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アートを創るのは誰か?

[ただの物体]と[アートとみなされる物]との違いを創るのは何か?という事について考えたいと思います。

先ずはこのXポストを読んでください。

1979年生まれの酒井 美穂子さんは、1996年から「やまなみ工房」に所属している。
彼女は30年以上も前から「サッポロ一番しょうゆ味」の袋麺を握りしめている。17歳のときに、この袋麺に出会って以来、入浴時や食事中も常に携帯し、眠りにつくまで手放すことはなく、親指で感触を楽しんでいる。
一見すると無意味としか捉えられないような行為だが、やまなみ工房では、この行為を彼女の「表現」と考え、あるときから触り終えた袋麺に日付を書いた付箋を貼り、保管するようになった。これまで使用した数は約8,000個を超え、近年では展覧会への出展も増えている。
本展では、これまで保管されてきた袋麺の集積を展示。市販の袋麺の背後には、彼女やその家族、やまなみ工房のスタッフなど、彼女を取り巻く人々の存在が見え隠れしてくる。

櫛野展正@kushinon(※1)

かすがい市民文化財団の紹介記事(※2)によると、「やまなみ工房」は、滋賀と三重の県境、甲賀市にある障がい者施設で、アート作品が創りたい人だけではなく、近隣に住む障がいを持つ人が集まって創作活動をしている施設だそう。

つまり、ここに通っているのは単純に家から近いから通っている人も居り、創作がしたいから通っている人だけとは限らないという事が言えます。

そのうえで、冒頭のポストで紹介されている酒井美穂子さんの「サッポロ一番しょうゆ味を触りながら眺めるという表現」について考えていきたいと思います。

先ず、冒頭のポストにあるように、酒井さんがサッポロ一番しょうゆ味を触りながら眺めるという行為を「表現」と認定したのは酒井さん本人ではなくやまなみ工房です。
そして、酒井さんが触らなくなったサッポロ一番しょうゆ味を日付を付けて保管しているのもやまなみ工房ですね。

やまなみ工房が認定した酒井さんの「表現」である[サッポロ一番しょうゆ味を手に持って眺める]というものは、酒井さん本人がどのような意図で袋ラーメンを熱心に触り、眺めているかが分からない中で、そんなに夢中になっているという事は何かしら本人にしか分からないこだわりや意味があるのでは無いか?そこまで夢中になって触り眺めた袋ラーメンを手放すタイミングがあるという事は、本人にしか分からないベストタイミングや完成形が存在するのではないか?という推測に基づき、これを「表現」であると認定したと推察します。

では、例えば私が同じ事をしたらどうでしょうか?
袋ラーメンは流石にかさばるので、個包装の飴の袋を仕事中も移動中も食事中もずっと触り続け、あるタイミングで飴を食べずに新しい飴の袋に交換しているとします。
私はくしゃくしゃになった飴の袋をその辺に放置していたのに、誰かがそれを回収して保管していたものを展示した場合、それはアート作品と言えるのでしょうか?
そして、くしゃくしゃになった飴の袋にアート性を見出しているのが私ではなく第三者である場合、それは私のアートなのでしょうか?

私がそれを、これは〇〇を表現したアートです。と言って作品展示をしたらそれは表現者である私が作品として世に出した私のアートですよね?では、表現者が制作したものがアートでしょうか?
私が道に落ちていたゴミをこれは〇〇を表現したアートだと言って発表したらそれは私のアートですよね?とすると、制作していなくてもその物体にアート性を見出した人のアートなのでしょうか?
では、私が飴の袋をくしゃくしゃにする事を「自分の表現行為である」と明言しておらず、くしゃくしゃになった飴の袋をアートとして自ら認識していない場合、私の「触って眺める」という行為の結果により生み出されたものを第三者がアートと認めたらそれは私のアートなのでしょうか?でもさっきはアート性を見出した人のアートでしたよね?
もし私が私の行為による成果物をアートだと申告しなくても、第三者が私のアートと認めればそれは私のアートなのであれば、第三者にアートと認められないものはアートではないのでしょうか?

だんだん混乱してきました。

触って眺めるという行為を「表現」と第三者が認めた場合、その成果物はアートなのか?
誰がどう決めたら、ただの物体がアートになるのか?
そもそもアートとは何なのか、辞書で調べてみると以下のように記載されています。

アート(art)

1 芸術。美術。「ポップアート」
2 「アート紙」の略。

デジタル大辞泉

げい‐じゅつ【芸術】

1 特定の材料・様式などによって美を追求・表現しようとする人間の活動。および、その所産。絵画・彫刻・建築などの空間芸術、音楽・文学などの時間芸術、演劇・映画・舞踊・オペラなどの総合芸術など。「芸術の秋」「芸術品」

デジタル大辞泉

び‐じゅつ【美術】

視覚的、空間的な美を表現する造形芸術。絵画・彫刻・建築・工芸など。明治時代は、広く文学・音楽なども含めていった。

デジタル大辞泉

今回の酒井さんの場合、美を追求•表現しようとしているのか、そもそも触って眺めるという行為を「表現」と認めたのは第三者なので本人の意図は分かりませんが、日本大百科全書に以下のような記載がありました。

美術は、美術を制作する側と、美術を享受する側、およびその中間にあって両者を媒介するものとによって成り立っているといえる。
(中略)
美術とは何かという本質的な概念内容を定めることはむずかしく、時代や場所、あるいはそのときの社会現象によって概念が変革していく傾向がある。
[永井信一]

日本大百科全書(ニッポニカ)


永井氏によると、アートとはそもそも時代や場所、その時代の社会現象によって概念が変わっていくものであり、明確な定義をするのは難しいようです。
しかし、「これはアートだ」と言う人が居て、「なるほどそれはアートですね」と言う人が居されすれば、それはアートになるという事が言えそうですね。

酒井さんは受け手が居ようが居まいが熱心にサッポロ一番しょうゆ味を触り眺める「表現」を止めることはないし、やまなみ工房も酒井さんが触り終わった袋ラーメンの保管と記録を止めることは無いと思われるので、その触り終えた袋ラーメンに何かを見出す人が居れば、それはただの袋ラーメンではなくアートとして成り立つ。
つまり、『ある物体をアートとみなすのは鑑賞者である。』を、今回の結論としたいと思います。

皆さんの意見も聞かせてください。

以下引用元

※1

※2

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