心の中の広い海

あるところでは、誰かがこの世を去り、
あるところでは、新しい命が誕生する。

そんな自然のサイクルに入っている私たちが
唯一成さねばならないことは、
自然の流れに身を委ねることなのかもしれない。

今世から姿を消すこと、今世に誕生すること
全てはタイミング。

私が高校の時お世話になった大人は皆、”ゆだねる”ことが上手かった。
スケートボードを乗りこなしているのも、サーフィンに乗ってるみたいで、キラキラしていた。

流れに乗ることは、何かを信用して、身を預けることかもしれない。
タイミングを読むセンスなのかもしれない。


高校を卒業し、社会人になった私。
社会の流れにはまってしまうと
何かに引っ張られてしまうことが多かった
社会、家族、国、世界、世の流れに。


世の流れに引っ張られ、足を踏み入れたとき
そこには見たこともない、人間同士の争いや、快楽、さまざまな感情が渦めいていた。

争い事は嫌いだ。

心のない会話も嫌い。

それに、大きな音も嫌いだ。

できれば、綺麗な本物の音がする社会で暮らしたい。


そんな私の願いは、今、多くの人が思っていることなのかもしれん。


私たちは今、何を信用しているのだろう。
何に身を預けているのだろう。


人間不信に陥りました、といった声を聞くこともあるけれど、
その人間不信に陥る原因は、自分の意志に自信がないからかもしれない。


生きている人生の結果がどうであれ、責任を取ってくれない社会、ヒト。
社会を信用するのも、家族を信用するのも、自分の意志あってのこと。

自分の意志を確かなものにするには、根を強くする必要がある。


根を強くするには、少し大きい器に植え替えて、太陽を浴びせ、水をたっぷりあげることだ(元花屋の私が言うから本当だよwww)


私たちが自分の意志を確かなものにするには、大きな器を手に入れよう。
不安や恐怖で割れてしまわない、大きな器。

私が思う、大きな器とは、知識であり、経験、知恵、
そして、感謝することのできる優しさであると思う。
そして、たまには散歩をして日光を浴びよう。
ときどき水を飲むのも大切だ。


意志を手にした私たちは、意志によって揺れ動く心の海に気づいた。

全ての人の心にある”広い海”には、ざぶーんざぶーんといつも波が立っている。

果たして”それ”は、ゆったりとした瀬戸内のような波だろうか。
冬の日本海のように大荒れなのだろうか。


私たちの海にどんな波が起こっていても、
タイミングを見極めることができれば、上手に波に乗れるはず。
乗りこなすことができるはず。

私は旅に出たら、流れに身を”ゆだねる”人に再び出会うことができた。
社会で揉みくちゃにされ、忘れかけていた感覚。

ちょっと抜けていて、雨が降ってきても自然だから仕方ないよね〜っていう感じ。



だから私は、今日も(だからというのはちょっとおかしい気もするが)
いい波が来たらいつでも乗れる準備をするのだ。

人間の心に海があるのならば
常に自然と繋がっていると言うこと。

生まれるも、死ぬのも全てはタイミング。

そんな自然のもとで生まれてきた私たち。

人間が作った社会とはいえど、
大きな括りでは、ここは、
とても神秘的な”場所”なのかもしれない。


最近なんだか、私は自然から生まれた気がするのだ。
男女に対する好きも、動物に対する好きも、植物に対する好きも、大きさに変わりがなくなってしまった。

ちょっと変な感じだけれど、まあそれでもいい。


言いたいことは、私は今とても嬉しいと言うことだ!


今日は雪だし、強風だし、曇りだけど
それでもありがとう!


2022.1.20 氷柱が美味しそうに見える雪降る日に

今年はなんだかシルバーではなく、ゴールドな感じがする


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