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インターセックスとDSDは両立する概念

インターセックスとDSDについての言葉の論争が起きている(?:起こした?)わけですが、そもそも、インターセックスと、DSD(または、日本語での「性分化疾患」)は、両立する概念であり、並立するものだと思います。
一部で、どちらか片方の用語がと言う議論があるようですので、私個人の意見をまとめました。

参考のツイート

最初から参考資料かと言われそうですが、流れ的にまずは、DSDという言葉を主眼に置かれる方の意見もご覧頂いた方が公平で良いかと思いまして、ツイッターからわかりやすいのがありましたので、ご紹介致します。

これに基づき、お話しを進めていきたいと思います。

インターセックスという言葉と、DSDという言葉の海外での状況

まずは、日本の話に入る前に、海外の状況から。インターセックス(Intersex)という言葉、DSD(Disorders/Differences of Sex Development)という言葉、両方とも使われているのが事実です。
ここで、一つ注意が必要なのは、2006年の「シカゴコンセンサス」において、インターセックス(Intersex)という言葉を、完全にDSD(当時はDisorders of Sex Development)に置き換えたわけではない、ということです。「医学用語」の部分を「DSD」に置き換えたものであるとしています。これは、シカゴコンセンサスの性格が、どちらかといえば医療寄りであったことから、医療用語としての性質が強くなっています。

論文『我々はその人たちを半陰陽 (hermaphroditism) と呼んできた』において、筆者のヴィランは「DSDs」はインターセクシュアリティの同義語ではなく、「半陰陽:雌雄同体 (hermaphroditism)」を基にした医学用語を置き換えるものであると明確にしています(Vilain E, Achermann JC, Eugster EA, Harley VR, Morel Y, Wilson JD, and Hiort O. 2007. We used to call them hermaphrodites. Genetics in Medicine 9 (2):65-66.)

海外でも、インターセックス(Intersex)を使う人、DSD(DSDs)を使う人は双方います。それぞれの当事者や関係者の考えによるところが大きいです。

海外でインターセックス(Intersex)という言葉が拒否される理由

これについては、上部に掲載の、コミックの中で2ページ目でかなり丁寧に解説して頂いているので、個別具体的な内容については省略します。

ただ、中傷、侮蔑的な用語として認識されているため、は、その印象がかなり緩和されている傾向があるようです。特に若い当事者には、その印象は緩和されているようです。

また、アイデンティティの問題と誤解されやすいため、というのは、逆に、インターセックスという言葉は、後ほど詳しく書きますが、社会学的要素の強い用語であるため、アイデンティティとも強く結びついており、むしろ当たらないのではと思います。

DSDでない人がインターセックスを名乗ることが広がりつつあるため、については、確かに難しい問題ではあるのですが、DSDが上述のように医学用語であるのに対し、インターセックスは社会学的要素の強い用語なので、診断書を求めたり、個別具体的な診断名を求めたりはしていないのです。医学的にも、DSDに該当しうる疾患名は、医学の進展に伴いまだ増える可能性があると言われており(先日泌尿器科雑誌(泌尿器科専門医の雑誌)を読んでいたのですが、昨年だけでもかなりの新しい責任遺伝子(性分化疾患を引き起こす遺伝子)が見つかっており、名前をこれから付けていく状況でした。)、現状、診断名がおりていない性分化疾患のありそうな当事者は、DSDと言う言葉では外れますが、インターセックスという言葉では包含されるというのはあります。

逆に、海外でインターセックス(Intersex)という言葉が好まれる理由

これについては、私も今頑張って勉強中なので、追記させて頂く可能性がありますが、
まずは、上述の通り、インターセックスという言葉は社会学的要素の用語であるため、DSD(DSDs)は医学的用語に近いことから、医学的用語を避けたい人も一定数おり、その人たちはインターセックスという言葉を使うようです。(医学アレルギーや、過去医療で・・・な状態の人など)。

また、これも上述の通り、インターセックスという言葉は、アイデンティティの言葉として使えるという点があります。病気や疾患、障害をアイデンティティとして持つというのは変だと感じられる方も(結構)いらっしゃるかもしれませんが、性分化疾患に限らず、他の障害とか難病とかでも、それをアイデンティティにすることで、自分で消化する(理解する)という流れがあります。そして、病気や疾患、障害だと、なかなか他の当事者と会う気にはなりませんが、アイデンティティであれば、会ったり話したり、などが出来やすいというメリットもあります。(ただ、実際に会うときには気をつけましょうね。)

また、インターセックスという言葉は、社会学的要素の強い用語であるため、権利要求活動、社会活動、当事者運動、当事者団体の作りやすさなど、社会に対して何かを求めたり、また連携しやすい用語であったりします。そもそも社会学とは、何かの問題を、社会の構造などにあるのではというのを求め、その解決を目指す学際分野であり、医学用語であるDSD(DSDs)よりかは、社会活動はしやすいのではないかと思います。

その他、また長くなりそうなので、またの機会に別のnoteで。

インターセックスを騙る人、DSDを騙る人

インターセックスを騙る人もいれば、DSDを騙る人もいて、特段現状では、インターセックスだと名乗る場合も、DSDだと名乗る場合も、双方、証明書類(診断書等)は求められていない以上、その割合は同率ではないでしょうか。

DSDの場合は診断書の掲載を求められる、提示を求められる、Twitter社のイーロン・マスク氏に診断書を提出して月額7ドルのサブスクで認証マークを受け取るw(タイムリーな話題)、という話は聞いたことがないので(私は診断書持ってますが、もちろん個人情報の塊なので、ここではアップしませんが、「視床下部性性腺機能低下症」と書かれた診断書や、「視床下部機能障害」と書かれた診断書は持ってるけど、提出はしてませんよー)、騙る人のハードルはどちらも同じかと。

まぁ、インターセックス、の場合、あんまり騙る人問題も気にしない(上述の通り、未診断当事者の排除を防ぐため)というのはありますが。

インターセックスは脱病理化なのか

じゃ、インターセックスという用語は、脱病理化、医学から距離を置こうとする動きなのかと言われると、答えは「NO」(違います)です。
たしかに、医学から一定の距離を置こうとする当事者も利用する言葉ですが、その言葉(インターセックスという言葉)自体は、医学(医療的処置)を受けないでおこうという言葉ではありません。
確かに、アイデンティティ・ターム(用語)の部分もあり、脱病理化の部分もあるのは事実ですが、それが全てではありません。
インターセックスという言葉で求めているのは、「不要な手術や治療など医療介入は避けて欲しい」「低年齢(2歳未満など)での手術や治療など医療介入は、その必要性を十分に吟味して欲しい(必要なら実施、不要なら本人の判断ができるまで留保)」「医療へのアクセスをよくして欲しい(社会活動としての要求)」といったもので、病院に行くな、医療は手術とか治療とかするな!と言っているわけではありません。

というか、インターセックス(ここでは性分化疾患、DSDでもOKですが)の中でも、医療依存度の非常に高い疾患の一つである、先天性汎下垂体機能低下症+中枢性尿崩症(「ゴナドトロピン分泌不全(視床下部性性腺機能低下症)」に、いろいろ付随疾患がくっついたタイプ)な私がお話ししているんですから、医療と距離を取れるわけが無いじゃないですか。副腎も機能していないんだから、コートリル(ステロイドの一種、副腎皮質ホルモン)を数日間飲まなければ死ぬし、抗利尿ホルモンも出てないから、水も薬(ミニリンメルトなど)も飲まなきゃ数日で脱水で死ぬし、すぐには死なないけど甲状腺ホルモンも出てないから甲状腺ホルモン剤(チラーヂンS)飲まないとやがて死ぬし、と死亡フラグだらけなタイプの性分化疾患なタイプの私が話してるんだから、医療と距離を取る、脱病理化、が完全に当てはまるわけではないのはおわかりいただけるかと。

インターセックスという言葉は誰でも彼でも入ってしまう用語か

これについては、一定の見解は見当たりませんでしたが、確かに診断書を求めていない以上、実際にはインターセックスの状態を持たない人が入ってくる可能性があります。
逆に言うと、DSD団体は診断書求めてるんでしょうか(私の疾患は、指定難病になっているくらいに先天性の人数が少ないので、当事者団体が存在しないけど、それなりに人数が居て当事者団体がある疾患の当事者団体、入会に当たって診断書求めてるか、知りませんが)。
インターセックスの場合でも、ピアサポートなどでは、ある程度クローズなものは作れると思っていますが(さすがに診断書求めるまではしないと思うけど)。
本当に当事者かどうかを確認するには、診断書またはそれに類するものが必要になりますが、それを求めるかどうかは、用語と言うより、各団体のスタンスによるところが大きいかと。

インターセックスとDSDは両立できる概念

ここまでご覧頂いた方には、お気づきの方も多いかと思うのですが、別に、インターセックスという言葉と、DSD(DSDs)と言う言葉は、それぞれ相手を攻撃し合う関係の言葉でも、どちらかでないといけない言葉でもないんですよね。
それぞれ、主眼とするところが少し違う(DSDは医学的用語に近い、インターセックスは社会学的要素が強い)だけで、べつに両立できる概念だと思うんですよね。
言葉として、差がある分、そしてその言葉は排他的ではないので、べつに両方ともの言葉があって何ら問題ないと思うんですよね。
そして、DSDの団体があって、そして、インターセックスの団体があって、当事者はそれぞれ自分が合うなという方に(両方に入っても良いと思います)入れる、つまり、選択肢が広い方が良いのではないでしょうか。
それぞれ、活動の方向性が少し違う分、両立しうると考えます。

長文になりましたが、別に、両方とも(インターセックスという言葉と、DSD(DSDs)という言葉と)あって、いいんじゃないの?というお話しでした。

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