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雨は嫌いだ。
雨はいつもタイミングが悪い。

子供の頃から、楽しみにしてた遠足はろくに決行された記憶が無いし、どんなに沢山フレフレ坊主を作っても、運動会はいつも見事な秋晴れだった。

あの時もそうだ。
同じ学部のあの子を目で追うこと半年、たまたま雨宿りをしていたあの子に勇気を出して傘を差し出した瞬間、見計らったようにピタッと止んで、差し出した傘の始末を考えあぐねてフリーズしている僕に困ったような愛想笑いをして小走りにあの子は立ち去った。

「絶対変質者だと思われた!もう挽回不能だ!!」と荒れる僕を見かねた友人があらゆるコネを使ってセッティングしてくれたあの子との飲み会の日も、しとしとと雨が降っていた。
湿気で自己主張を増した僕の前髪を「チョココロネみたいだね」って笑ったあの子。

なんとかこぎつけた最初のデートの日も、こちらのウキウキ気分に文字通り水を差すような土砂降りだった。
「雨男でごめん。」と謝る僕に、「雨も好きだよ」って彼女はお気に入りの傘から少し顔を覗かせて微笑んだ。
この邪魔くさい傘さえなければ、偶然を装って彼女の手を取ったり出来るのに…。
僕達の恋路を邪魔するかのように、雨は降り続いた。

何回目かのデートの日、彼女は「天気予報見るの忘れちゃった」なんて見え透いた嘘をついて、ニヤッて悪戯っぽく笑って僕の傘に入ってきた。
モタモタする僕を見かねたのか、彼女に気を遣わせてしまって恥ずかしい反面、傘ひとつ分縮まった距離が嬉しかった。

雨は嫌いだ。
雨はいつもタイミングが悪い。

映画なんかじゃ悲しみに暮れる主人公の溢れ出る感情を表すかのように雨が降り出して、涙の土砂降りが画面いっぱいに広がるが、あれは物語の中だけの話。
現実は、大切な人が居なくなる日はいつも決まって雲ひとつない晴天だ。
気持ちのよい日差しを楽しんでいる時に限って、突如としてその知らせはやって来る。
雨が涙を隠してくれるどころか、太陽というスポットライトの下でただみっともなく醜態を晒すしかないのだ。
あの人を投影出来る何かを探して雲ひとつない空を、底なしの海のような青を見上げ、行き場のない気持ちと視線が交錯して溺れてしまいそうになるあの感覚に比べたら、うだつの上がらない男のようなモヤモヤとした空気も、湿気でチョココロネになった前髪も、びっしょりと濡れた右肩の不快感ですら、幸福だったのだと気付く。

灼熱の太陽に雨粒と共に彼女の記憶が少しずつ蒸発させられてしまいそうで、僕は雨を乞う。
傘についた水滴の影が柔らかく木漏れ日のようにキラキラと彼女の顔に落ちて、陽だまりのようだった彼女が眩しくて僕は目を細めた。

この記事は、文学サークル”お茶代” 6月のジユー課題1「梅雨の季節にちなんで、“雨”にまつわるなにかしらを1000字以上で書け」 にチャレンジしたものです。

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