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青空広がる5年前の話。

人生初体験の出産。
それから2年後、生まれてくる子供はつわりから違うことを知りました。
それから二人は大きくなって約8年後、小さな子供が可愛く見えてきて、新たに一人授かりました。
それが末っ子の「あーさん」。
これは甘えん坊で賢くて、おしゃべり上手なあーさんが生まれる時のお話です。



1回目と2回目が普通だったからって3回目も普通な訳じゃない話。

長女・しーさんの時は特に働いても無く、つわりで死にかけていました。
というのも炊飯器を開けた瞬間の炊きたてのお米やスーパーのお魚屋さんでは匂いの強さに気持ち悪さを覚え、食べれば嘔吐、結局飲み物が一番気が楽っていうあれそれ。
それでも嫌いな茄子が食べれるようになったり、紅茶よりも珈琲派になったり、さり気ない影響はありました。
あとどうでもいいけど果物ファーストフード食べたいが凄い。
それでも何故動物園に遊びに行けたか不思議。(長女の時は特に体力が無くて、車椅子で押して貰ったという……スマン)
予定日は10月28日だったけど、11月の頭に無事生まれました。

一方の次女・まーさんはというと、つわりはあるもののそこまで酷い印象は無かったんですよねー。匂いつわりは相変わらず。でも嘔吐は少なかったなー。
とりあえずからあげファーストフード(特にマック)が食べたくて仕方なかった感じ。
ちなみにこっちでも出産前に動物園に行ってます。なんでだろう。(徒歩で行けたよ!頑張ったね!(?)
予定日は確かクリスマスくらい。
でも旦那も年末休みに入ってゆっくりできるねーと言っていた朝、陣痛が来てお昼に無事出産しました。

そして三女のあーさん。予定日は4月9日。
こっちでは既にスーパーのレジ店員をしてました。
レジしてカゴに詰めるアレ。
元々あっちこっち動いている体力もあったからか、妊娠7カ月目くらいまで余裕で働いていました。
シャツとタイトスカートだった制服も妊婦用のワンピースになって、お腹を締め付けない仕様は優しかったと思うんだ。
めちゃくちゃ普通にカゴ持って運ぼうと思ったら怒られたり(※当然)、品出しもお米や飲み物を詰め込んだりしたんですが(お手伝いでね)、お菓子に変わったり配慮してくださって有難いのなんの。(※一度社員さんにお米お願いされて普通にやったら大目玉食らっててすまねぇってなったことはある。ちなみに「知らなかった」と供述してましたが周りから「見りゃわかるだろ」って突っ込まれてたので、あの時はお腹大きかったんだろうなぁ)

さて、そんな三番目の食事は何故か無性にお味噌汁。そしてお米。
ちなみになんで食べ物を太字にしているのかは……後ほどお話すると思います。(しなかった。産後の子供の好みです)
それから新居へお引越し&仕事を辞めて、やっぱり子供達を連れて動物園に行って……

入院しました。

そう、それは年末の引っ越しを終えて、新学期が落ち着いていよいよ進学も見えてきた3月7日。
新居でのんびりとしていた日が続いていましたが、今日は腹がやけに痛いなーと思っていた朝のことでした。
今日は定期健診だー!と上の二人を産んだクリニックへ行くと、「今日から大病院に移って貰います」って衝撃の一言を貰ったのです。
その理由も分からず、大混乱するまま紹介状を出された大きな病院へ。
しかも病院の初診受付は11時まで。現在10時半。
時間もめちゃくちゃないやん!?と近くまで行くも、車が多くて大混雑。
姉上に送って貰っていた僕は病院近くの信号で赤信号を食らってる間に車を降り、病院の受付まで全力で走りました。走っちゃいました。
ちなみにどれが原因かは分からないけど初診で受けた先、お腹の張りをチェックすると……「赤ちゃん出そうです。今すぐ入院してください」と言われました。
え、待って?今日この後旦那の確定申告に行くんですけど?家事もまだ洗濯しかしてないよ??

訳も分からぬまま入院を言い渡され、家に帰ることも出来ずそのまま入院の手続き。
部屋の準備からの車椅子で移動、そして「ベッドから降りないでください。トイレへは看護師を呼んでください」と言われました。
え、そんなにヤバいの?(と思ってる間に腕には点滴をぶっ刺されました)
混乱続きの僕は何をしたかというと……何故か鞄に入っていたルーズリーフと筆箱を取り出して日記を書くことにしたのでした。
何故持ってるって?なんか昔からの癖。(※どこでも暇があれば絵を描く変態だったんです)

入院初日の日記。字の汚さは混乱により……と思ってたけど、多分点滴による張り止めの薬。

入院えぐい。終わりはどこ。

雪鐘さん、入院は出産前後しかしたことがないんです。
他は健康的。過去何度も小児科で治療は受けてたのにね。
いや、お世話になってた小児科がトンデモな先生だったんだけど。(多分結構優秀)

入院してからは家のドタバタと不安で頭はいっぱいでした。
家は洗濯しかしてないし、旦那の確定申告できないし、長女も「学童の習い事やってみたい」と言ってたので体験レッスン行ってみようか―って話をしてた頃。
レッスンは長女が僕を気にして行くのやめちゃったらしいし、確定申告は電話して「出産してからでいいよ」と言ってくれました。ありがてぇ(涙)
あとは家事です。
家のご飯大丈夫かな、と思ったら流石新居から徒歩1分の旦那の実家。
お義母さんがご飯の準備とかしてくれてるらしいです。
皆すまねぇ、すまねぇ。

入院中はウテメリン(張り止めの薬。副作用は動悸・痙攣(振戦)・頻脈)を点滴で体内に入れていたので、体が熱くなったり心拍が上がって苦しかったり、体調悪い感覚がずっと続くと鬱々するタイプなので結構気持ちはキツかったです。
そんな入院生活、個人的に癒しの時間だったのは子供達や旦那がそれぞれ遊びに来る時間、食事、シャワーでした(※入浴禁止。特に最初の方は立たせることも基本厳禁の為、髪は美容室のように看護師さんに洗って貰い、体は蒸しタオルで拭いてもらうだけ)。
現在はエッセンシャルのシャンプーを使ってますが、旦那が持って来たアメニティーセットがそれで、初めてここで使ったので特に癒しの時間になりました。ありがてぇ。
ちなみにご飯は魚が特に美味しかったって日記に書いてある……(やはり食事も強い)
ちなみに点滴だけでなく、食事にも毎度鎮痛剤と鉄剤飲んでますよ。

個人的には3度目の出産なので母親の勉強とか一切ないのが気が楽でした。病人として居られる。すごい。
クリニックは母親学校の生徒、病院は患者。なんかそんな感覚もありましたなー。
これは入院2日目のことなんですが、先生からは「退院は19日ね」って言われました。
そう、僕の誕生日は12日。初めて、病院で誕生日を迎えます……。

3月9日の日記。でも10日に書いたやつ。
ちゃんと10日の日記も別に書いてるよ。

初めての、病院でお誕生日。

まさか病院で誕生日を迎える日が来るとは思わなかった。
今となってはそれも良い思い出。
ただ点滴をしてる以上、旦那や子供達との意思疎通・連絡手段が限られている以上、そしてその前の日やらなんやらで当然ドタバタするし、色んな不安だったり辛いこととかキツイことがあったのも事実です。
前日は確定申告の問題で(僕の実家に一度お願いしてました)ちょっと上手く手続きが出来なくて、じゃあ電話で…と冒頭に戻るんですが、なんというか、我が親と旦那の親の差を見せつけられた日でもありました。
お陰で気分は落ち込むのなんの。
そんな翌日、誕生日の朝も平和じゃなくてですね、点滴が閉塞でアラームが鳴るという珍事件が発生してたり。(今や殆ど覚えてないけど日記に書いてあるから圧倒的そんなこともあった気がする感)
ちなみに検査では体重2641gで重さ的には問題をクリアしたみたいです。(だったらもう出産しても良いと思うんだって言い出す旦那VS低出生体重児を母子手帳にどうしても付けたくない先生の構図)

地味にこれまで食事はスプーンを使っていましたが、お箸デビューしました。

当然ですが、画像は一部編集しています。
単に娘の名前をあだ名に変換してるだけですが。
お誕生日会、楽しかった。

入院後半戦。

翌日から鉄剤が終わり(貧血が消えたらしい)点滴の量も減りました。
疲れたのかしーさんも熱を出したらしく(※わりと心労が溜まると熱が出るタイプ)、母親もお腹の張りを気にせざるを得ない状況が続いているので…まあ皆疲れるよね。みたいな。
入院から一週間、この辺りは本当に気分も落ち込みがちでお義母さんとか旦那のお祖母ちゃんの面会に助けて貰いました。
実家より旦那の家の方に助けられまくるってなんなんすかね('_')(そもそもうちの親殆ど来なかった。来ても姉上。

3月14日、退院についてのお話。
担当の太郎先生は本当に良いお医者様でした。
出産もお願いしたい(フラグ)
同日、点滴が外れました!

ちなみに入院中は精神科の方にもお世話になりました。
僕がADHD+ASD+双極性障害(※グレーゾーン)と分かっているからでもあるのだけど、話を聞いてくださったり保険に睡眠薬を持たせてくれたり。
話を聞いてくれる中でも褒められたのが、自傷癖の治し方と突然舞い込んできたストレスの対処法。
特にストレスの方は、日記を書いていることを伝えると『気持ちの整理ができる』とのことで特に褒められました。書いててよかった。

15日には手の震えが収まりました。
初めてシャワーに入ることになったし、まさかのまーさんの幼稚園時代の友達のお母さんに遭遇。
救急車で運ばれ、予定日はまだまだ先なのに昨日出産したと聞いて喉がヒュッと鳴りましたね。
だってもしかしたら自分もこうなる未来があったかもしれないから。
先に気付いて即入院して良かった、って思うこともあるんだなぁ。

入院後半は点滴が終わると殆どが投薬(試験薬を使ってモニター協力もしてました)。
それから検診、体重測定。
17日には何故か先週よりも2kgダウン。全然動けない割には食べてるのに何故。
そして後半には「妊産婦付加」として通常の病院食にプラスしてデザートにパンやプリンなどが付いたりしてました。
多分あれだ、「食っとけ!食って出産の力付けとけ!!」ってやつです。ありがてぇ。
ちなみに日記は毎日1ページ36行を埋め尽くす勢いだったんですが、この日は裏面に入って+10行書いてました。その分不安7割くらい。

残りの空白はこちらの落書き。
(これくらい書かないと余裕が無かったんだと思う)


そしてこの日、ずっと日記を書き続けてたボールペン黒のインクが切れました。
18日の日記?1枚分(36行×2)だよ。←

19日の日記はこちら。

え?この日記?4行余ってるけど10時半ごろの退院まで書いてますよ。へへ。
退院の準備もして、看護師さん達には沢山「行ってらっしゃい」って言われました。
ええ、どう考えても一時退院ですよね。そうですよね。
7日から2週間弱、本当にありがとうございました。

一時退院、そして。

退院中は日記をお休みしました。
だから記録が殆どないのです。
ただまあ退院した頃にはそろそろ春休み、しーさんは4年生でまーさんは2年生になる頃です。
連絡帳にはすみませんでした、と挨拶したり、お義母さんにもお世話になりましたと伝えたり、僕は僕で殆ど動かないように極力安静を心掛けました。(一応出産しても正常期間にはなってる)
それから一度定期健診で診察してもらって、4月になって、一つ事件が。

なんとここまでお世話になった太郎先生、異動で実家近くの大病院に行ってる
え、生まれたうちの子見てくれないの!?
あんなに親身になってくれた面白い先生だったのに!?
なんとこの太郎先生、前のクリニックではずっと「男の子か女の子か見せてくれないねー分かんないや」と出会うまで性別不明だった子を、出会ったその日に「女の子だよ。うん、99%女の子。これは絶対女の子だね。おちんちんないでしょ?ね?これで今まで分かりませんでしたは無いなぁ」と断定してました。
入院初期にあった母親に対する意識のアンケートでは『子供を見た時の気持ちとか聞かれるんですけど、まあやってると不愉快になってきます。適当で良いですよ』と堂々と言って下さるところがまた好きでした。
入院中もずっと見てくれたのになぁ……そんな気持ちも相まって、出産頑張ろうって気持ちはあったり……でもやっぱ見て欲しかったああああああ!!(涙)

そしていよいよ4月8日、明日が予定日だーって時にそれは来ました。
なんか、お腹痛い。
それよりも、トイレ……に行ったら突然の水が出てきてまさに(゚Д゚)!?←この顔。
実は破水を初めて経験しました。
破水って生理用ナプキンとか付けといて、付着させれば検査で破水かどうかの検査できるんですって!(このあと病院行って教えてもらった)
丁度今から夜ごはんを食べるぞーって時間。
病院に電話をかけると「はーい、夜間玄関からどうぞー」とお話を頂いて、夜9時に病院へ直行しました。
ところで今回の病院、途中桜が綺麗に咲いてたんです。
夜桜綺麗だったなぁ……。

ここからが本番。

入院…の前に分娩室の向かいの病室に移動しました。
この時はまだ本格的な陣痛じゃなくて、適度に痛いけどまー余裕余裕☆とかほざいてた気がします。
旦那は子供達が明日の準備してるかとか様子も見ないといけない為、一時帰宅。
僕は実家に「そろそろ子供が生まれるかもー」と電話。
予定日通りの子供が生まれるかもよーと話していると、父親から「明日は4と9で数字の巡りが悪いから今日産め」って言われました。
あと2時間だけど?出来る訳ねーだろ?僕を殺す気なのかね?(無理矢理出産したくねーでござる。子供にも影響出るし)

ここからは全く参考にならない話。
別の意味で影響出た。

何があったかと申しますと、午前1時前に現れる姉上と母上。
それから入院中のことやら、定期健診のことやら、そもそも大病院に移った経緯まで話してたんですが(そもそも親が来なかったせいで話す機会すらなかった)、多分2時頃辺りから僕の体に異変が起きました。
気付いたら、痛い。
さっきトイレ行ったからか?トイレで動いたから陣痛始まった系?
しかもなんか寒い。
くっそ極寒。
なんでか分からないけど、体が震えてきた。
痛くて震えてるんだと思ってたら、いつの間にか寒い気がしてきました。
あまりの寒さに「寒い」と伝えたら見た目が悪寒どころじゃなかったらしく、そして病院では毛布系が無い為、電機掛布をかけてもらいました。
そんで体温を測ると、みるみる上昇していってた。
解熱剤も飲んで、寒くて寒くて悲鳴上げてるとやってきた陣痛。
痛い。寒い。なんかその繰り返しで、話し声にも適当に返事はするけど、返事しないとこっちの意識が持ってかれそうな感覚。
寒気が落ち着いたーと思ったけど、それは勿論危険なサイン。
体温、40度になりました……。

それから来る突然の羊水バシャー。
あ、今から出産来るんだなと思っていつの間にか帰ってきてた旦那に「ナースコール押して」と痛みと体の火照りにひーひーに伝える。

旦那「まだいけるやろ」
母「まだ大丈夫やろ」
こ、こいつらー!!

羊水出たって!また破水してるって!来る!来るから押して!って言ってるのに一向に押してくれなくて、母と姉の前だからってずっと我慢してた言葉を吐いた。

「早よ押せや」(これだけはめっちゃ鮮明に覚えてる)

結局ナースコール押して、看護師さんに来てもらいました。
「大丈夫!?分娩室行こうか!歩ける!?……今車椅子持ってくるね」
流石に高熱と痛みで死んでるのが分かってるのか、車椅子にのっけて貰いました。
でも普通に座るなんて無理。
だって、なんとなくわかるもの……我が子、多分もう出かかってる。

無事出産。

分娩室に行き、足を開くと看護師さん二人、びっくりしてました。
「あ、頭見えてる!」
やっぱりそうですよね……だから早く押せと言ったのに……。
しかも旦那、まだ大丈夫やろと自販機行ってた。(※分娩室は6階。自販機は地下1階)
旦那は待てない、医者も待てない、私達でやろうと看護師さん二人で出産やるぞと準備開始。
出来る限りの短時間で、僕も出すのをなんとか我慢して。
旦那もギリギリで入ってきてやっとの出産。
「いきんで!(力が抜けるから)息は止める!そうそう!」
との声を聞いて……初めての3回いきんだだけで出産しました。
3180gは三姉妹の中でトップの重さ。
途中の入院という不安要素があった中で、一番大きなお子が産まれました。
ただし問題があったとすれば、首に一周へその緒が巻いてたことと、40度のお風呂状態の中に居たので苦しかったらしく、うんちが混じった羊水を飲んでしまって(※赤ちゃんは苦しくなるとうんちをするらしい)炎症反応が出ちゃいました。
こちらはこちらで体温上昇で減ってしまった体力にひーひー言って、あーさんはあーさんですぐに精密検査。
ちょっと罪悪感の残る出産となってしまいました。

熱はインフルエンザの検査もしたけど陰性、原因も不明で結果的にストレス性という判断となりました。
あーさんは一度の抱っこでそのままNICU(赤ちゃん用の集中治療室)行き。
なんと入院期間中にお会いしたお母さんの赤ちゃんと同室になりました。

出産を終えた僕は体の怠さに食事もあまりできず、体も痛くて疲労がとにかくすごかった。
出産を終えたら熱も急に下がって、余計に体が重たかった気がします。

出産後の日記。
疲れながらも忘れたくないからペンを取りました。
腹筋がのびきって(力が入らなくて)鼻が噛めない、です。
衝撃の事実を知った時の落書き。
安産は陣痛が来てからじゃなく、赤ちゃんの頭が見えてから。
その経過時間で安産か難産か決まるみたい。

出産してから大体5日で退院です。雪鐘さんは今回15日で退院してます。
だから終わったあとはあっという間ですが、産後から退院まではとても時間が長く感じました。
その理由は、NICUに行ったあーさんに毎度決まった時間に搾乳して届けないといけないから。
末っ子は1日1回、30分ほどの面会時間。
NICUでは小さな体が透明な箱の中でみゃーみゃー泣いてます。
血管が細いから点滴はかかとから。
箱から出すことはできず、直接母乳はあげられないので、搾乳して届ける形になります。
これが実はかなりきつい。
出産を3回経験しても、同じにはならないなとことごとく思う。
当たり前の話かもしれないけど、最後まで何が起こるか分からない出産。
最後の最後までも、油断できない出産。
順調なのは3月まてで、それからはずっと安心や無事からは程遠い結果でした。
その贖罪もあったり、透明なケースの中で一生懸命生きてる娘を少しの時間だけしか眺めることしかできず、抱くこともできず。
元気になってね、なんて言葉しかかけれなくて。
だから、沢山食べなきゃと頑張りました。
どれだけ食べてもお腹が空いて、でも食べないと母乳ができないから沢山食べて、搾乳して、看護師さんから「今日は沢山飲みましたよ!」の記録更新のお知らせが毎度来るから、地下のコンビニに降りてヨーグルトを買ったり。(ヨーグルトは母乳を作るのに良いみたいです!オススメ)
とにかく食べて食べて末っ子を餓えさせないように、元気になってくれるように、なんかそんな気持ちで一生懸命でした。

会えないのもあるし、娘は頑張って生きてるからこっちだって全力出してやらぁ!!みたいなあれそれ。


退院が遠い。

赤ちゃんって重さがなくて、ふにふにで、少し触れただけで折れそうで、すっごく可愛い反面すっごく怖いんですよ。
特に周りにいた娘は既に小学校中・低学年だから赤ちゃんの感覚忘れてるし、ちっちゃいから色々心配。
特に足の小指なんて豆より小さくて、これ爪なの??って聞きたいくらい。
そんな娘がかごの中にいる。
ちょっと複雑な気分。
それでも娘の為に頑張ろうと思えたのは、一生懸命生きて、搾乳した母乳でも飲んでくれたからだよ。
搾乳、めっちゃ痛いんです。
手動の搾乳機もあるし、手でも絞るけど、乳首が耐えられん。千切れる。(※千切れない)
マッサージしないと管が詰まるし、でもマッサージしたところで付け焼刃みたいなもので完全に落ち着くわけでもない。
しっかりやらないと乳腺炎が起こるかもしれないし、搾乳とあーさんのことで頭は一杯で、時間間隔も麻痺していきます。
実際もう何がなんだか分からなくて、とりあえず目の前のことをやる(※搾乳)みたいな感じでした。
それでも日記書けたのは偉い。
10日から退院する15日まで日記量は1日2ページに伸びてました。
病院食じゃ足りなくて、お義母さんや旦那、姉上の面会で貰った食べ物じゃ足りなくて、コンビニに毎日通ってめちゃくちゃ食べる毎時間。
それでも来るのは空腹。
摂った栄養が全部自分ではなく娘に行ってる気分。
それでも母乳が出にくかったり詰まったり感じるのは、栄養が詰まって流れ出ないんじゃ、とか錯覚するような感覚でした。
それだけ必死だったんだろうなぁと今では思う。そりゃ必死よ。
そんなあーさんはあーさんは4月12日の夜に炎症反応がなくなって、NICUを退院…母子同室が始まりました。

……が、初日はずっと居る訳では無かった。
というかあーさんが来た時には既に自分が疲れ果ててて、それどころじゃなかった
というのも僕の方が産後数日が経って、子供も集中治療室にいて、ずっと搾乳続きだったのもあって疲れがピークだろうというお話。
という訳であーさんは泣いた時だけこっちに来ることにして、夜の間は看護師さんの元へ預けられました。
実は3月の入院からずっと眠りが浅かったので、夜から朝まで夢も見ずに寝たのは本当に久しぶり。

13日はなんと出産のお祝い膳。
家族人数分は用意できないけど、同階の休憩ホールみたいな場所でテーブルにご飯を並べてもらいました。
あーさんも一緒に家族でご飯を食べるのは一時帰宅中以来。
最初はすやすやだった末っ子もだんだんぐずって後は大泣き、それでも姉二人が気になるみたいでじっと見ていた気がしてね、これから先ずっとこうなるのよ。みたいな感覚。
退院が待ち遠しいね!

って…思うじゃん?

それから翌日、元々退院だった日を翌日にずらすことにして、数日前から始めてる沐浴の練習で事件は起きました。
なんと出産してからずっと、この赤ちゃんうんちを出していない
ねえ、大丈夫?それって大丈夫なの??
汚い話ではあるけど、赤ちゃんだって生まれりゃ普通に出します。
そりゃーこの子は出産直前にうんち出して炎症反応出しちゃったけど、それからずっと出してないってあり得る??
という訳で沐浴後に肛門を刺激することに。
僕そんな肛門プレイなんてやったことないよ!初めてだよ!もっと純潔で居たかったのにー!なんて言う暇はなく、綿棒を少し入れて軽くぐりぐりっと……するとモザイク現場が発生し、僕の赤いパジャマ(※元々病院の入院セット)が真っ黄色に染まりました……
僕、この人生ずっと金沢人だけど、「どいね!?(※それってどうなん?的なニュアンス)」なんて初めて言ったよ……ハズカシイ
ちなみにこの格闘は年少さんまで続きます……
(うんちをするのに4日~1週間くらい我慢してる・出すのを盛大に嫌がる・我慢すると熱が出るなど。
ちなみにマッサージや生活リズム改善など色々やりましたが、一番効果的なのは浣腸薬投入です。やはり実力行使が一番……。
あれから数年、トイレでちゃんと嫌がらず出せるようになりました)

ちなみにこれ、ウンコで話は終わりじゃないの
よりにもよって退院前日、ヤツが来た。
クリニックでは出産できないと言われてしまった原因、産後うつです。
分かってた。分かってたよ。
しーさんでもまーさんでもあった。
でもあーさんと一緒でもヤツは現れた。
腕に抱くあーさんはめちゃくちゃ可愛いのに、ずっと抱っこを所望するしまず寝ない。何をどうしても寝ない
どう頑張っても寝るじゃん?落ち着いたと思うじゃん?置くじゃん?泣く
ベッドだから添い寝はオススメしないんだけど…と言いながら柵を付けて添い寝の準備して貰って、タオルを体に巻いておくるみにするといいよと教えてもらったのに、寝てる…と見せかけて泣く起きてる
こっちも疲れてるしどうすればいいか分からないしなんかすっごく辛くなって、無性に涙が出てきて止まらなくなって、だめでした。
看護師さんも「来ちゃったかー。泣いたら連れてくるけどゆっくり休んでね」って言われてしまいました。
その日は雨。
やけに雨足が強くて、部屋に響いてうるさくて、頭が痛い夜のこと。
もう疲れ果てた僕は初めての睡眠薬を服薬した夜でした。

無事退院。

わりと寝たら落ち着くのが僕の鬱。だめなのは夕方とか夜ね。
だから永遠のグレーゾーンな訳ですが。
そんなとこは置いといて、授乳しても問題ない睡眠薬は22時半から3時まで爆睡できました。
その間のミルクは実はまだ搾乳のストックがあったのー、と飲んでいた模様。
ホントに爆睡だったので看護師さんが何度か確認に来てたらしいけど、全然気付かなかったです。
こ、これが薬の力か……!!(その後お世話になった記憶はありません。

遂に退院の手続き。
あーさんの退院前診察を受け、K2シロップの投薬方法、それから1カ月検診に合わせて妊産婦の検診の予約などなど。
NICUのお世話にもなったのであーさんの高額医療請求やらその他諸々の書類でまだまだやることいっぱい、精神科の先生からも「昨日大丈夫だったー?やっぱ昨日キツかったんだって!ちゃんと休もうね!」って顔を見せて早々めってされました。先生ごめんて。
結局午前退院の予定がお昼ご飯を食べてからの退院になりました。
病院の皆様お世話かけます……あとさり気なく定期的にベッドを綺麗にしてくれた清掃のお姉さん、めっちゃ仲良くなって「元気でねー」って言って貰えた……優しみ……。

ご飯の前に沐浴して(※簡単に言ってるけど簡単に済んでないです)、沐浴後の一杯を楽しんで、僕がご飯食べて、最後に小児科の先生から退院前診察。
そこでまた衝撃の一言。
「あのね、側頭部にね、痣があるでしょ?この痣ね、脂腺母斑って言って30歳くらいになると悪性腫瘍になりやすいの。だから幼稚園入る前か小学校に入る前に切除して貰ってね。ちなみに形成外科。この病院にはないからもっと大きい所行かなきゃ」

……そう、あーさんの健康への道はまだまだなのです。
正に前途多難。
大丈夫、まだ頭は観察中だけどその前に眼科のお世話になるからね。
もう何が起こってもおかーさん驚かない気がする。(多分)
病院を出ると真っ青な空に桜がとても綺麗でした。
まさに春の陽気。
そのまま出生届を出しに市役所へ。
その間のあーさんは陽の光や風、景色にキョロキョロと辺りを見回してる姿が可愛かったです。
大丈夫、今めっちゃ喋る。大きなお姉ちゃん二人いるからお前本当に子供か??って言いたいくらいの語彙力してるよ。成長ってすごいね。


健康は程遠くて、理想の出産なんて存在しない。
生まれたことはまさに奇跡で、でもどんな経験も自分の糧になってる気がします。
末っ子の出産がこんななのでもう出産には臆病になって、もういいかなって気はしてるけど、こういう経験もないと出産に対して軽く見てしまってると思ったので、これはこれで良い現実。
子供の為に奮闘する母親の気持ちを知った気がします。

余談だけど予定日通りに生まれたあーさんは20人に1人くらいの中々レアな子だそうです。すごいね!優秀だね!!
だからここまで読んでるのか分からないママさん、予定日通り来ないって焦らなくても大丈夫ですよー!

同じ出産は一度もないので、何かあったとしても大きく気にする必要はないです。僕が沢山気にしちゃったから言えることなんだけど。
あと、頼れる人がいたらできるだけ頼ろう、とか、そんなありきたりな事くらい。
寧ろ大切なのは子どもと過ごすこれから!
出産が大変だったとか、楽だったとか、全部関係なくただあなたが生んだ子供を愛してあげてください。
出産を経験した全てのお母様方に拍手!
僕の昨日と今日の特別な思い出語りを聞いてくださり、ありがとうございました。

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