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以前と比べて良いじゃん、自分!!

僕が今からでもいいかげんなテキトーな人になりたいと思ったのは、

そういう風に生きてる人が楽しそうで憧れて
でも見えるところは見えてて、スゴいなぁと思ったから。



言い古された表現だけど

「いいかげん」=「良い加減」で

「テキトー」=「適当(適切)」だし

「楽」と「楽しい」は同じ漢字

っていうのはやっぱりその通りだと思うんだよね!



今までの人生は人に嫌われないように
「正しさ」を選んで「良い悪い」を判断し
自分の中の悪を排除してきた。

でも、ずっとそこに窮屈さやモヤモヤを抱いてきた。
その思いをスルーし続けてきたのだけど、、、

やっぱりそれは疲れる…
とっても疲れる…

ずっと相手を気にして
四六時中、自分に悪が蔓延らないか見張ってるのだから、
今考えると疲弊して当然だ。

でも、それをせざるを得なかった。
それをしないという選択肢は
勇気がなくて選べなかった。


なのに、いいかげんで楽してる人を見ると
嫉妬をしてしまう。
「なんで自分はこんなに頑張っているのに!」と。
でも、そんな人に限って本質はちゃんと見抜いていて
大事なことが分かっている。

自分と相手を常に見張ることで
いっぱいいっぱいになってしまって
大切な本質が見えなくなってしまっていたのは自分の方だった。



自分の人生なのに、
自分がどう生きていきたいのかも
分からなくなってしまっていた。

「あれ?自分、今楽しくないな…
いや、楽しいのか楽しくないのかもよく分からないな……」

って淡々とお金のために仕事や日々を送り
自分の感情や身体を無視して
どうしたら自分が損をしないかっていう損得ばかり考えてしまったために
心がスネてしまい、感情が捉えられなくなってしまっていた。



楽しく生きていきたいはずなのに
その楽しいが分からない…………

これじゃあ何のために生きてるのか分からないな、と思って
本当にほ~んの少しずつだけど
勇気を出して自分が生きたい気楽な生き方にシフトしてみよう、とした。


実際、動き出してみると、
日常の少しを変えるだけなら
勇気も思った程必要ないなと感じた。

完璧主義の部分もあるので
今までの自分からガラッと全部変えなきゃいけないと勝手に思い込んでて
それがまたハードルを上げ
ものすごい勇気を必要とさせていた。

そんなところからも、
完璧に変わらなくていいんだ、
上手くいかなくてもいいや、
お試し感覚で気軽にやってみよ、と
「テキトー」のスゴさを実感したのだ!



少し前の自分を振り返ってみたけど
その時と比べれば今はすごく楽しいし
望んでいた心の持ち方に少しずつなってきている気もする!

それは、まさにテキトーの積み重ねであり
前に比べゆる〜くやってこれたからだと思う。


だからこそ、もっともっとテキトーに
自分に甘くゆるゆるでいきたい!


しかも、もっと自分を楽しんでいきたいとか、
こうしたい、っていう気持ちが出てきている。

まだ、人と会うと合わせてしまう自分とか
完璧主義な部分とか色々あるけれど
その部分を以前より責めなくなったし、

「その感情はダメ」「こうしていかないといけない」
みたいな良い悪いで切り捨てるんじゃなくて

「こうしていきたい」
「こういう風にしてみたい」みたいな
前のめりな変化のさせ方をしていきたいなと思えてるので
(伝わるかな……)
それも自分の成長ポイントだと思う!



こういう風にたまに振り返ることで
以前の自分と比べて
成長した部分、変わらない良い部分、褒めてあげたい部分が
明確に見えてきて自己肯定感が上がって良いかもね♪


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