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経緯


 このnoteを書き始めることになった 経緯 からお話させて頂こうと思う。

 わたしは鍵のついたTwitterアカウントで情緒を垂れ流しにする、インターネットの波にどこにでもいる1メンヘラだ。メンヘラとは自分の感情や思慮をどこかに吐き出さないと生きていけないそういう生き物なのである。端的に言うとインターネットを10年以上もやっていると、思い募った言葉の数は多く140文字にとどめるのがとても歯痒いのでnoteを始めた。


 なぜ鍵垢にバカ正直に思いの丈をツイートしないといけないのか疑問に思うであろう。それは生きていて常に脳みそが前傾姿勢の感覚がある。故に、思考が止まらなくて苦しいのだ。人は不可思議な現象に名前がつくと安心感を覚える。毎日を頭でっかちな自分でプレイしていると嫌でも謎の感情と遭遇してしまう。わたしは安心するためにはじめての感情に長文で名前をつけてあげることにした。

 これを内面の言語化と読んでいる。言語化には、見えてる曖昧な世界の解像度を上げてくれる力を持っている。私にとっては人生の画質を上げることが手探りで生きていくよりも重要なことなのである。

 noteを書きたくなったのはツイートだけに収めたくないと思っただけでなく、他にも内向的から外向的な言語化をしたくなったというのもある。カルチャーや社会について語りたくなったというのが大きな動機である。今後は頭の中身の話だけではなく、外への意識についても書けていけたらいいなと考えている。

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