お互いの価値観について思うこと

ふたり

恋人だの夫婦だのと関係に名前を付けたところで他人は他人です。

生まれも育ちも違えば、好みも違う。
そんな二人が同じ屋根の下にいて、共有する財や時間をどう使うかを話し合っているのですから不思議なものです。
実際それが原因でけんかをすることや別れることもあるのです。逆に価値観が似ていると、「私たちって似た者同士だね」と一種の安心感を覚えるのもまた事実。

違いを知る

似た者同士だからよいとか、みんな違ってみんないいとかそれは結果であると思いますし、結果論です。
違うことは前提であって、何が違うのかということを知らないとならないわけです。
筆者らカップルは、洋服やスマホに対する価値観が真逆です。
興味がないわけでもなく、嫌いなわけでもありません。洋服や巡りやヨドバシカメラに行くことは何ら不快ではないのです。しかし、それにお金を出すという実際的な問題に直面すると同じ額でも果たしてそれほどの価値があるのだろうかと考えてしまうわけです。
つまり違うを知ることは、その手前まで行わないと見られないのです。

価値観が違うことは嫌いだということか

意見に賛同しないことや、価値観が違うことは必ずしもその人自身が嫌いだということではありません。誰が何と言おうとその意見には賛成できない、その価値観は理解に苦しむといったことも世の中にはあります。
意外とそれをわかっていない人がいて、意見を否定されると「あの人とはやっていけない」などといいだす人がいるわけです。確かに、話すたびに議論や口論をするのはお互い疲弊するでしょう。
しかしそれはその意見(文字のられつ)についての話であって、それを発している人自身についての否定ではありません。

価値観が違うなら

価値観が違くてもその人自体を好きなのならば十分やっていけると思っています。というのも、もし価値観の違う行動をしたいのならプライベートな範囲で行うか徹底したプレゼンをすればよいからです。
たいていは、個人的なレベル(プライベートな行動)ですみます。
洋服について考えてみましょう。もし洋服にたくさんのお金を出せないというパートナーがいたとして、あなたはどうしても欲しい服があるとします。
このときもし買うなら、相手を説得するか、「自分のお金」で買えばいいのです。生活に支障がない限り。
多くの人は、相手の説得であったり、相手に負担を求めることが多いと感じます。
仮に、二人の共同で出すべきお金について議論をすることがあるなら、むしろ徹底するべきです。あらゆる類似品を徹底的に比較して目的や理由をはっきりさせることが最善策だと考えます。

価値観が違うから別れるは「もったいないこと」

価値観はその人にとっての一部にすぎません。その人の生きた背景がそれを構成しています。ほかの人間の部分ももちろんあります。
価値観が違うからという理由で別れるのはまだその人のことを知らない証拠です。
その理由で別れると似たような価値観の人と出会うと、価値観だけでその人の全体を把握しようとしてしまいます。素敵な出会いの可能性もあるのにもったいないと思います。

この記事も価値観に対する「価値観」を書いたものです。
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