「ハーモニー」調和のとれた意志がもたらす喪失

私たちが求める「調和のとれた」世界

数年前には考えもしなかった出来事が起こる。新型コロナウイルスの蔓延、ウクライナ侵攻など、近年世界を巻き込み起こる現実は、私が想像もしなかったことばかりだ。

混沌……

そんな状況になると、誰かに全体を管理された、もっと「調和」がとれた世界で生きたいと感じるようになる。全体を管理して、調和がとれた世界は、安全で安心に違いない。そのような気持ちになったのは、きっと私だけではないはずだ。

早世の作家 伊藤計劃著『ハーモニー』

そのような気持ちを感じた、あなたにおすすめしたい本がある。伊藤計劃著『ハーモニー』。

著者の伊藤計劃は、処女作『虐殺器官』発表から、わずか2年ほどで早世している。『ハーモニー』は彼の遺作だ。デビューから活動できた期間は短いものの、伊藤計劃のファンは多い。試しに、ネット上で「おすすめのSF小説」と検索してみてほしい。きっと『虐殺器官』や『ハーモニー』が紹介されているだろう。

また、彼の死後『Project Itoh』という、彼の長編小説を劇場アニメ化する企画も生まれた。実は、彼には未完の原稿があった。その原稿を、芥川賞作家円城塔氏が、遺族の承諾を得て書き継いだ。作品名は『屍者の帝国』。『Project Itoh』では『虐殺器官』『ハーモニー』『屍者の帝国』の3作品が、劇場アニメ化された。

それだけ多くの人の心を惹きつける、伊藤計劃の物語を、皆さんも読みたいと思うのではないだろうか。

『ハーモニー』のここが面白い

①世界観・舞台設定
物語は今から少し先の未来に起こる<大災禍(ザ・メイルストロム)>から半世紀以上、過ぎた世界。人口減少により、人の命は「社会リソース」として貴重で、その結果みんなが健康意識を高くもち、どこまでも親切で、互いを過剰に慈しむ世界。

目指すべきは「調和(ハーモニー)のとれた世界」とされた。大人になるということは、互いを慈しみ、支え合い、ハーモニーを奏でるということ。

この物語はSFだが、語られている内容は明らかに「わたくしごと」だ。

なぜって、この物語はアメリカでのテロ、暴動、核、中国から広がった謎のウイルス、ロシアの軍事侵攻の、その先の世界について書かれているからだ。ちなみに、この本が発行されたのは2008年。わたしたちの世界線上に、この物語の世界が広がっていると感じたとき、この物語はもうフィクションではない。

②人の意識・意志とは
この物語では、人の「意識」とは何か、「意志」とは何かが、重要なキーワードになっている。

物語では「意志」は会議の決定事項に、「意識」は会議出席者に例えられている。多種多様な会議出席者「意識」が、自分を選ぶよう主張し、論争を繰り広げ、調整を行い、最終的に下す決断が「意志」だ。

なお「意識」は、すべてが会議に出席できるわけではない。意識されざる葛藤の結果、私たちのなかに「意識」として昇ってきたものが、会議への出席権を得られる。

意識されざる葛藤の例を挙げよう。ある作業に非常に集中していた時、怪我などによる痛みに気が付かなかった、という経験はないだろうか。あれは、作業に対する脳の意識的な関心に、痛みが競り負けて、意識に昇ってこなかった一例だ。

ところで、物語の主人公は、世界を嫌いながらも、なんとか折り合いをつけて生きている。主人公は、今の世界を「空気が支配する世界」と呼び、この「空気」を嫌った。

「空気」とは、互いが互いを飼い慣らすなかで、生まれてきた「常識」とでも言い換えられるだろうか。「空気が支配する世界」は、「意志」のある世界の反対語として、つかわれていると感じている。

「ハーモニー」挿入

物語では「意識」が、調和(ハーモニー)のとれた世界の実現を難しくしていると説明されている。理由は「意識」は非常に非合理的なものであるからだ。

例えば、人間は目の前のものほど、価値がより大きいと感じる性質がある。このように、人間の価値判断は指数的に動く合理的なものではなく、双曲的に動く非合理的なものなのだ。

「非合理的な意識のせめぎ合いの結果が『意志』」

この非合理性が、私たちが完全な「調和」を実現することを難しくしている。「調和」とは、すべてが合理的である状態だから。

③ハーモニーの世界
読み進めるにつれて、どんどん気になってくるのは「ハーモニーの世界」とは一体どういう世界なのかということだ。「調和のとれた世界」という響きは魅力的で、ポジティブなものとして捉えていたのに、徐々に、もやもやとした違和感を感じてくる。

調和のとれた「ハーモニーの世界」は、調和のとれた意志の上に成り立つ。調和のとれた意志は、調和のとれた意識の上に成り立つ。調和のとれた意識とは、すなわち、合理的な意識のことだ。

本来持ちえない、合理的な意識の実現は、非合理な意識を手放すことで可能となる。すべての選択に葛藤がなく、あらゆる行動が自明である、合理的な状態が「ハーモニーの世界」をつくるのだ。

調和のとれた意志が導く「ハーモニーの世界」とは

不安や恐怖が、人々を「調和」へとかりたてることは、ここ2~3年の世界の変化のなかで、私たち自身が身をもって感じてきたことではないだろうか。私は、世界が混沌とするなかで、誰かに管理され、調和のなかに世界が回っていくことを望んだ一人だ。

この物語がどのような希望、あるいは喪失に向かうのかは、ぜひ実際に本を読んで、あなた自身で確認してほしい。そして、あなたがどのような「意志」を持つのか、自分自身で感じてほしい。

「SHElikes」ライティング入門コース提出課題「好きな本をおすすめしてください」より作成。

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