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音ゲーマーの「癖がついた」について考える。【音ゲー】

音ゲーマーはよく、「癖がついた」という。しかしながら、私にはその意味がよくわかっていない。人によってこの癖が指すところは微妙に違うのだろうけれども、私はこれまでその「癖」というものを感じたことがないため、その存在に懐疑的である。けれども、私よりもはるかに上手な音ゲーマーはそれを口にしている。ということは、そういう概念は間違いなく存在するのだろう。恐らく私にも同じような現象が起こっていて、単にそれを私が感知できないだけである。

その、皆が指す癖とは何なのかを考え、癖との付き合い方について考える。

1.癖とは

音ゲーマーは、「さっきまでは調子がよかったのに、癖がついたせいでできなくなった。」といったような文脈で癖という言葉を使う。

恐らく、音ゲーマーが言う癖とは、「同じ曲を連続してプレイしているうちに誤った動きを覚えてしまい、それが習慣化した状態のこと」を意味する。

注目すべきは、癖という言葉のニュアンスに、単純に通すのが困難なフレーズに悪癖がついてしまったものと、これまで通せていたのにも関わらず悪癖がついてしまったことの二つ存在することである。これらは似たような意味合いであるが、混同をすると話がおかしなことになる。

また、癖は一度ついてしまうと抜くことが大変だとされている。あるブログには*¹、段位課題曲は絶対に練習するなとも書かれてある。練習によって癖が付くことを避け、初見の一発でクリアできるようにしろということだ。それほどまでに、音ゲーマーにとって癖は恐ろしいものであり、同じ曲を連続して練習すること(以後、「粘着」と呼ぶ。)はあまり良いことではないとされている。

この一度ついた癖に対して、音ゲーマーは「放置」をすることによって解決を試みている。誤った動きを忘れてしまえば、新鮮な状態で動きをインプットすることができ、解決するということだろう。

2.癖についての仮説

通せていたものについた癖
➀ただの勘違い
癖はただの勘違いであるという説。正確に言うと、通せていたという前提が勘違いである。つまり、本当は通るか怪しい、不安定なフレーズを自分は通せるものであると勘違いしており、単にできないだけである。プレイ回数を重ねたことによって、出来ないことが表れたということ。

➁疲労
ただの疲労によるミスを癖であると勘違いした説。人間の集中力は持続しない。具体的な時間については議論があるようだけれども、少なくともパフォーマンスを常に最高の状態に維持することが不可能なのはわかるだろう。一定のパフォーマンスを出さなければ通せないフレーズに対し、集中力が落ち、疲労した状態では通せないのは当然のことである。

③譜面の誤認
認知の誤り説。同じ譜面を何度もプレイしていると、特別難しくないところは段々と意識しなくなり、難所が浮き彫りになってくる。この無意識に落とし込む作業の過程に、誤った認知をして落とし込んだ結果、正しい譜面が見えなくなりミスを連発し癖であると感じるケース。

分かりにくいと思うので私の体験を一つ。初めは問題なく通せていたのだけれども、練習を繰り返すにつれミスが重なるように。手元を観察すると、緑丸のノーツをすっぽかして赤丸ノーツを叩いていた。赤丸ノーツに意識が向きすぎて、緑ノーツのことををすっかり忘れていた。

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通すことが難しい難所についた癖
➀ただの勘違い
ただの勘違い説。この場合、癖が付いたということが勘違いである。通せないのは癖のせいではなく、単なる練習不足である。

➁譜面の誤認
認知の誤り説。この場合、単純に実際の譜面と認知した譜面が異なっており、それに気が付けずミスをする原因は癖だと勘違いしていること。

私の体験としては、緑丸ノーツのことを譜面を見るまではずっと3レーン目に配置されているノーツだと思っていた。これは、単に実力不足ということも考えられる。先述した「段位曲は練習しないように」という意見は、粘着すると癖が付く。そして、身の丈に合わない曲を練習することは癖につながるという意味も持っている。

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③理解のない無意識
譜面を大して理解しないまま、手癖で無意識に落とし込んでしまった結果、誤った動きが染みついてしまった説。譜面の誤認に通ずるところがあるが、この場合はそもそも譜面のことをあんまり分かっていないということだ。譜面の誤認は、あくまでも理解したつもりで叩いているが、この場合はそもそも理解をせず、その場しのぎで叩いていること。雰囲気で通す、一か八かでといったあやふやな動きで練習をした結果発生するミス。

さて、これが癖なのではないのかというものをいくつか考えてみた。これらは複合的に起こりうるもので、どれか一つが正しければその他は否定されるものではない。また、私が考えつく候補を上げたまでで、その他の原因があることも十分あり得る。

私は皆の言うどこか呪いめいた癖というものが何を指すのかわからなかった。なので、初めは私が挙げたものが癖の正体であり、皆が言う癖とはこれらの現象を勘違いしたものであると考えていた。けれども、冷静になって考えてみれば、癖がつくということは日常レベルで起こる。靴を履くときは右足から、ペンを持つとつい回してみたくなるなど、色々あるだろう。そんな中で、音ゲーにおいては癖は全く付かないというのはおかしな話である。つまり、これまで挙げたものはきっかけに過ぎず、それが習慣化した結果、皆が言う癖になるのではないだろうか。

3.癖との付き合い方

ではどうやって癖を解決すれば良いのか。先にあげた単なる要因であれば、すべて意識の問題で解決できる。勘違いであるなら練習をすればよいし、疲れていて出来ないのなら休めばよい。間違えた認知を無意識に落としているのなら、改めて譜面と向き合えばよい。実力不足が癖を誘発するなら、身の丈に合った練習をすればよい。手癖で叩いてしまうのなら、出来ないフレーズに対し強く意識し、改善を意識すればよい。

しかし、それらが起因となって誤った動きが習慣化した時、つまり癖になった時、私は放置という消極的な手段よりも良い方法を思いつけなかった。

誤った動きを忘れてしまえば、新鮮な状態で動きをインプットすることができ、解決するということだろう。けれども、放置にも疑問点はある。それは、放置をしたことによって新鮮な状態で、癖のない状態で挑めるから正しい認知ができ通せるのか。それとも単に放置をしている間に音ゲーそのものが上達し、その上達によって認知できるようになり通せるようになったのかわからないことである。後者であれば、放置することに意味はあまりなく、いわゆる、地力不足の一言で片づけられてしまう。

また、新鮮な状態と言っても、認知そのものに癖がある場合はどうだろうか。例えば、妻と義母のようなだまし絵を見た時に、若い世代では若い女性を最初に認知する人が多く、年配の世代では老婆を最初に認知する割合が高いようである。一定程度の時間を置けば譜面が違った見え方になるとは断言できない。しかし、仮にどちらか一方が作用していなかったとしても、結果的な放置なのか、意図的な放置なのかの違いしかないから、放置の有効性という点においては大きな問題は無いのかもしれない。また、両者が相互に作用した結果、癖が解消されるということもあるのだろう。

放置という消極的な方法しか取れないのであれば、癖が付く前の段階で対策をするほかない。間違った動きが習慣化する前の、癖の要因である段階から潰すということだ。

もうひとつ癖を付けない対策としてあげられるのは、粘着しないということだろう。しかし、私はこれついて肯定的ではない*²。粘着をするということは、粘着しなければならないほどその曲が難しいということである。難しいということは、これまであげてきた癖の要因が発生しやすく、かつそれを連続してプレイすることは癖が付く確率が非常に高くなる。であるから、粘着は避けるように言われている。しかしながら、その難しいというのにも程度がある。きちんとミスの原因を反省し改善できるだけの余裕がある曲においての粘着は全く持って問題は無いし、むしろ少しの負荷が成長に繋がると考える。出来ない個所を集中的に練習できることが粘着の魅力である。癖を恐れて地力をじりじりと上げて解決を図ろうとするのは、遠回りすぎるのではないかと私は考える。

4.まとめ

癖は存在する。皆が言う癖とは、何らかの癖につながるような間違いが習慣化した結果である。癖が付いたら、放置をすることくらいしか解決策が無いのかもしれない。癖は解消することが難しいため、前段階で対策をすることが望ましい。癖につながるような誤った動きの原因に対して解決を求めるほかない。また、たとえ誤った動きをしても繰り返さなければ癖には至らないので、私は否定的だけれども粘着しないということ方法も選択肢の一つである。

普通に練習をするだけで付いてしまい、一度付いてしまえばなかなか解消できない呪いのようなものであるのが癖である。けれども、難所ではきちんと意識を持ってプレイをし、間違えた動きをしたときにしっかりとその反省をし、改善を試みていれば、そう癖というものは起こらないのではないだろうか。

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*¹暴龍天指南書:https://starealnight.hatenablog.com/entry/2019/01/26/005905
*²あくまで癖における粘着の話であって、上達における粘着の是非については、また別の議論である。

おまけ:ピアノの視点から

私はピアノを習っているのだけれども、通っている教室の先生に癖について聞いてみた。楽器と音ゲーは全く違うと言うし、私もそう思っているのだが、指を正確に動かすことについては共通する。また、彼らは同じ曲を何カ月も連続して練習する。音ゲーに置き換えたら、粘着否定派は卒倒するだろう。音ゲーであれば癖が付くであろう環境に近いため、有益な事が聞けると思い質問してみた。

その答えは、やはりピアノにも癖があるそうだ。ちなみに、私も指導中に「それ癖だね、気を付けて」と言われたことがある。放置をして癖を抜くことについては、選択肢の一つとして考えているが、何日も練習しないわけにはいかないので、長くても一日に止めているそうだ。そもそも、癖を付けないことが大事で、何となくの練習をしているから癖が付く、とのことである。

ピアノは、音ゲーほど癖に対して敏感ではない。むしろそういった話はあまり聞かない。その理由として、自分の実力に合わせた練習が出来るからであると私は考える。例えば、ピアノは曲中に難所があったとしても、初めから最終目標に照準を合わせるのではなく、自分のレベルに合わせて段階的に練習をし、最終目標に合わせていく。また、指導者がついているため、誤ったことをしていたら指摘されることも大きいのかもしれない。であるから、よっぽど手癖で弾いたりと適当に練習していない限り音ゲーのような癖は付きにくい。それに対し、音ゲーは難所は難所で、変わりがない。譜面の動画を撮影し、それをスロー再生して疑似的に段階を踏んだ練習をすることはできるが、それをシステムとして行い評価されることは不可能である。そういった違いが癖に対する考え方に表れていると感じた。

少なくとも、癖は存在する。癖を放置することが選択肢の一つにある。この二つが他の分野でも認められているということは、一定程度音ゲーに通ずるところもあるのではないだろうか。



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