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ペルソナを「自分」にしたら、ライターとして一皮むけた話。

「ペルソナは、細かく設定すればするほど、良い記事が書ける」

私はそう思い、ずっとペルソナ設定にこだわってきました。「なぜか?」と聞かれると詳しくは思い出せないのですが、きっと過去に、そのような情報を見たり聞いたりしたのでしょう。けっこう思い込みの強いほうなので、ペルソナも「かならず設定しなければ」と、ガチガチに考えてしまっていました。

ちなみに、私がやっていたペルソナ設定はこんな感じです。

名前:〇〇さん
年代:30代前半
性別:女性
職業:Webライター
家族構成:夫、長男、次男
好きなこと:絵本、読みきかせ、ゲーム
嫌いなこと:? ※思いつかないことが多い
休日の過ごし方:お出かけ、仕事、家事
悩み:ペルソナ設定が苦手 etc…

私の場合、これだけではペルソナを想像しにくかったので、その人のイラストをスケッチブックに描いて、それを見ながら執筆することもありました。そうすると、「〇〇さんのために書こう!」という気持ちがより高まったからです。

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ターゲットがはっきりしているWebメディアでは、この方法がとても役立ったように思います。

一方、最近はじめたnoteでは、「誰かに伝えたいけれど、その誰かを具体的にはイメージできない」ということが度々起こりました。そして私はその気持ちを、ある尊敬するライターさんに伝えてみたのです。

すると、私のなかで、ひとつの気づきが生まれました。


ペルソナは『自分』で良いのだ


そう。ペルソナは、かならず設定しなければいけないものではなく、「自分」でもOKだということ。たとえ多くの共感を得られなかったとしても、自分がその件で心を動かされたことは、まぎれもない事実だからです。

このことに気づいてから、執筆がスイスイ進むようになりました。なぜなら、ペルソナを決めて書くと

「これを書いたら失礼かな?」
「この話はその人に本当に役立つかな?」

という不安が先立ち、なかなか文章がまとまらないことも多かったからです。自分に宛てた文章なら、そんな気を遣う必要もありません。

もちろん、これは自ら発信するnoteだから言えることであり、なかには、ペルソナを設定したほうが良いお仕事もあるでしょう。そこは、依頼を受ける側の立場として柔軟に対応しなければ、と感じています。

ただ、今回の気づきは、固定観念にとらわれていた私にとって目からウロコでした。皆さんのなかに、ペルソナ設定を苦手とされている方がいたら、一度「自分」に宛てて書いてみてはいかがでしょうか。もしかしたら、私のように、何かが開けるかもしれません。

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