっとわたしなら<故障>とでも言われるんだろう。

 嫌な気分がする。うまく説明できないけれど。アンドロイドには不要な感情のはずだった。最近、どこかおかしい。
 とにかく、気を紛らわせたかった。
 わたしは音楽プレーヤーを取り出して、お気に入りの曲を選択した。
 ずっと昔の音楽。いまではきっと、誰にも知られていないような音楽。いつか事務所のラジオから聞こえてきただけの音楽。でも、わたしのプレイリストでずっと流れ続けている音楽。

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