猫

夏子

自信たっぷりで贅沢好きで、奔放で自分勝手な夏子が、しかし、やはりどうしようもなく女でしかないことに、遼平は一瞬烈しい歓びを感じた。遼平は、かつて誰にも抱いたことのない愛しさを、必死なハンドルさばきで車を運転していく、夏子の頂や小さな形の良い頭に感じていた。-『青が散る』


「もう会えないの?」
しきりにそう聞く彼女は明け方早く、もう電車が動き始めたから、と口づけを迫る僕を猫のようにするりとかわし、その代わりにほおを寄せたハグをして、静かにドアを閉めた。
最後まで、彼女は気遣いのできる人だった。




彼女と初めて出会う夜、駅の近くの商業施設で待ち合わせをしていた。ほのかに残る日中の熱気をかき分けるような、気持ちの良い風が吹いていた。前の予定が長引き、さらには待ち合わせの駅と逆方向に向かう電車に乗ってしまったという彼女は、予定の時間から45分遅れて到着し、申し訳なさそうに、そのくせ満面の笑顔で駆け寄ってきた。

思いのほか背が小さく、ノースリーブから見える肩はやわらかい曲線を描いている。あくびする猫みたいに、目をほそめながら笑う仕草が印象的だ。32歳、都内で会計士として働いているという。

「意外と天然なんだね。」
「意外と小さいね。猫みたいで可愛い。」

意外と、という枕詞は、年上の彼女と目線を揃えるのに役に立つ言葉なのかもしれないけれど、“会計士”、という固い響きにそぐわない彼女の天然さが、純粋に可愛いと感じた。

「今日はおめかししてきてくれたんだね、ありがとう。」

そう伝えると、彼女は嬉しそうに微笑みながら、そうでもないよ、の言葉を皮切りに、言い訳にも似た口調でそれまでの予定を嬉々として話し始めた。僕は無邪気に話す彼女をよそに、その照れた表情にただ見とれていた。







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