つひにゆく道--「伊勢物語」の「みやび」
「伊勢物語」全125段、数年ぶりに再読。あらためて惹かれたのは何よりもその記述である。後世の人が書き足しながら現在のかたちになったというが、作者不詳とはいえ、書き手は実に客観的で、作中人物とかなり距離をとっている。よって、直接の感情描写はまったくなく、状況や場を描くことでその内面感情を端的に表現している。これには歌の贈答によることも大きいが、しかし見事としかいいようがない。さすがは日本最高の物語のひとつである。
つながっているようでバラバラな、それでいてすべてがつながっている短編物語。その通奏低音なる太糸は「みやび」ということらしい。これはその後現在に至るまで日本文化の在り方を決定づけたものといわれているが、はて「みやび」とはなんだろうか。言動が上品で洗練されていることだろうか。私が感じた限りでは、これは時と場所、自分と相手、そのときどきの関係において、その場を巧みに丁寧に縫っていくような心のはたらきかけだと思われた。いわば状況を適切に判断し、感情をコントロールすること。その心なくば、洗練された言動もあるまい。物語の声と感情はきわめて抑制されている。
さて、最後の125段目、業平と思しき男が辞世の歌を詠んで物語は静かに閉じる。
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つひにゆく道
むかし、男、わづらひて、心地死ぬべくおぼえければ、
つひにゆく道とはかねて聞きしかど きのふ今日とは思わざりしを
人はいつか死の旅路へと赴くものだとかねてから聞いているが、この自分もいまにもそうなろうとは思いもしなかったなぁ。そんな歌だが、数々の浮世の恋をしたとはいえ、天皇家から外れ、望む出世もできなかった業平は、死に面してもどこか飄々として軽やかである。死という宿命を受け入れているように思うが、しかしこの態度もまたひとつの「みやび」なのだと思わずにはいられない。しかも歌の名人だった業平の最後のそれだと思うとなおさらである。最後の「を」は、感動や詠嘆を表す間投助詞で、「~だなぁ、~とは」の意。ここに業平の人物とその「みやび」が見て取れよう。
いとうつくし、いとみやびな、伊勢なのだった。
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