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夕暮れに咲く

 紅と、わずかにやってくる闇が混じり合う空がずっと広がる街。どれだけ時が経とうともそれが変化する事はない。美しく、しかし理に反した不変の場所。夕暮れが支配する世界だった。

 ぼんやりと河川敷で空を眺めながら、少女は筆で絵の具を溶かす。手に持っているのはスケッチブック。軽く鉛筆で下描きしたそこに、少女はするりと色をのせる。じわりと絵の具は紙に染み込み、色づいた先から紙が波打った。少女は迷いなく筆を踊らせ、目の前に広がる風景を写し取る。

「……朝霞」

 不意に名を呼ばれ、少女──朝霞は筆を止めた。振り返れば、後ろに立っていたのは黒髪の無表情の少年。

「朔夜」

 朝霞は一つため息をついて、そう言った。かたん、と筆を置いてスケッチブックを平らな地面に広げる。朔夜は朝霞の横にしゃがみこむと、スケッチブックの絵を見る。

「なに」
「いや、綺麗なもんだなと思って」

 淡白な言葉に、朝霞はわずかに頬を紅く染めた。ふい、と目をそらして朝霞は口を開く。

「……いつも同じものを描いてるんだもの。巧くもなるわ」

 弾みそうになる声を努めて静かなものに変えた言葉だった。いつだって朝霞は自身の本心を隠す。幼い頃からの付き合いである朔夜はそれをよく知っていた。知っているからこそ、それ以上は追求しない。
 流れた静寂を、明るい声が破る。

「いやいやいや、僕だって同じことしてんのに全然巧くないから! 謙遜が過ぎるよ!」

 声の主は栗色の髪の少年──真昼だった。まっすぐでさらりとした髪の朔夜とは反対に、ふわふわとした髪をもった彼はスケッチブックを携えている。

「なんだ、真昼もいたのか」

 少しも表情を動かさず、朔夜は応じる。真昼は二人の正面に立つと、スケッチブックを朝霞に見せる。描かれているのは、少し場所が違うものの河川敷から空を見上げたものらしい。が、巧いとは言い難かった。

「見て朝霞! 君とここでスケッチ始めて一ヶ月だけど、僕はこんなに下手くそなまんま。きみが凄いんだからね!」

 朝霞は数度瞬きをする。自身を落として他人を褒めるとはこれ如何に。しかし、そのまっすぐな言葉に朝霞はやわらかい表情を浮かべる。

「……そう」

 風が朝霞の長く下ろした髪を巻き上げる。隠れていたはにかむような笑顔が顕になった。朔夜は黙ってそんな彼女を見守る。真昼は驚いたように瞳を大きく見開くと、満足げに笑った。真昼はそれから、優しく呟く。

「そーそ。朝霞はそれでいいんだよ」

 真昼は自分の絵を仕舞うと、朔夜の横に座った。三人は先程と全く変わらない空を見上げる。ふわり、と風が頬を撫でた。少し冷たい、秋の風。
 朝霞はすっかり乾いた自分の絵をリングから破って離す。写真のように精巧でありながら、絵の具独特の滲みが朝霞の見る世界を演出していた。空気さえ閉じ込めている気配をもった、世界で一枚だけの絵。実際の風景に重ねて掲げれば、違和感なくはまる。

「もういいわ。……真昼、朔夜、終わりにしようか」
「りょーかい」
「ああ」

 朝霞の言葉に、彼らは躊躇いなく頷く。朝霞が絵の破っていくと、同じように空が裂けて行く。その隙間から見えるのは、すべての光を吸収して呑み込む暗がり。
 絵をびりびりに破いてしまえば、重なっていた空が崩壊していた。それに伴い、街並みも絵のように裂けて、剥がれていく。朔夜がパン、と手を打ち鳴らした。すると、崩壊した先から夜に塗り替えられていく。そう長く待たないうちに、夕暮れが夜にすべて置き換わっていた。
 雲が動き、星が流れる可変の世界。本来あるべき街の姿に戻っていた。

「さっすが朔夜。一発じゃん」
「まぁ、今回は俺の領分だったからな」

 囃すように真昼は口笛を鳴らした。照れもせず、相変わらずの無表情で朔夜は応じる。それから、座っている朝霞に手を差し伸べた。

「さ、朝霞。次の夕暮れを壊しに行こう」

 朝霞は画材をすべてかばんに入れて、朔夜の手を取る。

「ええ」

 いつもの仮面のような表情を再びつけて、朝霞は応じた。真昼も立ち上がってついた汚れを払い。彼女の横に立つ。そして、三人は手を繋いで輪を作った。
 次の瞬間、彼らの姿はその場所からかき消える。後には時間の動き出した街が残るのみ。

 ✽ ✽ ✽

 20☓☓年。突如夕暮れで時を止める街が複数出現した。同時に、それを打開する能力を持った少年少女の存在を確認。政府は彼ら彼女らに街の時間を進めることを依頼する。
 これは、絵に描くことによって止まる時間を壊す彼らの日常の物語。

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