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父の昔話しが、大好きだ。 ときどき盛っているようだけど。


我が父のこと。
変わり者かもしれないし、そんな変わっているわけでもないし。ごく普通のお父さんという感じでも、ある。

世のお父さんたちは皆、それなりに濃いキャラクターがあるのだろうと思う。
昭和なちゃぶ台ひっくり返すような頑固オヤジだったり、育メンなパパだったり。俺の言うことを聞け!なコントロール型だったり、放任主義だったり。 滅多に帰ってこないお父さんもいれば、家に居すぎるお父さんもいるだろう、なんでそんなに居るの?みたいな。いつも家族揃って、さぁ!みたいな父さんもいれば、シーンとして家のどこにいるかもわからない、幽霊のようなお父さんも。

どんなお父さんもきっと、それなりの濃いキャラクターなのだろうだと思う。
私の父もそんな1人で、普通にちょっと毛が生えた(普通ってなに!?)、それなりのキャラクターを持っている。

その父。ここ1年くらいから少しずつ、認知ボーイ。
彼の頭が図書館だとしたら、一見すると、東京北区の赤レンガ図書館みたく、粋でレトロな建物で。でも中に入ると、どこかちょっとおかしい、、。誰もいない受付は雑然としているし、その横にある案内図は、字が薄くなってよく読めないし。
朽ちはじめた古い書架からは、少しずつ少しずつ、パラパラと本が床に落ちている。司書らしき父は、それを拾っては、なぜか違う棚に戻しちゃったりするものだから。
あ行の本がた行にいっちゃったり。本が落ちて形がゆるみ、抜け落ちたページを違う本に挟んで、知らん顔。 歴史の本は、気がつくとIT関係の棚にシレ〜っと鎮座していたり。
それを見つけて混乱する私はついつい、そこの棚じゃない〜〜!ピッピ!!
と笛を鳴らしてしまう娘だけど、父も黙っちゃいない、「周りに迷惑になるので、図書館ではお静かに」、、みたいな返しをしてくる。

でも、父の古〜い記憶、幼少期から40代ぐらいまでの記憶は、ボロボロの書架を通り越した、そのもっと奥にある古書室とやらにあるようで、棚もまだしっかりしている。本も落ちてないしページも抜けていないから、年代順やあいうえお順で、読みたい本を安心して探せる。

母が亡くなってからは、父はよく昔の話しをしてくれる。
私は生まれた瞬間から父が大好きで、だから私の記憶にはたくさんの思い出がある。
父のタバコ臭い手のひらを嗅ぐのが、好きだったな。握手しながら歌う、毎晩のおやすみなさいの儀式。TVでアポロ11号が空を突き抜けていくのを父の膝に乗って一緒に「おぉぉ!」よ目を丸くして観たり。私の褒めようもない図画工作を褒めてくれたり。熱が出るとアイスクリームを買ってきてくれたり。年頃になればボーイフレンドの相談も聞いてくれたり。
その他たくさんの、湖がたっぷん溢れるくらいの時間を一緒に過ごしてきたけど、でも、父の生い立ちや学生時代のことなどは、あまり聞いたことがなかった。

父が、そう言った昔話を聞かせてくれるようになったのは、母がいなくなってから。
夫婦時代の人生を回顧するようになったのか、はじめは母との思い出などをポツポツと。その内に結婚前や自分の学生時代、幼少期の頃まで、よく遡って聞かせてくれるようになった。
それからまた随分月日が経って、認知が少しずつ進んできてからも、それでも同じように昔を回顧し、話してくれる。その記憶は例の古書室にあるらしいから、話す内容はいつも鮮明。本も痛んでなく、ページもめくりやすい。手に取りたい本がどの書架にあるのかも、すぐに分かる。
そんな感じで、聞いたとこのある話も初めての話も、私は「それでそれで?」と聞くものだから。調子に乗る父は、いつものように、祖母(父の母)が書き残した日記や、PCにため込んだ古い写真を引っ張り出し、語る、語る。

「子供の頃、イワナやヤマメを捕まえに悪ガキ仲間と、この川によく行ったんだよ。ある時、仲間の1人が川の渦に巻き込まれちゃってね。焦った焦った!そうしたらソイツ、自力で川からゼィ〜ゼィ〜言いながら這い上がってきて、そして、
”滝壺の底で、仙人が煙管をふかしてたぞーっ!” 
て言うんだよ。いやいや、みんな初めは信じてなかったけど、、。白い髭を伸ばした仙人が、川底にデンと胡座を組み煙管を口にくわえて、煙をぷかぁ〜っ!と。ソイツはすごく真剣な顔をしてそう言うもんだから! やっぱ、、いたんだろうねぇ。」
面白い! それもカッパじゃなくて仙人だってとこも。仙人がタバコを吸っちゃうってとこも。

それにしても昔の子供達って、命をかけて真剣に遊んでいたんだなぁ。そう言う時代だったんだなぁ。
私も姉も命はかけなかったけど、木や蔦がボーボーの空き地でターザンごっこをしたり、オタマジャクシを取ったり。駄菓子屋さんで買い食いしたりクジをやったり。良き昭和だったな。懐かしいな。
な~んて自分の思い出も重ねながら、ふんふん、そんでそんで? っとその先を促す。

この話も私は好き。
「桃畑のおじいちゃん(父の祖父)のところに養子に出された時は、フクさん(父の母)のことが恋しくて恋しくて、泣いてさ〜。」
私「ウソ?!養子に行ったんですか!」
父「そう。でも泣きすぎて、すぐに戻された」。
この先には、どうして養子に行ったのか、そしてなぜすぐ戻ってきたのか、などまだまだストーリーがあるんだけど、
私が一番印象に残ったのは、父も子供の時にはよく泣いたんだ!ってとこ。そこにびっくりした。大人の泣かない父しか知らなかったから。
子供だものね、そりゃ寂しくて泣くよな。

「私(父)が木に寄りかかってポーズを撮っている、この写真ね? 良いでしょ。」
と、一枚の写真を見せる。
「初めて付き合った人が撮ってくれたんだよ。っふぉっふぉっふぉ。でね、私が手に持っているのは、その女性のジャケットなの。」
結婚後も後生大事に取っておいた元カノが撮ったという、その写真。もちろん焼き餅焼きの母に見つかり、ビリビリまではいかないが、ぐっちゃぐちゃにされて。それでも父はコソコソとシワを伸ばし、テープを貼り。そして今でも大切に取ってある。 
初恋や元カノとの思い出が美化してしまうのは、どの世代でも同じじゃな。男子諸君よ、、。




父「あのね、パパとママは出来ちゃった婚。って知ってた?」
私「、、、、」

知らなんだよぉぉぉ〜〜。
父の話は続く。
父の兄が、「海の町のある女性を好きになり恋文を出したいのだが、なんて書いていいのか分からない。代筆をしてそれを届けてほしい」と言ったそうな。
そして弟の父は、自分でも惚れるような恋文を書き上げたそうな。
その手紙を、海なし県の父が電車を乗り継ぎ海っぺりの町に住むその女性に届けることになる。
ピンポーン。あ、その時代はドア・ベルなどなかっただろうけど。
ドアを開けたのは、その女性、じゃなくてその末妹。私の母。
目と目が合う。あらら。2人とも一目惚れ。
兄の恋を実らしに行ったら、自分の予想だにしていなかった突然の恋が実ってしまったのだ。
そして、しばらくすると母は私の姉を身篭った。あらら2。

それを知った娘を溺っ愛する母の父タケ郎は、私の父を地元の小さな港へ呼び出したそうな。

小さな漁師用のボートを用意し、待つタケ郎(漁師じゃないので、たぶん友達に借りたのだ)。 

父、ボートに乗る。タケ郎、エンジンかけブーン。沖に沖に。ブーンブーン。もっともっと遠く遠く。

母の父は無言でエンジンを止める。陸はいったいどこなの、くらいな遠い向こうの向こう。

父は、海に落とされると覚悟する。
するとタケ郎。遠くを見ながらポツリと言う、
「、、、、ケンちゃん(父の名)。秀子をよろしくお願いするよ。」
そして、ポケットから「これ、少ないけど、何かの足しにしなさい。」
と、1万円の入った封筒を父に渡す。 


娘の私、なんかジーン。ちょっと盛ったかもしれない香りがしても、、。
戦後に子供5人を育てながら、小さな飲み屋を営んでいた祖父母にとって、その頃の1万円ってそうとうなお金だったであろう。 
そして思う、、。 姉が無事にこの世に生まれたのも、私が次に生まれたのも、きっとタケ郎のお陰。
生前の祖父は無口で短気で、1メートル以内に近づくと動悸がするほど怖かったけど、この話を聞いた時は、天国のおじいちゃんをムンギュッと抱きしめた。


こうやって、思い出を嬉しそうに楽しそうに話してくれる、父。
幼少期から大人までの、私の知らない頃の父や人々の話。
私の一番身近なタイムトンネルは、父の話。

まだ聞いていない話もたくさんあるだろうけど、それらは例の古書室にあるから、きっとまだまだ大丈夫であろう。
でも、あと何年? 
何年だって、まぁいいや。ずっとかもしれないし、そうじゃないかもしれないし。
それにあの朽ちた書架を、父がトッテンカッテンと補強することも、あり得るしな。
、、って、寒く下手っぴ比喩をまた書いてしまったんだけど、、。

次はどんな話を聞かせてくれるのだろう。
野鳥を捕まえて料亭に売っていた話しや(ひゃ。これ違法だわな)、一緒に遊び歩いていたアメリカ軍人さんに告白された話しの続きも、ぜひとも聞いてみたい。

次回は、父の古書室手前の最近朽ちてきた書架あたりの話しでも、しようかしら。それはそれで、良い話もある、、はず。

おしまい。



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