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皇后定子の在り方気高き

八十やそじ余り三歳みとせ春秋はるあき、八十歳を越えた老尼が東山南禅寺辺りに門を構えた最勝光院を偶然訪れた際、そこに住む若い女房たちと交わしたいわば女性論のなかに、皇后定子ていしについての件がある。並外れた美貌と英明によって一条天皇に愛され続けた皇后への手放しの賛辞は惜しみなく、しかしここにはもうひとつの眼差しが記されている。

なかの関白こと父・道隆が亡くなり、兄・伊周これちかが道長との政争に敗れ失脚したのち、衰退零落の一途をたどり不遇を過ごす後年の定子をあるとき、頭中将とうのちゅうじょうそれがしなる人物がその邸を訪ねたときのこと。が風に煽られたその隙間から伺うに、七八人ばかりのそれはとりどりに正装した美しい侍女らが仕えていた。没落したゆえ見舞う人などあるまい、きっと荒んでいるに違いないと思っていた中将は、まさかこれほど優雅であざやかであることに驚き、浅慮のあまり恥じ入ったとある。そこで庭のほうを見やると、こともあろうか雑草が生い茂るままになっている。それこそ手入れをしたらよいのにと問うと、ひとりの侍女曰く「露置かせて御覧ぜむとて」、悲しみの涙に沈む定子様が、夜露を浴びたこの雑草にわが身を託したくそのままにしているという。と、この女性論は言葉を紡ぐ。

苦難や逆境にあっても、静かな内省によって気高くあること。老尼の目線は、男性に愛される女性の喜び以上に、こうした静謐な精神的在り方に注がれている。誰に見られずともきちんとした立ち方と装い、一方、無造作に自生する雑草に託した心の支え。ともすれば受け身にもみえるこの在り方は、しかしそれでも定子の生の確かさ、決して見失うまいとする気位きぐらいであったのだと、老尼は感動に揺さぶられたままそっと筆をいている。

十三世紀初めに書かれたとされるこの書「無名草子むみょうぞうし」は、数々の女性論のなかでも皇后定子を最大に評価し、頭中将それがしの視線を借りて定子の内面化された気品をこうして今に伝える。女性として女性の生き方を確かめようとしたかにみえる、これを残した八十路を越えたこの老尼は、体験や感情を内的に深く昇華する歌で知られた歌才、俊成卿女しゅんぜいきょうのむすめだと、女性の在り方や生き方を議論する800年後を生きる現代のわたしたちにうたわれている。


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