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命を閉じる、頂くということ
玄関先の掃除を終え、パソコンに向かう。
ふと、昨日のことを思い出した。
猪の解体作業の現場に立ち会った。
島で捕獲された猪を内臓を取って血抜きをしたり、血抜きが終わった猪を皮を剥いで綺麗に捌く。
猟師さんの手つきは素早く、慣れていて、どこか優しい目をしていた。
当たり前すぎて、無意識だと思うけどきっとそう、彼らは猪が大好きなんだ。
数分前まで動いていた心臓は役目を終えたように綺麗に収まっていた。
血抜きをするために吊るして冷蔵庫でしばらく保管する。
その後綺麗に皮をとり、骨をとり綺麗に捌いていく。
自分が日々当たり前に食べているお肉は誰かが命を閉めて処理してくれているから食べることができているんだと、改めて感じた。
私たちは、日々命と向き合って生きていきている。
けれど、命の重さを比べてはいないだろうか。
人間の命、年齢による命の重さ、動物の命、植物の命。
きっとこれらの命の重さに大小はない。
上下もない。
今までの自分を思い返すと、大小つけていたなと、お肉お腹いっぱい食べて、残していたな〜と自分に当てはまるから今回、猪を前にして不思議な気持ちになった。
私はこれからもお仏壇に手を合わす。
「いつも見守っていてくれて、ありがとう」と。
そして何かを食べる前にも手を合わす。
「ありがとう、頂きます」と。
手と手を合わせる。
私の片方の手は、命を与えてくれる、与えてくれた存在のパワーが詰まった手なのかもしれない。
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