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【音ゲー】下埋めについての考察(愚痴)

音ゲーマーは、下埋めという言葉を使う。恐らく、字面通り読み取るならば、「低難易度曲を一定スコアランクで埋めていくこと(練習すること)」であると考える。その、下埋めの意義について、考える。

前提として、私は下埋めに対して大きな偏見と嫌悪感を持っている。ある時、暴龍天への練習法として下埋めを提案された時は怒りで頭が沸騰し、反論の言葉を述べようとしても頭が機能せず、「やめて」としか言えなかった。ともかく、私にとって下埋めとは親の敵に等しいのだが、どうやら音ゲーマーの間では精度向上において意義があると語られている。上達の道があるのにもかかわらず、私の嫌悪によってそれを妨げるのはナンセンスすぎるので、一度敵の姿をよく知り、その効能を再確認し、その後に再び憎もうと思う。

出典:アクタージュ第83話より

また、この記事は判定幅33msのゲームを想定して書いている*¹。40~以降のゲームは深く考えることなく精度が上昇するし、20付近のゲームは、中堅下位の私では語れない。

下埋めとは

下埋めとは「低難易度曲を一定スコアランクで埋めていくこと(練習すること)」である。特徴としては、普通にプレイし、普通にクリアできるレベルの楽曲、いわゆる適正難易度よりも下の難易度を練習することにある。その意図としては、低難易度でシンプルなノーツの精度をしっかり身に着け、高難易度の下地を作る。かつそれを様々な譜面で行うことでフレーズ*²を網羅することができるというわけだ。また、この下埋めの根底には「低難易度で出来ないことは高難易度で出来るわけがない」という思想がある。

私はもっぱら精度向上のための手段であると考えているのだが、プレイ可能な難易度の上限をあげるためにも有効であると主張する者もいる。

下埋めへの批判

下埋めを批判するにあたって真っ先に疑問を覚えるのは、「低難易度で出来ないことが高難易度で出来るわけがない」という主張である。これが否定されれば、あえて低難易度を練習する意味は存在しない。

早速上記のことを検討したいのだが、より具体的なことを考える上で、譜面の構成要素を理解し、精度向上における下埋めなのか、精度以前の上達に対する下埋めなのかを区別して考えなければならない。

譜面の構成要素

譜面は、様々なフレーズとそれを溶接するつなぎノーツで構成されている。

黄色丸がフレーズ赤丸がつなぎノーツ

そうすると、譜面の難易度というのは、フレーズの難易度といっても過言ではない。高難易度譜面というのはこのフレーズが複雑化したり、単体で見れば容易であっても組み合わせて叩く難易度をあげたりしてその高難易度性を保っている。一方で、譜面内においてのフレーズの難易度には差があることが殆どである。頭からお尻まで一定の難易度を保っているわけではなく、難所となる特筆すべきフレーズが数カ所あることを除いたら、その他のフレーズは平常的である。具体的な数字をあげ例えるとするならば、難易度が15と評される譜面において、難所フレーズは難易度16ほどであり、その他は14レベルのフレーズで構成されている。譜面において、フレーズの難易度にはムラがあるということだ。

私が主張したいことは、高難易度譜面は突発的に生まれた何の体系性もない異物ではなく、連続性のあるフレーズの難易度の変化によって生み出されているということだ。複雑なフレーズも同様で、ベーシックなフレーズを変形して作られた体系性のある複雑性である。高難易度譜面には低難易度譜面の要素が数多に内包されており、高難易度フレーズを叩くと同時に低難易度フレーズも叩いている。

何を目的とした下埋めなのか?

譜面の構成を確認したところで、下埋めの意義について検討しよう。

まず、精度以前の上達に対する下埋めについて考える。結論から言うと、私は全くもって無意味であると考えている。精度以前の上達、プレイ可能上限をあげることについて、「低難易度で出来ないことが高難易度で出来るわけがない」は正しくない。求められる動きの精度が高くないため、低難易度で下地を付ける必要はなく、適正難易度ギリギリのところで同時に練習をすることが最も効率的である。

譜面の構成を考えた時、低難易度譜面に存在するフレーズは、高難易度にも存在する。先にも述べたように、その在り方は、単にそのまま出現することもあれば、それを基礎として変形した高難易度なフレーズとして登場することもある。であるから、高難易度フレーズを練習すると同時に、低難易度フレーズもカバーできる。また、譜面内のフレーズには難度にムラがあるため、ギリギリ出来るフレーズ8、困難なフレーズ2の割合で構成されるような譜面で練習をするのも良い。単に下埋めをするのと比較し、適正ギリギリの練習は1プレイで得られる経験値量の度合いが全く異なる。ここで重要なのは、バランス感覚である。理解できないようなフレーズばかりでは下埋めと同じくらい無為な時間を過ごすことになるだろう。ここで極端な思考に至り、下埋めを勧める人は、バランス感覚を欠いているからその結論に至っているのである。

以上のことをもって、精度以前の上達に対する下埋めについては無価値であると私は断言できる。

ちなみに私は下埋めを全くせずに暴龍天を取っている。*³


一方で精度向上における下埋めは如何だろうか。この下埋めについては、先ほどのように易々と無価値な行為と断言できなくなる。それは、精度を上げるに際して、単にミスを出さずに通す場合とは求められる動きのレベル、質が上昇しているからだ。

確かに、低難易度を内包する高難易度で練習を行った方が効率が良いのは間違いない。しかし、はたして困難なフレーズが多く存在する中、既知のフレーズを精度良く叩けるかは疑問である。本来であれば正確に叩けるのにもかかわらず、前後のフレーズによって、それが阻害されることは、間違いなくある。先ほどの結論は、単にそこまでシビアに見積もらなくて良いから実現可能な事であって、判定33msの猶予においては非常に厳しくなる。いわゆる、癖が付くという懸念も生じる。

適正ギリギリというボーダーが、こと精度においてはかなり低く見積もらなければならないというわけである。

また、単にフレーズの複雑さによって精度が取れないわけではない、つまり、物量の暴力によって困難とされるフレーズの克服はどのように行えばよいのだろうか。説得力があることを述べている人がいたので、紹介したい。

“結論、現環境でサファリの67トリルを克服するにはまず、これらより遅い曲・簡単な曲で67トリルを押せるようになることです。”

【音ゲー】クセは存在する・上達への大きな壁:https://note.com/yuryam777/n/n3c219f1eb283

この一文が、精度上達における下埋めの意義をすべて説明している。

精度向上における下埋めについては、十分に意義があると私は考える。しかしながら、では最低難易度から練習しよう!となるのは、バランス感覚の欠けた極端な発想である。下埋めといっても、ある程度適正難易度に近くなければ、非効率的である。それは、ミスの中に量的な練習で解決するものと、質的なもので解決するものが混在しているからだ。

例えば、16分の階段を叩く感覚を理解したとしても、それをどのくらい安定して出せるかは別の問題である。それは、単なる量、経験によって解決する他ならない。一方で、そもそもの叩き方を理解していないようなフレーズに対して、量的なアプローチを試みても、解決は見込まれないだろう。仮にいつか叩けるようになったとしても、それは恐ろしく非効率なものである。また、精度向上においてはよりシビアな動きが要求されるため、理解のない練習は癖を生む危険性が高い*⁴。

適正難易度よりもはるか下の難易度をプレイしても、量的に解決できるフレーズの安定化しか行われない。困難なフレーズは、適正難易度付近で現れるからだ。精度向上においても、バランス感覚を持って行わなければならない。

下埋めのような行為

私は、下埋めに対して偏見と嫌悪感を持っていると、初めに述べた。その根源は、恐らく下埋めそのものに対してではなく、下埋めと称して行われているものにある。下埋めモドキとして、単に(低難易度)曲を周回し、それを詰める練習は行わないことがある。

これは、遊びであって、決して下埋め行為ではないし、練習でもない。下埋めは、詰めることによって初めて意味を成す。ただぐるぐると曲を周ることは、フレーズを網羅することで、精度が向上するという理念を曲解している。練習して、それを身に着けた結果精度が向上するということを無視して、習熟もせずにぐるぐると周回している。これは、全くもって無意味であって、課題を発見したのにもかかわらずそれを解決せずに無視する愚かな行為である。

低難易度を詰める事や、適正ギリギリの練習というのは、負荷がかかる。それから逃れるための、下埋めモドキなのかもしれない。

まとめ

下埋めには、意義がある。しかしながら、それはもっぱら精度向上においてのみであって、それ以前の上達においては無価値である。

もしかしたら、下埋めという枠でくくるのはナンセンスで、本質は攻めるべき適正難易度の移り変わりにあるのかもしれない。結局のところ、適正ギリギリのボーダーが変わっただけで、いわゆる特攻も下埋めもやっていることは同じなのかもしれない。私が憎むべきは下埋めではなく、下埋めモドキであることが分かった。

私は、プレイスタイルとしての下埋めは否定しない。無価値であると評されるのは、あくまで上達という観点に立った際の評価である。であるから、単に音ゲーを楽しむ際に行われる行為について非難することはナンセンスである。他人の利益を害さない限り、誰もそれを非難することはできない。また、音ゲーのつよさは人によって異なる。私にとってのつよさと、彼らにとってのつよさが異なっていても、否定は決してしない。しかしながら、上達を願っているのにもかかわらず目的と行動が一致していない人に対しては、頭を抱えたくなる。見当違いな練習モドキを行った結果成果が無く、才能がない!と嘆く。そういった人に限って、バランス感覚を欠いているから、私に下埋めを勧めてくる。ああ腹が立つ腹が立つ。

出典:アクタージュ第84話より


以上、5000文字にわたる私の愚痴でした。


おまけ:下埋めへの嫌悪は自己嫌悪なのかもしれない

私は、いろんなタイトルをぐるぐると触ってきた。それは、単につよさを誇示したい、資格マニア的な考えもあるが、根底にある目的ははフレーズの網羅である。タイトルによって、フレーズの傾向があり、多機種触ることによって一機種ではあまりカバーされていないフレーズの習熟を見込むことができる。そうして、私はぐるぐるといろんなタイトルを触ってきたのだが、ふとこれは下埋め行為なのではないかと考える。正確には、私が先ほどまで批難していた下埋めモドキなのではないだろうか。大義名分としては、多機種触ることによってフレーズを網羅し音ゲー力の向上をというところだが、いわゆる地力の限界を伸ばすのと、地力付近まで近づけるのとは天と地ほどの差以上にある。結局のところ、私も楽な練習モドキに逃げ、効率を落とし、無価値な快楽に溺れているだけなのかもしれない。


補足

嬉しいことに、この記事をお友達が読んでくれたのだが、最後の「本質は攻めるべき適正難易度の移り変わりにあるのかもしれない」というところがよくわからないという質問をもらった。

改めて読み返すと、確かに言葉が足らない文章になっている。文章を手直しするのはめんどくさいので、補足という形で追記する。

Q:あの文章は、上手い人だと高難易度も下埋め扱いになるみたいな意味ですか?
A:いいえ、ここで言う難易度は相対的なもので、絶対的なものではない。主観から見た時の低難易度、高難易度として書いている。

Q:難易度が相対的によって変わるなら、下埋めも特攻も同じというのはわからなくもない。
A:いいえ、ことなります。

この記事には下埋めといわゆる特攻は対立構造にあり、私は特攻支持者であるから、その下埋めを私は憎んでいるという前提がある。これを書き終わった後にキチンと記述していないことに気が付いた。申し訳ない。

この特攻、下埋めというのは、適正難易度上限練習か、適正難易度下限とも言い換えることができる。こうして、下埋めや特攻という枠を取っ払った時に、精度向上においては要求が高度になったがゆえにボーダーが移り変わっているだけで、その行為の本質には差がないということを主張したかったのである。

だから、私が憎んでいたのは、下埋め行為そのものではなく、バランス感覚の欠けた練習に対して向けられていた、ということである。



*¹判定については、このツイートを参照している。真偽は不明。https://twitter.com/echospherics/status/1298277359678701573?s=20
*²フレーズとは、一区切つけれるノーツの塊のこと。https://note.com/yukimoto2941/n/n7965a8314b6a
*³隙あらば自分語り。サンプル1にしかなりえないが、全く下埋めをせずにプレイ可能上限をあげた例。https://note.com/yukimoto2941/n/nf0ea8272600e
*⁴詳細な理屈についてはこの記事にて。https://note.com/yukimoto2941/n/nc140060ec629

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